日記:見えないことが無視につながり、逆に、関心は尊重につながる。

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見えないことが無視につながり、逆に、関心は尊重につながる。
(ステーィブン・グリーンハウス)『大搾取!』増田和子訳、文藝春秋

 震災後、毎週のように被災地に通う中で、私は現在の被災地の課題は、空間的にも時間的にも被災地に限定されない、と感じるようになっていった。
 避難所段階でも現在の仮設住宅段階でも、被災地で顕在化している課題は、高齢者や障害者の課題にしろ、ジェンダーの課題にしろ、就労の課題にしろ、日本全国に共通する課題であって、空間的に被災地に限定されるわけではない。
 また、顕在化した諸課題は、震災前から存在していたものが顕在化しただけ、という側面が強く、その意味で震災は諸課題を「浮かび上がらせた」にすぎず、時間的にも震災後に限定されない。
 そのため、原発事故の衝撃と断絶の印象があってなお、私には断絶よりも連続性、特殊性よりも普遍性が目についている。通えば通うほど、しばしば言われる「震災後に世界が変わった」という意味を頭では理解しつつ、実感としては遠ざかる、という奇妙な印象を抱き続けてきた。
 それが生き延びた人たちの「生活の連続性」による印象であることは、震災後一ヶ月の段階ですでに書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。先日改めてそのことを感じる場面があったので、それを紹介しておきたい。
 Aさんは、仮設に暮らす六〇代男性。八〇代の母親と同居し、母親に暴力を振るっていた。「手や足が出ちゃうんだよな。どうでもいいって感じになっちゃってさ」と話すAさんの言い方は、どこか自分のことではないような口ぶりだった。軽い離脱症状のようにも見えた。
 聞けば、Aさんの家族は震災前から崩壊過程にあった。嫁と母親の確執の板挟みにあった日々、子どもの出奔、離婚、目の病気で仕事ができなくなっていく不安。震災前には、同じ屋根の下とはいえ、母親と完全に棲み分けることで「家族」を維持してきた。しかし、家が流され、仮設の2DKで認知症が始まった母親と四六時中顔を付き合わせる生活。人生に疲れ、投げやりになっていた。
 これは「仮設で身を寄せ合って支え合う親子二人」という「美談」とは無縁だ。必要なことは家族介入と二人の分離、それぞれがきちんと医療機関等につながり、落ち着くことで、お互いをいたわる気持ちを回復させることである。
 Aさんにとって、震災は引き金だったが、その背後には何十年にも及ぶストレスの蓄積があった。
 震災前、一軒家に暮らすAさんと母親に「問題はなかった」。家族の中は見えにくい。見えないものは、ないものとされる。しかし、実際には課題はあった。震災でそれが顕在化した。仮設では周囲が気づいてしまうからだ。
 健気に支え合うべき被災者家族の中で、息子が年老いた母親に暴力を振るっていたとなれば、人々は眉をふそめる。しかし、遠巻きに眺めて「オニ息子」と言っても解決には至らない。Aさんに関心を寄せ、Aさんに近寄ってみれば、背景が見えてくる。Aさんも自分や他の人たちと同様、必死に生きてきた一人だという、あたりまえのことがわかってくる。そうして初めて、解決の糸口が見えてくる。
 そしてこれは、全国に何万、何十万とある家族の姿に他ならない。震災が起こっていない地域では、単にこれが「ないものとされている」にすぎない。
(二〇一二年七月一一日)
    −−岩波書店編集部編『3.11を心に刻んで 2013』岩波ブックレット、2013年、35―37頁。

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