覚え書:「耕論 ウチナーンチュって? 小波津正光さん、親川志奈子さん、宮沢和史さん」、『朝日新聞』2016年10月26日(水)付。

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耕論 ウチナーンチュって? 小波津正光さん、親川志奈子さん、宮沢和史さん
2016年10月26日

 沖縄の人々は自らを「ウチナーンチュ」と呼ぶ。沖縄語で「沖縄の人」の意味だが、沖縄県民という言葉ではすくえない思いが、そこににじんでいる。ウチナーンチュって何ですか。

 ■基地ネタに、矛盾を笑う 小波津正光さん(お笑い芸人)

 2000年から4年間、東京で漫才をやっていました。その時、本土のお客さんに驚いてしまって。沖縄に米軍基地があることも、自由に出入りできないことも知らない。ぼくらウチナーンチュには当たり前なのに。

 沖縄がブームになっても、本土から見える沖縄はリゾート地。でも、基地も戦争の傷痕もあるのが沖縄です。明るい面だけ見て「なんとかなるさぁ〜」ってやられるとフトゥフトゥ(ムカムカ)して。

 漫才で叫んだんです。「沖縄の人は本土の人嫌いなんだぞ」「基地を本土に持っていけ」って。半分本音、半分ネタ。そうしたら、うけた。

 「沖縄の芸人こそ、これをネタにすべきだ」と思って、沖縄で仲間とコント「お笑い米軍基地」を始めました。

 ぼくのひいおじい、ひいおばあは戦争の時、糸満で亡くなっています。ほかの親戚も、日本兵についていったら全員死んじゃった。だから、おじいは「本土の人は信用するな」と言っていた。そういう環境、沖縄にはよくあると思います。

 ぼくらの世代までは根底に本土への不信感や劣等感、それと裏返しの憧れがある。なんでかなあ? そう言われて育っちゃったからかな。経済や大学進学率が本土より劣っていたのも事実ですし。

 上の世代はもっと強烈です。高校野球でも、甲子園で県勢が「日本」を倒すことが快感みたいな感覚がある。

 ウチナーンチュって、沖縄で生まれ育って、経験を共有している人のことだと思うんです。そこには沖縄戦も米軍基地もある。個人や世代で見え方や濃さは違っても、経験としては共通しています。

 例えば、おじい、おばあは戦争を連想させるものが嫌いです。でも、農作業には米軍払い下げの迷彩服を「上等さぁ」って言って使う。反基地運動している人が、米軍基地のお祭りに喜んで行っちゃう。基地には反対だけど、座り込みや抗議集会には、仕方なく参加する感じも。そんな沖縄の矛盾を、ウチナーンチュは経験しています。

 ぼくらのコントはその矛盾を大げさにしているだけ。沖縄の現実がギャグなんです。舞台にすると、現実を客観的に見られる。お客さんは「それ、ある」って笑っちゃう。沖縄語で言う「ウチアタイ」。共感の笑いなんです。

 以前は本土でも公演しましたが、今は沖縄だけです。客席のウチナーンチュも含めての「お笑い米軍基地」。ウチナーンチュはどこで笑って、悲しんで、怒っているのか。本土の方にも来てもらい、共有してほしいんです。

 沖縄に戻って12年たったけど矛盾は変わりません。基地はない方がいいなあと思いますが、ぼくらのネタは基地依存度95%。これも沖縄の矛盾です。

 (聞き手・岡田玄)

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 こはつまさみつ 74年那覇市生まれ。舞台「お笑い米軍基地」の企画、脚本、演出担当。著書に「お笑い沖縄ガイド」ほか。

 ■独立論、しなやかに強く 親川志奈子さん(琉球民族独立総合研究学会理事)

 ウチナーンチュの意識は、ヤマトの人とはちょっと違います。「あなたは日本人か」と聞けば、そうだと答える。でも「ヤマトンチュ(ヤマトの人)か」と聞けば「違う、ウチナーンチュだよ」と言う。海外やヤマトに移住した2世、3世にも、こうした感覚は引き継がれています。

 私たちウチナーンチュは、「琉球王国」という国を持っていました。つい44年前までは、琉球政府という独自の政府もありました。そして、米軍の支配から逃れるため、「日本人」になれば人権が得られると考えました。

 でも1995年に少女暴行事件が起き、04年には沖縄国際大に米軍ヘリが墜落。今年も女性が殺害されるなど、米軍関連の事件は後を絶ちません。復帰前と「何も変わっていない」と考える機会が増えた。基地の移設も県内の話ばかり。なんでだろうって。

 ヤマトの人にはなかなかわかってもらえません。「金をもらっているんだから黙れ」「中国に攻められるぞ」と。そういう意識、普通にあるんじゃないですか。

 実際には、沖縄県は他県よりことさら多く国のお金を受け取っているわけではない。米海兵隊が必ずしも沖縄に駐留しなければならないこともない。沖縄の視点で意見を言う翁長雄志(おながたけし)知事の誕生は、こうした思いがこの20年で広く共有されたからです。

 日本からの独立論は、ずっと昔からありました。お酒を飲んで気が大きくなると「いっそ独立しよう」と誰かが言う。「居酒屋独立論」です。

 その独立論が、居酒屋から飛び出してできたのが、私たちの独立学会です。琉球の島々の日本からの独立を目指す前提で、財政や経済、外交など幅広い分野で、独立に必要なこと、メリットやデメリットを真剣に研究しています。

 もちろん沖縄にも、独立までは考えていない人もたくさんいます。「本土と分断するのか」と批判もされます。でも英スコットランドでは14年、独立を問う住民投票があり、グアムでも米国からの独立も選択肢に入れた投票が検討されたといいます。独自の歴史と文化を持つ琉球人として、自らの将来を穏当な政治プロセスで決めるのは、ごく普通のこと。そう考える人が増えていると感じます。

 独立以外にも自治州や連邦制という方法もある。現体制のまま人権保障を徹底してもらう考え方もあるでしょう。大切なのは、日本と沖縄の抑圧的な関係に気付き、ウチナーンチュが沖縄の未来を決めていくこと。ヤマトの人にとってもよい関係を結び直すことにつながると思うんです。

 苦しみ、悲しみも多い歴史を、しなやかに強く生きてきたのがウチナーンチュです。「独立なんて無理だ」と決め付けることはできませんよ。

 (聞き手・上遠野郷)

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 おやかわしなこ 81年沖縄市生まれ。琉球大大学院博士課程に在籍。専門は社会言語学。2013年、独立学会の発足から参加。

 ■外からの愛、島唄に込めて 宮沢和史さん(音楽家

 僕は山梨人(ヤマナシンチュ)。ウチナーンチュのふりをするつもりはありません。僕にとっての沖縄は民謡です。好きになったのは24歳のころ。何回目かの沖縄旅行で三線(さんしん)を買って、初めて弾いた時、湧き出してきたのが「島唄」でした。毎日、民謡を聴いていたから、体に染みこんでいて。

 でも、発売するか、ためらいました。ウチナーンチュではない自分に、島の唄を歌う資格があるのかって。

 「魂までコピーすれば、まねじゃない」と歌手の喜納昌吉さんに励まされ、1992年に発売すると、多くの沖縄の人が喜んでくれました。

 一部の知識人や沖縄の音楽界の中からは、批判もありました。ロックバンドが三線を持つ姿が、軽々しく見えたのかも知れません。

 「沖縄を思っているのに、どうして……」って悩みました。打ち破るには、理解されるまで歌い続けるしかない。「やっと理解してもらえた」と感じられたのは、ここ5年ぐらいでしょうか。

 世界のどこにいても、沖縄の血が流れている人をウチナーンチュって言いますよね。それは団結の結果だと思うんです。虐げられ、差別があったから、自分たちを守ろうと線を引いたのだろうと。以前はそこに入れない雰囲気がありました。今も「これ以上は踏み込まない方がいい」と言ってくれる人もいます。

 でも、日本も沖縄も、外からいろんな人が入り、歴史を作ってきた。沖縄を外から愛する人もたくさんいます。沖縄の現状を議論し、未来を描いて、尽力している。そんな人たちも一つだっていう言葉がないか探していました。

 見つけたのが「シンカヌチャー」。沖縄では、青年会やエイサーの集まりでよく使われます。地域の仲間たちという意味です。いい言葉だと思って、曲も作りました。

 本土と沖縄の壁は、今もあります。基地問題でも思うんです。危険だとか、騒音とかあるだろうけど、本当の問題は「ウチナーンチュとしての尊厳」なんだって。

 1609年に薩摩が来た時から、沖縄は差し出すものを差し出し、奪われた。沖縄戦があり、アメリカ世(ユー)(統治下)になり、日本に戻った。でも本土と対等じゃない。その構図は変わらない。そこに沖縄の人は怒っていると、日本政府は気付く必要がある。

 そもそも沖縄はかつての琉球王国。本土と違って当たり前です。差異を認めながら、同じ日本国の中で違う文化を楽しむ。それでいいと思う。

 僕の場合はただ沖縄が好き、民謡が好きなんです。土ぼこりをかぶって生きてきたウチナーンチュの庶民の歴史が詰まった民謡を広めたい。知れば「沖縄ってすごい」と感じるはず。本土と沖縄の間の氷は解ける、と思っています。

 (聞き手・岡田玄)

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 みやざわかずふみ 66年甲府市生まれ。バンド「THE BOOM」元ボーカル。代表曲「島唄」は南米など各国で歌われる。
    −−「耕論 ウチナーンチュって? 小波津正光さん、親川志奈子さん、宮沢和史さん」、『朝日新聞』2016年10月26日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12626191.html


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