覚え書:「論壇時評 世襲化と格差 社会のビジョンはあるか 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2016年10月27日(木)付。

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論壇時評 世襲化と格差 社会のビジョンはあるか 歴史社会学者・小熊英二
2016年10月27日


写真・図版
小熊英二氏=早坂元興撮影

 「日本の歴代首相の簡単な覚え方を教えよう。敗戦から1954年までの首相は元外交官だ。占領軍と交渉するのが首相の重要な仕事だったからだ。55年から80年代までの首相は元官僚か地方のボスで、自民党の黄金時代を築いた。90年代以降の首相は多くが2世か3世で、日本は長期低落している」

 以上は、私が外国で講義するとき、ときどき使う説明だ。こうした見解は、私だけのものではない。田中秀征は、敗戦直後に当選した世代が、80年代までの自民党を主導したと述べている〈1〉。彼ら戦争を経験した「創業者」たちが引退した後の自民党は、力量や平和意識に劣る世襲議員の党に変質したという。

 こうした自民党の変質は、「右傾化」の一因ともいえる。しかしもっと重要なのは、首相の世襲化が、日本社会そのものの変質を反映していることだ。

 自民党員数は91年の547万がピークで、2012年には73万に減った。政権復帰後は議員にノルマを課して党員を集めているが、まだ100万にも及ばないという〈2〉。自民党の党員源だった町内会、自治会、商店会、郵便局、農業団体などが、グローバル化や情報化、民営化などで弱体化・高齢化したことが、党員減少につながっている。

 こうして支持基盤が衰弱すると、議員の基盤も不安定化する。そのため自民党衆院議員の4割以上は当選2回以下でしかない。彼らは基盤が弱いので、党中央に逆らえない。連続当選できるのは、旧来の基盤が残っている地域の世襲議員になりやすい。こうして首相の世襲化と一強状態が出現する。つまり首相の世襲化は、日本社会の変質の表れである。

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 こうした変質は、政界だけではない。平均所得が減り、教育費が高騰するなかで、教育においても格差の再生産(≒世襲化)が目立つようになった。

 75年に比べて、国立大授業料は約15倍、私大授業料は約5倍となった。渡辺寛人によると、子供1人を大学まで通わせた場合の教育費の家計負担は、すべて公立でも総額1千万円以上、すべて私立だと2千万円以上となる〈3〉。

 一方で子育て世帯の平均年収は、97年から12年に94万円減った。後藤道夫によれば、年収400万円で公立小中学生の子供2人がいる4人世帯では、年収から税金・保険料・教育費を除いた生活費が、生活保護基準を下回る。大都市の世帯で子供2人が大学に進学すると、年収600万円でも下回ってしまう〈4〉。

 そのため少子化や「子供の貧困」が広がる一方、約半数の大学生が奨学金を借りている。その多くは返済が必要な貸与型で、学部卒の平均貸与金額は295万円だ。これだけの金額が、卒業時に借金としてのしかかる。在学中から就職活動やアルバイトで必死な者も多い。

 学生団体SEALDsの奥田愛基は「家が大変だったり、奨学金の借金を六〇〇万円も抱えていたりするメンバーが半分くらいいる」と述べたが、これは今の学生の一般状況だ〈5〉。これでは安心して大学に行き、学業に集中できるのは高所得家庭の子弟だけである。

 他の先進国では、高等教育は無償であるか、返済不要の給付型奨学金が整備されてきた。だが日本では、家計が教育費を負担してきた。その前提は、教育にお金がかかる時期に、高い年功賃金が払われていたことだった。しかしそうした前提は、いまは存在しない。

 教育の負担だけでも、年収600万円以下の世帯はぎりぎりだ。さらに家族が病気になったり、介護が生じたりすれば、家計が破綻(はたん)しかねない。00年から14年に、生活が「大変苦しい」と回答する世帯は21%から30%に増え、「やや苦しい」とあわせて64%となった〈3〉。

 ではどうするか。経済成長は一つの回答ではある。だが経済が成長しても、年功賃金が復活することはない。教育や介護の負担が増える時期に、年功賃金が増えるのが過去の前提だったのだ。となれば、公的援助の充実は不可欠である。

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 しかし政府の方針は、それとは逆行さえしている。坂口一樹によると、この15年間の医療政策は、医療需要から介護需要へ、介護施設から在宅介護へ、負担を移転させるものだったという〈6〉。つまり政府や事業主の医療費負担を、家族の在宅介護に転嫁してきたのだ。その代償は、年間約10万人の介護離職だ。目先の財政負担削減のために、家族と社会に重圧を強いた政策ともいえる。

 恐ろしいのは、こうした政策の原因が意図的な悪意というより、ヴィジョンの不在であることだ。「社会保障と税の一体改革」に関わった駒村康平は、「年金、医療、介護、子育ての各制度『ごと』に議論が行われ、制度横断的な議論は行われなかった」と述べている〈7〉。

 これでは、医療費を削減すれば介護費が増え、介護費を削減すれば離職が増え、年金を削減すれば生活保護が増えるといった連関は論じられない。結果として、社会の再設計という総合的ヴィジョンは欠落し、個別の制度をどう延命するかという目先の議論が多くなる。こうして無自覚のうちに、家族と社会に負担を転嫁する政策が実現してしまう。それは結果として、格差の再生産や世襲化、介護離職や税収低下を招いている。

 この状態は、省庁や専門を超えたヴィジョンなしには解決しない。有力政治家が世襲化し特権階層化するなか、メディア・NGO・知識人などの責務は重い。

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〈1〉田中秀征「今も『戦争をしない日本』への門は開いている」(SIGHT64号)

〈2〉記事「自民党員100万人回復」(読売新聞10月2日)/「自民党員100万人未達か」(同・14日)

〈3〉渡辺寛人「教育費負担の困難とファイナンシャルプランナー」(POSSE32号)

〈4〉後藤道夫「『下流化』の諸相と社会保障制度のスキマ」(POSSE30号)

〈5〉奥田愛基「勇気、あるいは賭けとして」(現代思想10月臨時増刊号〈15年〉「総特集 安保法案を問う」)

〈6〉坂口一樹「“自助”へと誘導されてきた医療・介護」(世界4月号)

〈7〉駒村康平「政府は『一体改革』というダイエットをやめ 『副作用のある健康法』に飛びつくのか」(Journalism10月号)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『社会を変えるには』で新書大賞、『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞など受賞作多数。監督を務めた映画「首相官邸の前で」の上映会で米国の10大学に招かれ、先ごろ帰国した。
    −−「論壇時評 世襲化と格差 社会のビジョンはあるか 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2016年10月27日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12628044.html


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