覚え書:「文芸時評 重なり合う物語 やがて危機、営みは巡る 片山杜秀」、『朝日新聞』2016年10月26日(水)付。

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文芸時評 重なり合う物語 やがて危機、営みは巡る 片山杜秀
2016年10月26日

 庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』は東日本大震災と1954年の『ゴジラ』とテレビ・アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』等を巧みに折り重ねた映画と思う。どこで何がどう重なるか。深読みしたくなる。豊饒(ほうじょう)な物語は重なりから生まれる。

 砂川文次の「熊狩り」は、カフカ安部公房現代日本を重ねているだろう。主人公は役人のK。カフカ『城』の技師のKは仕事先の城になかなか着けない。だが「熊狩り」のKは東京から転勤を命じられた北日本の僻地(へきち)にあっさり到着。でも戻れない。交通ルートは慢性的に途絶。通信も困難。まるで迷宮。安部公房の『砂の女』じみてくる。しかし『砂の女』なら監禁された男に重大な労働が課される。けれど「熊狩り」のKは暇。何のための閉じ込め? 限界集落問題だろう。人が減っては町も役所も維持できない。頭数を揃(そろ)えるべくとにかく居ろ。脱出しようとすると熊とみなされ、狩られる。行けず、出られず、越えられず。これぞ、米国大統領候補が「国境に壁を」と主張する時代の文学。

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 谷崎由依の「囚(とら)われの島」も言わば「重ね物」。しかも底の底まで深読みしたくなる大作だ。まず根底にあるのはギリシア神話クレタ島の迷宮にミノタウロスという怪物が住む。半牛半人。若者の生(い)け贄(にえ)を貪(むさぼ)る。アテネから英雄テセウスが退治に。怪物の異父妹になる美女のアリアドネは英雄に恋する。迷宮から出てこられるよう、英雄に糸玉を渡す。結んだ糸を手繰れば戻ってこられる。テセウスは糸のおかげで大望を果たす。二人はクレタ島を離れ、ナクソス島へ。が、そこで女は眠るうちに男に置き去りにされる。

 その上に被(かぶ)るのは近代日本の養蚕の物語。蚕の糸がアリアドネの糸に。糸に導かれれば成功が待つ。ある貧しい村が大正から昭和初期、養蚕で潤う。その村で蚕を育てる凄腕(すごうで)の女性が居た。すずちゃんである。村の繁栄の立役者。彼女がどうやら他国者に恋する。身ごもる。でも他国者は居着かない。すずちゃんはシングル・マザーに。娘も愛称はすずちゃん。美しく育つ。ところがそこで世界大恐慌。生糸相場は崩壊。養蚕に依存していた村は破滅。村人はパニックに陥る。これは蚕の神の怒りだ。生け贄を捧げるしかない。二代目すずちゃんが蚕を祭る島に流される。蚕の神はミノタウロス。蚕の神の島はクレタ島ギリシア神話が近代日本に再現される。

 そのまた上に重なるのは現代日本のシングル・マザーの物語。新聞記者の静元由良は兄を憎む。不倫相手の暴力的な上司ともぎくしゃく。由良がアリアドネで兄と上司がダブル・ミノタウロスというわけ。由良は次第に記者としての自信を喪失。「目を見ひらいて、見なければならない」のが記者の仕事なのに「目をあけていられない」ようになる。

 そこで恋。アリアドネにはテセウス。彼は目が不自由。蚕を飼っている。繭玉の白と彼の頼る白杖(はくじょう)が重なる。彼の部屋に居るときは居場所の分かるよう鈴をつけられる。「すずちゃん」誕生。SM監禁小説か。彼の部屋は迷宮か。由良は新聞社にも出なくなる。ついに蚕のようになる。蚕は変態を繰り返す。その間、動きを止める。「眠(みん)」と呼ばれる状態だ。由良も夢とうつつの境をさまよう。愛する者に倣ってか視力も失われる。まるで谷崎潤一郎の『春琴抄』。気が付けば身ごもっている。男は消える。ナクソス島のアリアドネの心境へ。

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 作家は以上の三重構造を上質の繭玉のように編む。時空を超えて繰り返されるひとつの筋が浮き上がる。女が男に恋する。糸を渡す。男が糸を伝って逃げる。男が女を棄(す)てるのか、女が男を見限るのか。女には子が残る。シングル・マザーだ。母は子を育てる。その子がまた誰かに恋して糸を渡す。糸が蚕糸なら女は養蚕業の女工。糸が情報なら女性新聞記者。ただこの物語にはインターバルが多い。桑畑の用意から何からやって蚕を育てる。人の子を育てる。共に時間がかかる。平穏無事な日々も必要だ。だが危機はいつの時代にも否応(いやおう)なく訪れる。クレタ島の文明も近代日本の養蚕業も衰えた。今のこの国では「政治が、憲法が、平和が、国交が、すべてがひとつの巨大で真っ黒な坩堝(るつぼ)へ逆さまに投げ入れられて」いる。本作はそう書く。

 それでも今日もどこかで由良は子供を育てているのだろう。白杖に頼って。大丈夫か。ミノタウロスゴジラに襲われないか。こんなに先が心配になる小説も珍しい。永劫(えいごう)回帰の構造を持っているせいだ。同じ筋が未来も繰り返されるに違いないせいだ。人が裏切られても棄てられても生きなければならない限り、この小説は読むに値する。

 (評論家)

 <今月の注目作>

 ●砂川文次「熊狩り」(文学界11月号)

 ●谷崎由依「囚われの島」(文芸冬号)

    −−「文芸時評 重なり合う物語 やがて危機、営みは巡る 片山杜秀」、『朝日新聞』2016年10月26日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12626232.html





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