覚え書:「寄稿 オバマとは何だったか 慶応大学教授・渡辺靖」、『朝日新聞』2016年10月29日(土)付。

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寄稿 オバマとは何だったか 慶応大学教授・渡辺靖
2016年10月29日
 
 オバマ時代とは何だったのか。次の米大統領が決まる前に、あらためて考えてみたい。

 バラク・オバマ大統領に関して最も印象的なのは、強靱(きょうじん)な理想主義者であると同時に、冷徹な現実主義者であるという点だ。

 例えば、2009年のノーベル平和賞につながった「核兵器なき世界」を訴えたプラハ演説は理想主義者の側面を、「世界に悪は存在する。時に武力は必要である」と訴えたオスロでの受賞演説は現実主義者の側面を、それぞれ映し出している。両者のはざまに落としどころを模索しようとする矜持(きょうじ)を強く感じた。

 私たちにとって記憶に新しいのは5月の広島訪問だろう。現実主義の立場に立てば、現職米大統領被爆地訪問は政治的リスクでしかない。究極の目標としての「核兵器なき世界」という理想主義なしではあり得ない大胆な行動だった。その一方で、実現するにあたっては、数年かけて入念に布石を打ち、国内外の世論とタイミングを慎重に見定めた。

 「謝罪の言葉がなかった」など、いくらでもシニカルな見方は可能だろう。しかし、日本が原爆投下への謝罪を求めるなら、米国の世論は真珠湾攻撃への謝罪を求めてくるだろう。そうした非難の応酬の先に一体何があるのか。それまで「0」だったものを「1」にした英断を私は評価したい。広島訪問を日米共通――ひいては国際社会全体――のレガシー(政治的遺産)にできるかは次代を担う私たちが考える番だ。

 同様に、再生可能エネルギーや環境技術の重要性についても、一昔前の「環境運動」とは異なり、産業競争力や国家安全保障、ひいては米国の倫理的権威の回復のためという位置付けがなされた。単なる理想として終わらせることなく、ハードパワー(軍事・経済力)とソフトパワー(規範力)の源泉と捉えることで、現実との取り結びを図ったわけである。

 理想なき現実主義も、現実なき理想主義も、不毛であるという信念。理想主義と現実主義という二項対立の昇華にこそ「オバマイズム」の本質と真骨頂があった気がする。

 もう一つ印象的なのは、新たな時代の変化に合致するよう、彼が米国の自画像(アイデンティティー)を刷新しようとした点だ。

 まず国内的には、アフリカ系として初めて米国大統領に就任したこと、就任演説で無宗教者の尊厳を擁護したこと、米大統領として初めて同性婚支持を表明したことなどがある。白人やキリスト教徒の比率が低下し、人口構成や価値観が多様化する米社会を象徴するものだった。

 また、格差拡大や中流層の没落、ジョージ・ブッシュ前大統領(共和党、01〜09年)の政権末期に発生した金融危機リーマン・ショック)など、「自由」の名の下に社会正義がむしばまれている状況を是正すべく、金融規制改革や医療保険制度改革オバマケア)など、連邦政府による規制や関与を強化した。真の「自由」のためには、放任主義ではなく、政府の一定の介入が必要だとする米国流のリベラリズムの再生だ。米国では1980年代の「レーガン保守革命」以来、政府を自由への「手段」ではなく「障壁」と見なす政治文化が支配的となり、「リベラル」には負のイメージがつきまとうが、いわばその反転を試みたわけである。

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 しかし、その分、保守派からの反発はすさまじかった。「イスラム教徒」「米国生まれではない」「社会主義者」といった事実に反する中傷に加え、共和党との対立は激化した。今回の大統領選におけるドナルド・トランプ候補(共和党)の躍進の背景には明らかに「反オバマ」感情――そして、そのオバマを制御できない共和党指導層に対する憤り――が存在する。その意味では、オバマの最大のレガシーは共和党を分裂させた点にあるのかもしれない。

 「リベラルでも保守でもない、一つの米国」という理念を掲げて歴史的就任を果たしたオバマのもと、19世紀半ばの南北戦争以来、最も政治対立が深刻な状態にあるのは皮肉としか言いようがない。

 次に対外的には、「米国は世界の警察官ではない」と公言し、第2次世界大戦後の米国の自己認識を修正した。相互依存の深化や新興国の台頭といった国際環境の変化を踏まえたうえで、米国の国益を見極め、関係国に負担共有を求めてゆくというわけだ。孤立主義と同義ではない。歴史的なパリ協定の締結に見られる気候変動への対策や核拡散防止といったグローバルな課題では、むしろ先導的な役割を果たした。

 その一方で、前世紀の戦争や対立が残した米国の重い過去に向き合い、精力的に和解を試みた点も特筆に値しよう。現職米大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、キューバやアルゼンチン、イラン、ミャンマーベトナムラオスなどと歴史的な関係改善に取り組んだ。

 しかし、こうした一連の姿勢には「謝罪外交」「弱腰外交」との批判も相次いだ。とりわけ、シリアの化学兵器使用を「越えてはならない一線」と表明したにもかかわらず、軍事行動のタイミングを逸した件は、米大統領や米国の権威失墜の象徴として多くの同盟国の不信と不安を招いた。

 中東からアジア太平洋への戦略的リバランス(再均衡)を急ぐあまり、米軍撤退後のイラク――ひいては中東全体――の青写真をおざなりにし、結果的に、力の空白を生じさせ、ロシアやイランの影響力拡大、あるいは過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭を助長したとする声も根強い。

 もっとも、そうしたオバマ外交への批判には、「世界の警察官」という往年の米国イメージにとらわれすぎているものも少なくない。「弱腰外交」と批判する側から説得力のある代替案が提示されているかというと心もとない。

 さらに言えば、問題が起きるとすぐに米国の顔色をうかがう、米国の行動を頼りにする、逆に、すべての非と責任を米国になすりつける旧来の思考パターンから、日本を含め、各国もなかなか抜け出せないでいる。例えば中国の海洋進出や北朝鮮の核問題などは、米国なしに解決できないが、米国のみで解決できる問題ではない。

 国内的・対外的なこうした自画像の刷新は、米社会とそれを取り巻く国際環境の変化を意識したものだろう。と同時に、ケニア人を父に持ち、ハワイで生まれ、インドネシアで幼少期を過ごし、シカゴの貧困地域で社会活動に従事するなど、歴代米大統領とは異色の背景や経験を有するゆえ、米国の価値観や正義に対してより謙虚で、自省的なのかもしれない。

 もっとも、自画像刷新の成果については疑問を持つ向きもあろう。「一つの米国」を掲げたものの、保守派からは「妥協に応じない」、リベラル派からは「妥協しすぎる」と不満が募り、結果的に双方の亀裂を深めた面は否定できない。オバマの熱心な支持者からも「銃規制や人種問題に消極的すぎる」「無人機攻撃が急増している」「核兵器の削減率が鈍化している」などの懸念が挙がった。

 その理由として、政治経験が浅いまま一気に大統領の座を射止めたことや、孤高と思弁を好む性格もあり、泥臭い根回しや駆け引きが不得手な面があげられよう。

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 その半面、この8年間、大きな醜聞もなく、清廉潔白かつ冷静沈着な態度を貫いた点には保守派からも称賛する声がある。演説ではつねに独立宣言や合衆国憲法の精神に立ち返り、民主主義における調査報道の重要性を繰り返し説いたのもオバマだった。トランプとの落差に困惑を禁じ得ない。

 目下、支持率はロナルド・レーガン大統領(共和党、81〜89年)やビル・クリントン大統領(民主党、93〜01年)の2期目のこの時期と並ぶ高水準にある。今や米国最大の年齢層となり、今後数十年にわたり米国の政治や文化の中心を担うミレニアル世代(2000年以降に成人になった層)からの人気も高い。多様性に寛容で、経済格差や人権、環境など社会正義に敏感なのがこの世代の特徴だ。オバマは米国の自画像や政治文化に及ぼした影響も含め、今後、「民主党レーガン」のごとき存在として、英雄視されてゆくのではないか。

 その一方で、オバマ時代とは米国の社会や政治をもはや一国内の問題としてだけではとらえられなくなった8年間だとの思いも強くする。

 例えば、今回の米大統領選では民主党内の「サンダース現象」と共和党内の「トランプ現象」が話題になった。支持基盤の違いこそあれ、どちらも中流層の没落やアメリカンドリームの喪失に対する不安や憤りに突き動かされた現象だった。中流層の没落――そして、それに絡んだ排外主義や孤立主義の高まりなど――は米国のみならず、グローバル資本主義を生きる先進国共通の課題でもある。

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 7月の両党の党大会では「反TPP(環太平洋経済連携協定)」を訴えるプラカードが目に付いた。昨今、稀有(けう)な共通点だ。オバマのアジア重視戦略の柱の一つであるTPPは議会での批准が危ぶまれている。今回の選挙結果がどうあれ、両党ともにこうしたポピュリスト的な衝動に拘束され、中長期的には2大政党のイデオロギー的再編が生じる可能性もある。

 それはもはやオバマ個人の資質や能力を超えた課題でもある。グローバル化の論理と力学のなか、米大統領や米国の裁量の余地は今後さらに制約されてゆくのではないか。他国の台頭に伴う米国の相対的なパワーの衰退を考えればなおさらだ。

 オバマ旋風が世界を席巻した8年前。日本でも「オバマ本」が平積みされ、オバマの演説は多くの英語学習教材にもなった。他国の指導者では考えられない特異な光景だった。しかし、そうした時代はもう来ないのかもしれない。

 米大統領が辛うじて輝きを放っていた最後の時代。それがオバマ時代だったのではないか。

 大統領選直前の喧騒(けんそう)のなか、そんな思いが心をかすめる。

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 わたなべやすし 1967年生まれ。専門はアメリカ研究、文化政策論。主な著書に「アフター・アメリカ」「<文化>を捉え直す」など。
    −−「寄稿 オバマとは何だったか 慶応大学教授・渡辺靖」、『朝日新聞』2016年10月29日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12631601.html





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