覚え書:「天声人語 戦記作家の貫いたもの」、『朝日新聞』2016年11月03日(木)付。

Resize5325

        • -

天声人語 戦記作家の貫いたもの
2016年11月3日

 中国の戦地を舟で移動中、居眠りをして川に転げ落ち、不器用で気弱な小隊長に奇妙な友情を抱く「ぼく」――。先週、99歳で亡くなった作家伊藤桂一さんの直木賞受賞作「蛍の河」を初めて開いた。兵士たちの日常を淡々と描き、読後感は意外にもほんのり温かい▼大正6(1917)年生まれ。4歳の時、住職だった父を交通事故で失う。母子で寺を出た。進学や教職をあきらめて入隊したのが21歳。歩兵や騎兵として、大陸を計7年近く転戦した▼代表作「静かなノモンハン」は日ソ両軍がモンゴルの東端でぶつかった昭和14(1939)年の戦いを、生存兵からの聞き取りで詳述した。自分たちは何の狙いで送り込まれたのか。それすら教えられぬ若者たちがやみくもに殺し殺されていく▼詩「連翹(れんぎょう)の帯」からは前線で倒れた兵士の肉声が聞こえてくる。〈砲弾は歌いながら空を渡ってきました〉〈遺骨は罐詰(かんづめ)の空罐に納めます 背負って歩くと骨が歌います〉。激戦地には黄一色のレンギョウが鮮やかに咲いていた▼「私たち大正生まれは戦争で一番使われた世代。中学の同窓生は半分くらいが戦争で死んだ」と本紙に語った。後の世代に戦争の実相を伝えることを自らの使命とした▼伊藤さんが語った通り、戦争には常に「命令する側」と「命令される側」がある。自衛隊がはるか異邦に派遣され、その任務は重くなる一方だ。戦場で「される側」に属し、戦後は「される側」の声を拾い続けた作家は何を思っていただろう。
    −−「天声人語 戦記作家の貫いたもの」、『朝日新聞』2016年11月03日(木)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S12639949.html





Resize5282

Resize4322