覚え書:「耕論 冤罪なくすには 指宿信さん、木谷明さん、鎌田麗香さん」、『朝日新聞』2016年11月16日(水)付。

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耕論 冤罪なくすには 指宿信さん、木谷明さん、鎌田麗香さん
2016年11月16日


近年の主な冤罪事件
 
 21年前に起きた放火殺人「東住吉事件」の再審無罪がこの夏に確定した。近年、冤罪(えんざい)の発覚が相次ぐ。この国は過ちに学べているか。防ぐ手立てはないのか――。

 ■原因調べる独立機関、必要 指宿信さん(成城大学法学部教授)

 日本は冤罪から教訓を得ているか? 「否」というのが私の結論です。

 その証拠が、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を機に始まった刑事司法改革に顕著に表れています。議論中にいくつもの冤罪が発覚したのに、今年5月成立の改正刑事訴訟法に生かせませんでした。

 袴田事件では裁判所が「証拠の捏造(ねつぞう)があった」と批判し、布川(ふかわ)事件では再審請求の後になって無罪を裏付ける目撃証言が出てきました。検察が証拠を適切に出さなかったことが問題になりましたが、改正法は「全証拠」の開示ではなく「証拠リスト」の開示にとどまりました。

 志布志(しぶし)事件やPC遠隔操作事件のような裁判員裁判にならない事件でも、深刻な虚偽自白が生まれています。にもかかわらず、改正法で取り調べ録音・録画(可視化)の対象になったのは裁判員裁判と検察が独自に捜査する事件だけ。冤罪の問題点を制度に取り込むことを怠りました。

 再審で冤罪が救済されても、問題の検証は甘く、抜本改革へのステップを踏めない。これが日本の刑事司法の現実です。「冤罪防止サイクル」を作るために、まずは誤判原因を徹底的に調べる独立機関が必要です。

 英国は、国家的な課題に対して予算と権限のある独立の調査委員会が検証する伝統があり、冤罪にも適用しています。その報告を受けて1990年代に生まれたのが刑事事件再審委員会(CCRC)。第三者の立場で再審請求事件を調べ、再審査を裁判所に命じる仕組みができました。

 米国でも10州以上に調査委員会があります。ノースカロライナ州では冤罪事件の当事者だった警察官も交えた委員会を州最高裁長官が作り、証拠の全面開示や可視化といった法改正が次々に実現しました。CCRCのような機関もできました。カナダも同様です。87年に初めて設置された第三者委員会は警察官や目撃証人ら約100人から事情を聴き、1500ページにわたる報告書をまとめました。

 どの国も、日本のように深刻な冤罪を経験して、こうした仕組みができました。

 しかし、ここまで対応が違うのはなぜでしょうか。

 ヒントの一つが、これらの国に共通する陪審制です。法律家の主張と証拠をもとに市民だけで有罪無罪を決めるため、法律家には「市民が誤れば自分たちの責任」という自覚があります。それが間違いを犯さない仕組み作りにつながっています。

 ならば、裁判員制度を導入した日本にも可能性はあると言えます。日本の法律家たちも「裁判員に冤罪に加担させてしまってからでは遅い」という自覚を持ち、冤罪を制度改革につなげるステップづくりを急ぐべきです。

 (聞き手・阿部峻介)

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 いぶすきまこと 59年生まれ。鹿児島大学立命館大学教授を経て現職。著書に「被疑者取調べ録画制度の最前線」など。

 ■検察の主張、信じ込まない 木谷明さん(元裁判官)

 冤罪が生まれる背景には、個々の裁判官に「なんとしても冤罪を防止しよう」という熱意が足りないことがあります。誤判について裁判官は道義的責任を痛感すべきです。

 ただ、「無罪かもしれない」と感じても、無罪判決を避けたがる理由もあるのです。検察官に上訴権があり、無罪判決が往々にして破棄されるからです。その結果、「人事上の不利益」をおそれ、及び腰になる裁判官も出てきます。

 最初から検察側の主張を信じ込み、「被告人はうそをつく」と決めつけている裁判官もいます。確かに刑を逃れるため、うそや言い訳をする被告人がいるのは事実です。しかし、それに慣れて「この被告人もまたか」としか考えられないのなら、裁判官の資格はありません。

 最高裁判事のもとで下調べをする調査官をしていた際、鹿児島県で起きた夫婦殺人事件を担当しました。男性が知人夫婦を殺した罪で起訴され、一、二審とも懲役12年の判決でした。男性は別件で逮捕・勾留されて殺人容疑で取り調べを受け、否認しましたが、3カ月後に「自白」しました。しかし、こうした経緯でなされた自白を信用できるのか。心配でした。

 記録を見て驚いたのは、自白を裏付ける物証がほとんどないまま地裁と高裁が有罪判決としていたこと。凶器の行方は不明で、検察官が「被害者に付着していた」とする体毛が、事件後に被告人から採取した体毛にすり替えられていた可能性まであった。最高裁は全員一致で有罪判決を破棄し、被告人は差し戻し審で無罪とされ、確定しました。

 被告人が否認しているなら弁解に謙虚に耳を傾ける。捜査権力を信用しない。権力は常に腐敗するおそれがあると意識する。裁判官が決して忘れてはいけないことです。

 大阪地裁で8月に再審無罪が確定した「東住吉事件」は、常識的に考えれば冤罪だとすぐにわかったはずです。住宅火災で女児が死亡し、殺人罪に問われ否認していた母親らが長時間の取り調べなどで自白している。誤判につながる危険性があると、すぐピンとこなければいけません。

 冤罪と判明した事件についてはどこで誤ったのか、開かれた場で検証することが絶対に必要です。たとえば一般有識者もメンバーに入れた調査委員会を国会に置き、検証結果を共有する、といった仕組みを作るべきでしょう。

 裁判所内部で勉強会を開くなどして検証はされていますが、それだけでは十分とは言えません。裁判員裁判では、国民も判断に加わります。被告人の自白に引きずられたり、弱い状況証拠の積み重ねだけで誤判となったりしたケースを、裁判官だけでなく国民全体で学ぶことが重要だと思います。

 (聞き手・釆沢嘉高)

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 きたにあきら 37年生まれ。水戸地裁所長や東京高裁判事を経て2000年退官。弁護士。著書に「刑事裁判の心」など。

 ■47年間の拘束が心を壊す 鎌田麗香さん(東海テレビ記者)

 三重県名張市で女性5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」と、「袴田事件」を追ったドキュメンタリー映画「ふたりの死刑囚」を監督しました。今年1月から11の劇場で上映されました。

 東海テレビでは名張事件の奥西勝(まさる)さん(89歳で獄死)を追い、1987年から5回、ドキュメンタリーを作っています。新たな企画を考えていたら、2014年3月に袴田巌さん(80)が釈放された。彼に迫れば、奥西さんの気持ちを想像できるのではと考えたことがスタートでした。

 釈放の4カ月後に初めて会い、衝撃を受けました。家の中を同じルートで一日中歩き回る。会話は成立せず「自分は全能の神」という。精神科医に尋ねると、死刑の恐怖から逃れるための防御反応だろうと分析していました。

 8カ月間通い続けて、回復の過程にも接しました。突然外に出たり、得意だった将棋を始めたり。お姉さんや支援者の働きかけでちょっとずつ変化があるんです。でも47年7カ月間の拘束ですから、すぐに回復なんてしない。

 釈放から1年たって落ち着いてきたころ、「いま幸せですか」と一番したかった質問をしたんです。答えは「(幸せとは)世界の平和である」。空しかった。境遇に怒り狂ってもいいのに、そうした精神は眠らされてしまった。悲しみや怒りを通り越してしまったんだ、と感じました。

 冤罪の影響は家族にも及びます。お姉さんは今でこそ気丈ですが、光の見えない中を歩き続ける不安から、よく泣いていたといいます。奥西さんの妹さんも無実と確信していたのに、村八分のような状態になって隠れて生きてきた。再審請求を引き継ぎ、マスコミに出られるようになったのは最近のことです。

 二つの事件で対照的なのが証拠開示です。「最良証拠(ベスト・エビデンス)主義」という検察用語があります。有罪と見込んで起訴すれば、それに沿う証拠だけを出す。裏を返せば、都合の悪い証拠は出さない。袴田事件と違い、名張事件で開示された物証は酒びんのふたの歯形鑑定ぐらい。証拠リストの開示すらないまま、奥西さんは昨年10月、病死しました。どこがベストなんでしょう。

 個人の時間は有限、組織の時間は無限。取材を通じて出した結論です。検察や裁判所は担当者を代えながら、命がかかった問題を先送りする。根底には冤罪の深刻さに対する無理解があるのでしょう。

 再審の判断にこそ、裁判員裁判のように外の目を入れなければいけないと感じます。裁判所や検察の裁量だけで証拠開示の範囲が決まり、命運が左右される仕組みはやはりおかしい。第三者の意見を採り入れるような仕組みを作るべきだと思います。

 (聞き手・阿部峻介)

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 かまたれいか 85年生まれ。東海テレビで警察・司法を担当後、「ふたりの死刑囚」を監督。名張事件の取材を継続中。
    −−「耕論 冤罪なくすには 指宿信さん、木谷明さん、鎌田麗香さん」、『朝日新聞』2016年11月16日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12659688.html





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