覚え書:「時事小言 トランプ氏の当選 指導者失った自由世界 藤原帰一」、『朝日新聞』2016年11月16日(水)付夕刊。

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時事小言 トランプ氏の当選 指導者失った自由世界 藤原帰一
2016年11月16日 夕刊
 
 このたびアメリカ大統領に当選したドナルド・トランプは、どのような政策を目指すのだろうか。

 選挙のさなかにトランプが表明した政策は、貿易における保護主義と、軍事外交における孤立主義である。環太平洋経済連携協定(TPP)はもちろん、現行の北米自由貿易協定(NAFTA)も退け、中国や日本の輸入品に高関税をかけると主張する。北大西洋条約機構NATO)も日米安保も見直すべきだとして、アメリカの同盟政策の改定を打ち出した。

 保護貿易孤立主義の主張はアメリカ対外政策を抜本的に変えるだけに、アメリカ内外の専門家は懸念を表明した。他方、沖縄の米軍基地撤退やTPP廃棄に期待を寄せる人もいる。

 選挙の公約と現実の政策が違うことは珍しくない。では、政権の座についたトランプ大統領はどのような政策に取り組むだろうか。

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 まず、トランプが同盟の見直しは求めても同盟を否定していない点に注意しなければならない。トランプの要求は米軍駐留経費など同盟国の分担増加であり、同盟の見直しは同盟国が負担増に応じるように加える圧力だからである。

 TPPやNAFTAの否定も、貿易協定の廃棄ではなく交易条件の変更、すなわちアメリカに不利と見える交易条件を打ち破ることが目的であると考えるべきだろう。TPPが廃棄された後も、貿易協定を拒むのではなく、アメリカにより有利となる新たな貿易協定が模索されることになる。

 トランプが大統領になったからといってアメリカが同盟を廃棄し、世界経済から離脱するわけではない。それでは、トランプのアメリカは中道的かつ現実的な政策運営に向かうのか。私はそう考えない。アメリカが国際主義から離れてしまうからだ。

 国際秩序を維持する上で必要となる条件が大国の自制である。どれほど軍事力と経済力で勝っていても、大国が自国の利益だけのために行動するならば、他国との衝突を避けることはできない。各国との協力を実現し、維持するためには自国の権力行使を抑制する必要がある。覇権国アメリカの自制は国際協調を実現するためには不可欠の条件であった。

 東西冷戦のもとではアメリカだけでソ連に対抗することはできず、同盟国をとりこむためにアメリカは自制を強いられた。米ソ冷戦終結により欧米諸国の軍事力と経済力を背景としつつ民主主義と資本主義に基づく自由世界の構築が目指されたが、優位を過信したアメリカは自制を取り払ってイラク介入に踏み切ってしまう。その無残な結末に加え、中国・ロシアの欧米との競合が強まり、世界金融危機以後の世界経済が停滞するとともに、自由世界の団結は著しく弱まった。それでもオバマ政権のもとで少なくとも8年間、アメリカ主導とはいえ狭義におけるアメリカの国益だけには走らない対外政策がとられてきた。

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 だがアメリカ国内には、国際主義のもとでアメリカは他国に利用されるばかりだという反発が生まれた。トランプを大統領に選んだアメリカは、アフリカ系、ラテン系、アジア系、そして女性など、白人男性以外の人々を含む多様な社会ではなく、白人男性の主張と力をはっきりと表に出したアメリカであった。そのような立場を外交に反映したものが、国益のためには他国との協調を犠牲にすることも厭(いと)わない、アメリカ第一の対外政策である。

 このような自国優位の政策は、ロシア、中国、それでいえばインドや日本などの現在の指導者も共有する姿勢であるだけに、これらの諸国は、たとえアメリカと利害の対立はあっても、トランプのアメリカと交渉し、生き延びる準備を始めるだろう。だが、国際制度の弱体化は避けられない。

 選挙戦で訴えた政策をそのまま実行するなら、イランとの核合意も、地球温暖化に関するパリ協定も破棄されてしまう。シリア難民の受け入れを拒むばかりでなく、現在アメリカ国内に居住する不法移民も強制退去を求められるだろう。国際制度の役割が後退するとともに、世界は自由世界の統合から国民国家が不寛容に競合する状況へと変化、あるいは退化し、その退化を受け入れようとしないEU諸国、特にドイツとアメリカのズレは拡大せざるを得ない。

 アメリカがトランプを大統領に選ぶことで、自由世界は指導者を失った。国際政治に指導者は要らないと考えるなら問題はない。だが、私たちは本当に権力闘争だけの国際政治を望んでいるのか。国際政治における制度や合意は要らないのか。トランプのアメリカが突きつける問題は、そこにある。(国際政治学者)

 ◆月に一度、掲載します。
    −−「時事小言 トランプ氏の当選 指導者失った自由世界 藤原帰一」、『朝日新聞』2016年11月16日(水)付夕刊。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12661344.html


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