日記:「どこにでも転がっている」日常を奪われるということ


土日が休みでしたので、色々と史料を精査しながら、論文の仕込みをしておりました。その合間にオールドデジカメで桜を撮影しつつ(後日upしますが)、というどこにでも転がっている日常生活を営んでおりましたが、先週、妻から、こどもが隣町のレンタルDVDショップにいくので一緒に行くか?と誰何がありましたので、その話にのり、2月に劇場版の『相棒』を鑑賞しに行って以来ですが、親子3人で、メディアショップからホテルのランチバイキング、そんで、熱帯魚のプレコの仕入れ、みたいな「どこにでも転がっている」休日を楽しみました。

やっぱり、成長は早いというか、一緒に暮らしていない分、その速度に驚くわけですけど、子どもがやっぱり「大きくなったなあ」ということにしばしばし驚きました。

そんで、かれ自身も色々と考えて配慮しているのでしょうか……。
一緒に暮らしていいた時は「死ね、糞爺」という罵倒をよく耳にしましたが、今日も「死ね、糞爺」みたいな言葉を連呼はしておりましたが、それでも、私と空間と時間を共有していることには、「いつかは一緒に暮らせるんだよね、まあ、そのためにがんばれよ」みたいな言葉を、まあ、それは言葉の割合としては1%ぐらいですけど、ぼそっと言っていたことには、驚きつつ、まあ、ありがたいなあーと思った次第です。

現在のかくなるような事態になってしまうことは、想像だにもしておりませんでしたが、私としては、その、つまり、異議申し立てをしたことにいささかに悔いもありませんし、「言えない」状況や圧力があることは承知しておりましたが、やっぱり、言っておかないと、私自身が生きるという「究極的関心事」が蒸発してしまうんじゃないかというところがありましたので、内鑑冷然・外適時宜を退けた次第です。

ただ、それはそれとして、家族離散から1年。今年は、その目処を立てる1年にしていきたいなと思った次第です。

しかし、あれですわ。先の『週刊金曜日』への寄稿もそうですけど、私の言論に対する「批判」は一切できず、それ以外のところで「嫌がらせ」するしかできないという点は、今更ながらですけどお粗末すぎるなあという話でもあります(呆

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