日記:思考欠如(ソートレスネス)−−思慮の足りない不注意、絶望的な混乱、陳腐で空虚になった「諸真理」の自己満足的な繰り返し−−の時代に、「私たちが行っていること」を吟味する意味

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 しかし、それはただ外見においてそう見えるだけである。近代は理論の上でも労働を栄光あるものとし、その結果、社会全体は労働社会へと事実上変貌を遂げた。したがって、おとぎ話の中でかなえられる望みにも似て、労働からの解放という願望が実現される瞬間、この願望の実現そのものが帳消しになってしまう。労働の枷から解放されようとしているのは労働者の社会なのであって、この社会は、そのためにこそ労働からの自由を手にするのに値する労働以上に崇高で有意味な他の活動(アクティビティ)についてはもはやなにも知らないのである。この社会は、平等主義が人びとを共生させる労働の仕方であるゆえに平等主義的であり、その内部には階級もなく、また、人間の他の能力の回復の新しい出発点となりうる政治的あるいは精神的な貴族制もない。大統領や国王や首相でさえ、自分たちの公務を社会の生活に必要な賃仕事(ジョブ)であると考え、知識人の中では、自分たちの行っていることを生計としてではなく、仕事(ワーク)として考えるただ孤独な個人だけが残る。私たちが直面しているのは、労働者に残された唯一の活動力である労働のない労働者の社会という逆説的な見通しなのである。もちろん、これ以上悪い状態はありえないだろう。
 本書は、このような緊急の問題や難問にたいして解答を与えようとするものではない。むしろ、このような解答は、日々与えられている。これは実践的な政治にかんする事柄であり、多数者の同意に属するものである。つまり、この解答をただ一人の人間の理論的考察や意見の中に求めることはできないし、ただ一つの解答しかありえないかのように問題を取り扱ってはならないのである。これから私がやろうとしているのは、私たちの最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討することである。これは明らかに思考が引き受ける仕事である。ところが思考欠如(ソートレスネス)−−思慮の足りない不注意、絶望的な混乱、陳腐で空虚になった「諸真理」の自己満足的な繰り返し−−こそ、私たちの時代の明白な特徴の一つのように思われる。そこで私が企てているのは大変単純なことである。すなわち、それは私たちが行っていることを考える以上のものではない。
 「私たちが行っていること」こそ、実際、この本の中心的なテーマである。本書は、人間の条件の最も基本的な要素を明確にすること、すなわち、伝統的にも今日の意見によっても、すべての人間存在の範囲内にあるいくつかの活動だけを取り扱う。このため、あるいはその他の理由で、人間がもっている最高の、そしておそらくは最も純粋な活動力、すなわち考えるという活動力は、本書の考察の対象とはしない。したがって、理論上の問題として、本書は、労働(レイバー)、仕事(ワーク)、活動(アクション)にかんする議論に限定され、これが本書の三つの主要な章を形成する。
ハンナ・アレント(志水速雄訳)『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年、14ー16頁。

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