日記:東西の思索の一角を宣揚するでもない、負荷を自覚するポイント

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 たしかにヨーロッパで王道となる哲学はプラトン哲学である。プラトン哲学の系譜に連なる哲学者は、「知を愛し求める」場において、真理を他者とのあいだの「討議」を通じて調べるという、知性に緊張を強いる「ソクラテスの問答」を盛んに用いた。それに対してエピクロスの哲学は、いずれの問題に対してもひたすら思慮を求める。しかしその愛求は、批判的吟味によるものではなく、まことに穏やかなものであった。それゆえ人目を惹くものではなく、ただ穏やかに良識的であることを理想としている。
 神の意向を受けた「知の闘い」を、人々のあいだで繰りひろげた「ソクラテスの問答」が、その後の歴史を通じてもてはやされ、ひろめられて、「ヨーロッパの知恵」になったのは事実である。しかし誤解すべきではない。思いだしてほしいのだが、ソクラテス本人は好んで問答をしたのではなかった。むしろソクラテスの問答によって社会の権威者たちが打ちのめされるのを見て喜んだ若者の文化が、ソクラテスの問答を英雄に仕立て、ヨーロッパの知的文化伝統を作りだしたと、と見るべきだろう。
 ヨーロッパの歴史のなかでは、第三極の哲学は、華やかに英雄視されるソクラテスの問答をとりこむことで知的緊張を喜ぶ哲学者からは、二流の哲学の扱いを受ける。しかしエピクロスの哲学を代表とする第三極の哲学は、人が生きることの困難な時代に、人々に生きるための道標を与え、慰みをもたらす反省をうながしてきた。アウグスティヌスが内的生(道徳)の問題に特化して哲学する青春をすごしたのも、外的事象は内的生とは無関係な事象として区別してよいと考えるストアやエピクロスの思想が、すでにインテリの世界で常識となっていたからだと考えられる。
 エピクロスが代表するこの第三極の哲学は、ストア哲学を含めて、ヨーロッパが近代を迎えるさいの混乱のなかでも一定の役割をはたしたし、ニーチェにみられるように、世紀末のヨーロッパにもあらわれた。日本語となった「哲学」という翻訳語も、この第三極の哲学を表していて、残りの二極の哲学をうまく表していてない。そのため昨今の日本では、ヨーロッパの哲学本来の意をあらわすために、「知の愛求」とか「愛知学」とか表現することも多くなっている。
 すでに述べたことであるが、日本を含めて東洋の哲学は、インド由来の仏教哲学をのぞくと、この第三極の哲学の伝統しかもたない。
 「奥深い思慮を求める」という点では、この第三極の哲学も「知を愛し求める」ものである。思慮は知恵なのであるから、「知を愛求する」第二極と「思慮を求める」第三極の哲学の相性が悪いわけはない。しかし知を愛求する第二極の哲学が、ヨーロッパにおいて第一極の「討議による真理の吟味」と相性がいいほどには、思慮を深める第三極の哲学は、第一極の知の吟味を含まない。わたしたち日本人が一般に馴れ親しんでいる哲学は、もっぱらこの第三極の哲学、すなわち、思慮深さを求める哲学である。そのため、残り二極の哲学を端的にあらわすことばを、日本語でもつことがたいへん困難なのである。
 話が混乱するかもしれないが、日本の思慮深さは、さらに第三極の哲学に属するエピクロスがもった「自然と道徳の区分」をもたない。したがって日本的思慮は、ヨーロッパの哲学の流派のなかでは、第三極の哲学であっても、その内容はエピクロスの哲学とはやはり異なる。しかしこの第三極の哲学はそれの学習においてことさら「知の吟味」を必要としない点において、日本人には近づきやすいのである。
 くりかえすが、その哲学においてエピクロスは、人間の内的生と外にひろがる自然をわける。この伝統はヨーロッパの知的伝統としていまも生きている。それゆえヨーロッパの哲学全体を見わたすためには、この流派の哲学を知らずにすごすことはできない。それを無視することはあとのふたつの流派の理解にも混乱をもたらす。
    ーー八木雄ニ『哲学の始原 ソクラテスはほんとうは何を伝えたかったのか』春秋社、2016年、67ー69頁。

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