覚え書:「そこが聞きたい 慰安婦問題 日韓合意1年 元アジア女性基金専務理事・和田春樹氏」、『毎日新聞』2016年12月28日(水)付。

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そこが聞きたい

慰安婦問題 日韓合意1年 元アジア女性基金専務理事・和田春樹氏

毎日新聞2016年12月28日 東京朝刊

残された差別意識の克服
 慰安婦問題を巡る日韓合意=1=から28日で1年を迎える。歴史的意味をどう考えるか。朴槿恵(パククネ)大統領が弾劾訴追された影響はどう出るのか。慰安婦問題とは何だったのか。アジア女性基金=2=の専務理事を務めた歴史学者、和田春樹氏(78)に聞く。【聞き手・岸俊光、写真・中村藍】

−−合意をどう評価しますか。

 安倍晋三首相は朴大統領の要望に応え、解決を図ることはないのではないかという観測がありました。合意はみなを驚かせたわけです。私は最初、唐突な印象を持ちました。関係者の意見を聞いて出されたものではないし、首相同士ではなく、外相間の合意になっていました。これが待ち望んでいた回答か、と疑問を感じたのです。韓国が日本大使館前の少女像問題の解決に努力すると約束したことはある程度予想していましたが、韓国では強い反発が起きました。最終的かつ不可逆的な解決が強調された意味も気にかかりました。

 そうではあっても、合意を拒絶すべきだとは考えませんでした。日本のアジア女性基金に強い抵抗があり、償いを受け入れない被害者が多数を占める中でたどりついた新しい合意ですからね。千数百回に及ぶ韓国市民のデモもありました。日本政府が謝罪し、10億円を差し出すのを基本として、被害者に受け入れてもらうためにもう一歩の努力が必要だと思ったのです。私は、大使がおわびの手紙を持って被害者を訪ねるよう提言しましたが、実現しませんでした。

−−韓国の市民団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)などが合意前に、日本政府及び軍が軍の施設として「慰安所」を立案・設置し、管理・統制したと認め、公式に謝罪することなどを要求しました。

 この提案が求めたのは、慰安婦問題とは何かという事実認識をはっきりさせ、謝罪することです。そのうえで日本政府に謝罪の証しとして賠償してほしい、と。アジア女性基金が届けた歴代4人の首相(橋本龍太郎小渕恵三森喜朗小泉純一郎の各氏)のおわびの手紙にも、歴史認識の部分は入っていませんでした。安倍首相の謝罪はどうなるだろうと考え、私は「日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たち」というアジア女性基金慰安婦の定義を入れれば提案に応えることになると思い、昨年末に挺対協に提示してみました。簡単すぎるという反応でしたし、結局そういう文言も入りませんでした。しかし、合意の前提には一定の歴史認識があるのです。河野談話や、アジア女性基金の考え方がこのたびの謝罪の前提です。

−−合意を実現した朴大統領の手腕をどう見ますか。

 朴氏がなぜこの問題に固執したのかは分かりません。でも、決定的な役割を果たしたと言えるし、日韓関係史上の特筆すべき出来事だと思います。前任の李明博(イミョンバク)大統領も(慰安婦問題に関する韓国政府の不作為を違憲と判断した2011年8月の)韓国憲法裁判所の判決を受け、日本と強引な交渉をして竹島訪問という挙に出ました。朴氏はそれ以上に、あくまで問題の解決を図る、応じなければ日韓首脳会談は行わないという強硬な姿勢でした。女性大統領として、ぜひ達成したいと思って行動したのではないかと想像します。

 金大中(キムデジュン)氏も金泳三(キムヨンサム)氏も盧武鉉ノムヒョン)氏も盧泰愚(ノテウ)氏も、歴代の韓国大統領は日本に正面から慰安婦問題を解決してほしいとは言わなかったのです。この問題は、挺対協、被害者と、日本政府、アジア女性基金の対立でした。李氏と朴氏はそこから転じ、大統領が主体となって交渉しました。朴氏は米国の支持も取り付けました。15年の日中韓サミットでは、歴史問題で日本に批判的な「中国カード」も使いました。そのうえで日韓首脳会談で安倍首相に答えを迫ったのです。思い起こすのは、日韓新時代を共同宣言した金大中氏の時に、慰安婦問題での対立を超える努力をしてもらえなかったことです。日本国民の償いの意思をくんでほしいと食い下がったのですが。

−−朴氏の友人による国政介入事件の影響は?

 韓国では、朴氏に反対する人たちは、合意を白紙撤回して、次の大統領が交渉をやり直すよう主張しています。しかし、合意を批判することはできても、やり直しは不可能です。日本政府は10億円を拠出し、韓国側が被害者に届けてしまったのですからね。今となってみれば、朴氏が大統領の職を務めるには無理があったかもしれません。残された課題は、新しい大統領が朴氏がやった合意の上に立って大きな立場で整理していくのが望ましい。慰安婦問題はまだ韓国以外の国との間で残っています。韓国の被害者に10億円を出したのなら、基金が何もしていない北朝鮮、中国、東ティモールに何かすべきです。

 韓国政府が設けた「和解・癒やし財団」には−−私は韓国語でより意味が重い「和解・治癒財団」と呼びますが−−生存する被害者に現金の支給を終え、遺族にも支給したうえで、残ったお金をどうするかを説明してほしいですね。慰霊碑を建てることが最後の問題になると考えます。碑文について日韓が合意すべきです。慰霊碑で韓国国内の合意ができれば少女像の問題も解決されるでしょう。

−−振り返って慰安婦問題とは何だったのでしょうか。

 慰安婦問題を議論するのは難しい。話すこと自体がはばかられるような問題です。この間、法的な責任論で全てを押し切ろうという主張がありました。それはやはり無理があった。アジア女性基金が道義的責任論を掲げ、日本による戦争の被害者に贖罪(しょくざい)事業を行ったことは意味があると思います。根本的には個人の問題だし、国民同士の感情の問題でもある。普遍性のある議論だったのです。フランスなどで今日、イスラム系の元植民地出身者がテロリストになる深刻な事態が起きています。そうした問題ともつながります。近代の負の遺産である差別意識をどう克服するかという人類史的な課題です。慰安婦問題は、これで一応の決着をみました。しかし、植民地支配や戦争責任の問題は今後も長く残っていくと思います。

聞いて一言
 日韓合意が被害者に届くことを願い、1年前に「傷癒やす真の解決を」という記事を書いた。十数年、この難問を取材して感じるのは、国と国とが手を携える難しさだ。アジア女性基金の償い事業には韓国が強く反発した。民主党政権下の交渉は指導者の息が合わなかった。いま韓国政界の混乱に接すると、戦後70年は唯一の機会だったように思える。アジア女性基金をはじめとする努力は、他に類を見ない貴重な経験である。そこから学び、この合意を生かさなければならない。

 ■ことば

1 日韓両政府の合意
 日本政府は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた慰安婦問題の責任を痛感▽安倍首相は全ての元慰安婦に心からおわびと反省を表明▽韓国政府が元慰安婦を支援する財団を設け、日本政府の予算で10億円程度を拠出▽問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認。両国とも互いの非難や批判を控える▽韓国は日本大使館前の少女像について適切に解決されるよう努力。

2 アジア女性基金
 河野談話に基づき、村山富市内閣が1995年7月に設立。2007年3月解散した。和田氏が新著「アジア女性基金慰安婦問題 回想と検証」(明石書店)で明らかにした償い事業などの詳細は、寄付金収入5億6535万5469円、政府補助金34億8431万2000円、政府拠出金13億3059万2497円。一方、償い金5億7008万5616円、医療福祉11億5144万522円。

 ■人物略歴

わだ・はるき
 1938年生まれ。東京大名誉教授(ロシア史、現代朝鮮)。2010年に韓国・全南大から人権と民主主義への貢献を評価され、金大中学術賞を授けられる。95年アジア女性基金呼びかけ人、97年運営審議会委員、00年理事、05年専務理事。
    −−「そこが聞きたい 慰安婦問題 日韓合意1年 元アジア女性基金専務理事・和田春樹氏」、『毎日新聞』2016年12月28日(水)付。

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