覚え書:「ニッポンの宿題 老いるニュータウン 藤村龍至さん、石橋尋志さん」、『朝日新聞』2017年01月06日(金)付。

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ニッポンの宿題 老いニュータウン 藤村龍至さん、石橋尋志さん
2017年1月6日

泉北ニュータウンと全国の高齢化率<グラフィック・甲斐規裕>
 高度経済成長期、ニュータウンは夢のマイホームの舞台として憧れの的でした。国土交通省によると、大小合わせて全国に2009あり、開発区域を合わせると大阪府とほぼ同じ面積になります。でも、造成開始から数十年がたち、街も人も老いてオールドタウンと揶揄(やゆ)されるところもあります。ふるさとがこの先も輝き続けるために、何ができるでしょう。

 

 ■《なぜ》ムダな縦割り、経営の発想を 藤村龍至さん(建築家、東京芸術大学准教授)

 ニュータウンでは、日本全体の問題が先行して起きてきました。高齢化、人口減少、空き家、医療・介護サービスの不足、そしてコミュニティーの空洞化。この国の未来の縮図といえます。

 1960年代後半から80年代にかけて、人口が増えていた時代に、都市部の住宅不足を解消しようと、短期間に一斉開発されました。同じ世代や属性の人たちが集中して入居したので、人口構成が偏ってしまった。開発から40年、50年経てば、住民は一斉に高齢者になります。病院も介護施設も高齢者であふれようとしています。

 旧日本住宅公団(現UR都市機構)が開発した大規模のものばかりがクローズアップされがちです。もちろん高齢化しているところはありますが、規模が大きいぶん、開発主体のURさえその気になれば、投資も呼び込めるし、再生もしやすい。

 一方、民間が開発した小規模から中規模のニュータウンは深刻です。戸数でいえば1千〜5千戸くらいで、戸建てと集合住宅が混在している。開発主体が撤退し、頼る相手がいない。投資を呼び込もうとしても、規模が小さくて採算がとれない。

 住民は、「いずれ自治体が手をさしのべてくれるのでは」「企業が参入してくれるのでは」と漠然と期待するだけで、何をしていいかわからない。不動産事業者も、開発が終わったニュータウンにはあまり目を向けようとしません。

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 これからは、地域を効率的に「経営」していく発想が求められますね。課題は、縦割り行政のために、地域の福祉、市民自治、教育など住民サービスの区分けがずれていることです。それぞれが別々の論理で動き、どうしてもムダが多くなる。まず、区分けを一致させることが重要です。

 埼玉県鶴ケ島市のある地区では、住民組織が中心になり、小学校区をもとに福祉、自治会、教育を連携させる動きがあります。住民が集まりやすいのは小学校です。福祉の区分けと学区を一致させれば、校舎の一角に高齢者が利用できるサロンのような場所をつくり、地域福祉の拠点として活用できます。

 公共施設の配置も重視するポイントです。活動拠点を地域の中にばらばらにつくるのではなく、どの地域にもある小学校や中学校に、教育、福祉、自治会活動などの拠点をできるだけ多く集約する。ニュータウンとほぼ同じころにつくられた小中学校は、建て替え時期を迎えているものが多くあります。施設の再配置を包括的に考える、最適のタイミングです。戦略的に建て替えを進めていくべきでしょう。

 いまは人口減の時代、既存のインフラを活用することが原則です。開発時に集中投資した質の高いインフラを、地域全体で考え、リノベーションをする。一方で、開発が終わったニュータウンには空いているまとまった土地が少なく、広い福祉施設をつくるのは難しい。住民の「居場所」となるコミュニティーカフェなどを少ない予算でつくることも現実的です。

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 69年に開発を推進する第二次全国総合開発計画が策定され、72年には田中角栄の「日本列島改造論」が出版されました。あれから、半世紀が経とうとしています。最近は都市問題といっても地方の商店街の話題が多く、都市圏の住宅地のことはあまり議論されていません。地域の「経営戦略」を書き換える時期に来ています。

 この国の政策課題が集中するニュータウンの経営という「宿題」を解決できれば、そのノウハウは市町村、さらには日本全体にも応用できるはずです。

 (聞き手・尾沢智史)

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 ふじむらりゅうじ 1976年、東京生まれ。埼玉県のニュータウンで育つ。建築の設計・批評、都市マネジメントなど多方面で活躍。

 

 ■《解く》楽しめる街、僕ら世代が動く 石橋尋志さん(「泉北をつむぐ まちとわたしプロジェクト」代表)

 ニュータウンの再生に、絶対の正解はありません。あるべき姿の考えも、人それぞれに違うでしょう。私たち市民ができることは、可能性のある事業を取りそろえ、それが時流に合って「化ける」のを待つこと。これは、全国どこでも応用できることだと思います。

 私が生まれ育った堺市泉北ニュータウンは、1967年から入居が始まりましたが、他と同じく急激な高齢化が進んでいます。堺市の予測では、2040年の高齢化率は45・4%。限界集落間近です。近年は若者世代が住みたいと思う、きれいでおしゃれな住宅が足らず、結婚を機に親元を離れる20代、30代の転出が目立ちます。人口は25年前のピークの16万5千人から、13万人に減りました。

 住宅などハード更新は行政や住宅供給者の役割で、私たち市民はソフト更新の担い手という位置づけです。住んでいて楽しい、住民をひきつけるまちになるには、ソフトの力も欠かせませんから。市民自らがまちを再生する取り組み「泉北をつむぐ まちとわたしプロジェクト」には20代から70代の53人が集まり、メンバーの6割以上を40代までが占めます。

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 若手が多いのは、堺市の担当者が3年前の最初の募集から、戦略的に動いたためです。市の広報誌で募集しても若者には届かないので、まちづくりのメールマガジンフェイスブックを活用しました。会議は平日の夜か土日のみ。チラシ作りや採算の考え方、おしゃれな事業と感じてもらうための発信の仕方を学ぶ講座なども用意され、勉強を重ねています。

 メンバーが街中を歩き回り、泉北の良さを再確認して事業のネタを掘り起こします。発案者がリーダーになって賛同者とチームを結成、議論しながら事業計画を組み立てる。秋に市民向けのお披露目会を開き、実際にイベントとして打ち出して反応を探り、これも踏まえて事業の可否を決める。これを、1年単位で繰り返します。

 僕が直接かかわる「泉北レモンの街ストーリー」は、戸建て住宅の敷地が平均300平方メートルと広い利点を生かした取り組みです。庭にレモンの苗木を植えてもらい、まち全体を一大果樹園にする。収穫したら生や加工品で売り、収益は再投資に回します。いずれ規模を広げて特産品として地場産業に育て、雇用も増やしたい。すでに「泉北レモン」で商標登録を済ませ、販路も複数、確保しました。

 原則は「自分が楽しめる」「まちの課題を解決できる」「採算性があり事業が継続できる」の三つ。楽しいボランティアで終わるのではなく、持続性がポイントです。メンバーは毎年追加募集し、すでに八つの事業が具体化されました。堺市はプロジェクトの大枠を示し、広報を手伝うだけで、各事業の企画と実行は市民の役目。補助金はいっさいありません。

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 ニュータウンの再生を考えるとき、意外に大きいのは親世代との意識の差です。

 親世代は、緑が多く歩車分離が徹底し、徒歩圏で何でもまかなえる先端都市・泉北に憧れて移ってきました。だから古くなった住宅なども「入居時のピカピカの姿に行政の力で戻してほしい」という、リフォーム意識が強い。住宅街の各所に働く場をつくるような、まちの形を変える「リノベーション」には抵抗があります。

 逆に、生まれ育った僕たち世代は、あまり抵抗がない。しかも、子ども時代をともにしていて仲間意識が強く、協力関係が築きやすい利点もあります。

 だからこそ、僕たち世代が主体になり、より若い世代までもが住みたいと思う、時代にあったまちづくりを担っていかなくては、と考えています。

 (聞き手・畑川剛毅)

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 いしばしひろし 1978年生まれ。大学卒業後、泉北に戻り、夏祭りや地域イベントなどの市民活動に携わる。地元工務店の営業職。
    −−「ニッポンの宿題 老いニュータウン 藤村龍至さん、石橋尋志さん」、『朝日新聞』2017年01月06日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12734745.html





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