覚え書:「芸術の言語 [著]ネルソン・グッドマン [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2017年04月09日(日)付。

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芸術の言語 [著]ネルソン・グッドマン
[評者]椹木野衣 (美術評論家)
[掲載]2017年04月09日
[ジャンル]人文 アート・ファッション・芸能
 
■美学と科学の距離を縮める試み
 
 20世紀の英米を中心とする美学の世界に本書が与えた影響には、衝撃的なものがあった。なにせ、序論から「美学の文献の大半に共通する諸見解を片っ端から否定する」とある。しかも、否定される最大のものが、美学を他の分野から独立した学問の一領域として扱うことなのだから。作品への美的な価値判断を行う美術批評からも、冷ややかな距離を取る。「芸術作品は競走馬とはちがって、勝者を決めることが第一目的ではない」というのだ。批評家を名乗る私にとっても穏やかではいられない。
 だが、この引用文ひとつとってもわかるように、本書は、たんに学術的に厳格なだけではない。随所でウィットに富み、ときに毒舌でさえある。それはおそらく、本書が大学で開かれた講義をもとに書かれていることによるのだろう。その叙述は、およそ体系的というよりは、学生という他者を前に教室で自問自答を繰り返す、ソクラテスのような哲学者だけが持つ原初的な語りに導かれている。
 著者は、芸術にまつわる人間の営みの本質は、巧みな模倣(ミメーシス)や内面的な表現などではなく、なんであれ、対象を記号として扱う際の認知的な経験にかかわるという。もしそうなら、絵画や素描、楽譜や設計図、図表や地図とのあいだの違いは程度の差でしかなくなる。実際、文中では心電図と北斎による富士山の絵が比べられている。真理に奉仕する科学と、情動を占有してきた芸術との距離は縮められなければならない。そして、いずれ教育も抜本的な変更を迫られるだろう、と示唆するのである。
 だが、著者は、画期的とも思えるこの考えを喧伝(けんでん)しない。科学と芸術をめぐる教育の改革が声高に語られるとき、決まって「誤った常套句(じょうとうく)と哀調を帯びた陳腐な言い回しがまかり通ってきた」ことを知っているからだ。その意味で本書は、教育をめぐる現在の日本の状況にも十分に有効な処方箋(しょほうせん)を提供する。本邦初訳。
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 Nelson Goodman 1906−98年。米ハーバード大学名誉教授(哲学)。著書に『世界制作の方法』など。
    −−「芸術の言語 [著]ネルソン・グッドマン [評者]椹木野衣 (美術評論家)」、『朝日新聞』2017年04月09日(日)付。

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