覚え書:「日曜に想う 『安全のため』奪われる自由 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年02月19日(日)付。

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日曜に想う 「安全のため」奪われる自由 編集委員・大野博人
2017年2月19日

「好奇心」 絵・皆川明
 「たいていの米国人は自由より安全を望んでいる」と米情報機関の幹部が話す。

 オリバー・ストーン監督の最新映画「スノーデン」の中で、印象に残るせりふのひとつである。自分が働く機関の監視活動に疑問を抱き始めた主人公に上司がそう諭す。

 実話に基づくこの作品は、米機関のやりたいほうだいの情報収集活動を生々しく描いている。テロ対策の名の下に、米国内外の疑わしい人物だけでなく、各国の政治家、実業家からおびただしい数の一般市民にいたるまで、ありとあらゆる人たちのありとあらゆるメールや電話を盗み見し盗聴する。

 実際にエドワード・スノーデン氏本人が英ガーディアン紙などの協力を得て、その実態を公表したのは2013年。同盟国の首脳や市民、自国民さえ対象にしていたと明らかになった当時の衝撃が、映画であらためてよみがえる。

 自分も監視されている、どこで何を見られているかわからない、丸裸にされている――。

 底知れない不安を、主人公自身も経験する。自分の恋人がほかの男性とどんなつきあいをしていたか。それを、上司から知らされるのだ。

 テロ対策という当初の目的からはみ出して、政治権力の監視活動はどこまでも暴走する。「安全のため」という口実を人々が受け入れ続けるかぎり。

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 「屈服しない者たち」という本が一昨年フランスで出版された。著者はブルガリア出身でパリを拠点に活躍、今月7日、77歳の生涯を終えた著名な思想家ツベタン・トドロフ氏。

 政治と社会の理不尽に立ち向かい、ひるまなかった人たちの評伝集で、南アフリカで人種隔離政策と闘ったマンデラ氏や旧ソ連の非人間的な政治体制を告発し続けた作家のソルジェニーツィン氏らが並ぶ。その最後に、スノーデン氏を取り上げている。

 市民の自由の領域を侵す米情報機関の監視を「米国憲法に対する行政府による一種のクーデター」と考え、告発に踏み切ったのがスノーデン氏だ、と書く。いくつかの規則に違反したとしても、彼の行為は良心に従った「市民的不服従」だと評している。

 トドロフ氏によると、政治権力が市民監視にのめり込むのは「すべてを知ることは、すべての権力を握ることにつながる」と考えるから。また、だれかが自分を監視しているとつねに意識する社会では、人と人との間の信頼が消滅するとも指摘する。人々が連帯しない社会。それこそ権力が思いどおりにしやすい社会である。

 昨年5月、パリの自宅で会ったとき、トドロフ氏は、個人をもっと解放するはずだったコミュニケーション技術の発達、ネット社会の広がりが、皮肉にも権力による市民監視をはるかに容易にすると警告していた。「安全のため」を理由にすれば「民主主義国家も、ナチス共産主義国家に似てくる」。20代まで全体主義体制の母国に暮らした人の語り口は物静かだが、確信に満ちていた。

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 米国のトランプ大統領もまた「安全」をしばしば口にする為政者だ。就任早々、中東・アフリカ7カ国からの入国を一時禁止する大統領令を出した。「国民の安全のため」という理由だ。

 禁止措置は米国で厳しい批判にさらされているが、7カ国の選び方も奇妙だ。たとえば、なぜサウジアラビアがその中にはいっていないのだろうか。9・11米国同時多発テロの実行犯19人のうち15人はサウジ人だった。「安全のため」を言いつのるわりには、どんな根拠でリスクを計算したのかわからない。

 政治家が声高に「安全のため」を語るとき、本当は自らの権力強化のためではないのか。

 「安全のため」なら仕方がないと思ったとたん、からめ取られているのかもしれない。なぜなら、あなたも私もふつうの市民の大半は監視する側ではなく、監視される側になるのだから。
    −−「日曜に想う 『安全のため』奪われる自由 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年02月19日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12803740.html


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