覚え書:「耕論 南スーダン突然の撤収 久間章生さん、伊勢崎賢治さん」、『朝日新聞』2017年03月14日(火)付。

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耕論 南スーダン突然の撤収 久間章生さん、伊勢崎賢治さん
2017年3月14日

南スーダンPKO派遣をめぐる経過

 安倍晋三首相が、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣してきた自衛隊を撤収する、と発表した。撤収は昨年9月から検討されていたという一方で、11月には安保法制に基づく「駆けつけ警護」の任務が付与されてもいる。なぜいま撤収なのか、本当の狙いは何か。

【特集】南スーダンPKO
 ■5月まで任務、抑制的行動を 久間章生さん(元防衛相)

 5年を区切りとした南スーダンからの国連PKO部隊撤収はとてもよい判断です。今後も応分の負担を日本として続けていくことを示した意味で、司令部要員として隊員を残すことも賢明でした。

 少し前から、私自身、撤収の検討が必要だと訴えてきました。南スーダン派遣部隊の日報に「戦闘」とあったのが用法として適不適は別として、かなりの激戦が起こり、当初と事態が変わったことは事実だと考えたからです。

 確かに、自衛隊がいる首都は最近安定していると聞いています。それでも、新たに付加された駆けつけ警護で応援に向かった先の状況は分かりません。政府は首都周辺と限定するなど、駆けつけ警護にさまざまな制約を設けました。

 だとしても、緊急の要請があった場合、自分たちで決めた範囲の外だからと言って断ることが現実的に、国際的にできるのか。とても難しい決断を迫られることになると思ってきました。

 5月まで部隊の派遣は続きます。他国との戦闘になると予測できるようならば、駆けつけ警護の要請は受けるべきではありません。偶発的に衝突もありえます。現地の部隊は常に抑制的であってほしいと思います。

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 私が防衛相のとき、自衛隊の本来業務として海外業務が加えられました。日本は国際社会の一員としてさらに貢献していく、PKOは付属の業務じゃありませんよと、内外に宣言したのです。

 1992年にPKO協力法ができ、さまざまな地域で自衛隊は実績を重ねてきました。時間はかかりましたが、憲法前文にある国際社会で「名誉ある地位」を得るため、自衛隊の果たしてきた役割は非常に大きいと思います。

 ただ、軍事的な国際協力をどこまでも広げることに賛成かと言えば、私は否定的です。日本同様、湾岸戦争で経済支援にとどめたドイツはその後、基本法憲法)解釈を変え、北大西洋条約機構NATO)域外にも派兵する方針に転換。アフガニスタンでも治安維持などが目的の国際治安支援部隊(ISAF)に参加しました。

 日本はどうするのか。そうした議論もされましたが、私は憲法の制約からも、日本の国民感情からも、そうした協力は難しいと考えます。大多数の国民はアメリカが担ってきたような「世界の警察官」的な役割をわが国が負うことに納得しません。日本には不向きな役割に思えるのです。

 部隊撤収が発表され、次の派遣先はどこか、いくつかの地域が報道されたと聞きました。早合点だと思うのですが、輸送や施設建設といった日本ならではの得意分野が生かせる地域を選ぶべきです。

 イラク派遣の最中、私は防衛相でした。マスコミが思う以上に隊員の安全には気を配ったつもりです。隊員が犠牲となれば、国民世論はガラッと変わる。危険は迫っていないか、この先どうなるのか、みんなが真剣に考え、戦死者は一人も出ませんでした。

 しかし、その後、イラクに派遣された自衛隊員のなかに、派遣のストレスで帰国後に死亡している方がいると聞きました。イラク南スーダンが同じとは限りませんが、不幸は繰り返してはいけない。防衛省は隊員の精神面のケアに努めなくてはいけません。

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 最近、永田町を見ていて不安に思うのは小選挙区制の導入以降、当選回数を重ねるのが難しくなり、防衛的知見のある中堅議員が減り、与党内で活発な意見が消えたことです。自分なりの考え方を積み上げていない気がします。

 かつて自民党には旧政務次官、部会長、閣僚、主要閣僚のような経験を重ねていく幹部育成システムがありました。今回、国会で稲田朋美防衛相の答弁が非難されましたが、経験不足は否めません。能力的には高いのでしょうから、非常によい勉強になったことでしょう。

 (聞き手・藤生明)

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 きゅうまふみお 1940年生まれ。農水官僚から政治家に。橋本政権で防衛庁長官、第1次安倍政権で初代防衛相。衆院当選9回。2009年落選し、後に政界引退。

 ■仮想の空論、実績づくり狙う 伊勢崎賢治さん(東京外国語大学大学院教授)

 交戦できない自衛隊は、弾がまったく飛んでこない場所でなら活動できます。そんな「仮想空間」を戦場につくり、後方支援や非戦闘地域といった言い方で参加してきたのが、これまでの自衛隊によるPKOです。

 南スーダンも同じです。首都のジュバはもとは「安全」でしたが、昨年7月に大規模な戦闘が起こった。「仮想空間」と、それを基に積み上げた理屈が崩れ、防衛省は危機感を持ったはずです。

 実際、今になって、政府は昨年9月から撤収を検討していたと明かしました。そのさなかの11月に「駆けつけ警護」の任務を付与したことになる。そもそも南スーダン自衛隊は道路や橋をつくる施設部隊で、国連司令部が歩兵部隊の仕事を命じることはないし、同国人警護を優先はさせません。蓋然(がいぜん)性なき任務付与だったのです。

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 一連の動きは、ちぐはぐに見えますが、すべては安保法制のためという見方をすれば一貫しています。昨年7月以降は「仮想空間」の論理は崩れているのに、認めない。そのうえで、安保法制の目玉だった「駆けつけ警護」ができる部隊を派遣した、という実績を何が何でもつくることに安倍政権にとっての意味があったのです。

 「日報」が当初は公開されなかったのはそのためです。「戦」の字が自衛隊の活動とくっついていてはまずい。任務の付与前に南スーダンにいられなくなる。「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」という稲田朋美防衛相の答弁は、狙いをそのまま言ってしまったものです。

 撤収発表のタイミングは、今しかなかったのでしょう。「日報」問題で連日攻められているときに撤収すれば、野党に屈した印象になる。矛先が「森友学園」問題にそれたときを狙ったのです。

 南スーダンの治安情勢は、いまだ戦時です。それだけに、住民保護が筆頭任務であるPKOは依然として重要で、そんなときに自衛隊が逃げるように離脱するのは、国際的な非難の対象になります。

 もともと自衛隊が現代のPKOに参加するのには無理がある。1999年、国連のアナン事務総長が「PKOは紛争の当事者になる」と明言し、「交戦する主体」になった国連のPKOは、日本のPKO参加5原則とは相いれないものになっていたのです。

 さらに、日本には憲法9条の制約で軍法も軍事法廷もありません。過って住民を殺害したらどうするのか。「交戦」する前提がない日本には軍事的な過失を扱う法体系がないのです。昨年7月以降のジュバの状況では、自衛隊は、こうした根源的な理由で現地にはとどまれなくなっていた。政府や国連も認識していたはずです。

 政府は表向き「区切り」を撤収の理由にしましたが、今後、撤収の背景にあるこうした本質的な原因を明かす可能性があります。そうなれば、現実のPKOと、5原則や憲法をめぐってタブーなき議論が起こるかもしれない。政権側にはもともとその狙いがあるのでしょうから、撤収をその布石にしても驚くべきではありません。

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 そもそも、最近の日本のPKO参加が自衛隊の部隊派遣ばかりなのは不自然です。自衛官を非武装の軍事監視団に送ったり、警察を出したりする活動も、国際的には重要な柱です。それをしてこなかったのは、意図的な戦略でした。

 歴代政権は、PKOを使って、冷戦後の自衛隊の存在意義を正当化してきた面があります。南スーダンへの派遣が決まったのは、民主党政権だった2011年。PKOの現実と向き合ってこなかった責任は、与野党ともにある。今後もPKOに参加するなら、「仮想空間」という空論の上に成り立ってきた与野党改憲・護憲の対立軸をいったん完全に壊して、今後の貢献のあり方と法体系を話し合うべきです。

 (聞き手・村上研志)

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 いせざきけんじ 1957年生まれ。専門は国際関係論。国連PKO幹部などを経て、アフガニスタン武装解除を担当。2006年から現職。著書に「新国防論」など。
    −−「耕論 南スーダン突然の撤収 久間章生さん、伊勢崎賢治さん」、『朝日新聞』2017年03月14日(火)付。

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