覚え書:「特集ワイド 『ウルトラセブン』放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影」、『毎日新聞』2017年03月15日(水)付夕刊。

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特集ワイド

ウルトラセブン」放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影

毎日新聞2017年3月15日 東京夕刊


力強いまなざしで沖縄ヒーローについて語る上原正三さん=竹内紀臣撮影

ウルトラセブン=(C)円谷プロ
 主題歌冒頭の和音を聞くと、思わず「セブン、セブン、セブン!」と連呼したくなる中高年も多いだろう。「ウルトラセブン」の放映開始から今年で半世紀。日本特撮史に残るこのテレビ番組には、当時まだ米軍統治下にあった沖縄の複雑な状況がにじんでいたことをご存じだろうか。沖縄出身で、「セブン」のメイン脚本家の一人だった上原正三さん(80)に、当時と今の沖縄を語ってもらった。【井田純】

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織り込んだ「戦争」や「差別」/新たな「非武のヒーロー」作りたい
 砂ぼこりをまき散らして疾走するラリーカー。トランクの中には超高性能火薬「スパイナー」が積まれ、ウルトラ警備隊のダン隊員、アマギ隊員が地球防衛軍の実験場まで運ぶ任にあたる。コース上では地雷が爆発、オートバイに乗った人間爆弾が襲撃してくる−−。

 上原さんが脚本を書いた「700キロを突っ走れ!」(1968年)は、72年の沖縄本土復帰前、統治機構として住民の生活を覆う米軍の存在がヒントになった。「さまざまな武器や爆発物を積んだ米軍車両が市街地を行き交うのは、沖縄ではごく当たり前の光景だった。いつどこに何が運び込まれるのか、われわれ住民には一切知らされない中で、日常がひっくり返りかねない怖さを常に感じていた」

 神奈川県内の行きつけの喫茶店でインタビューに応じてくれた上原さんは、最も印象に残る「セブン」の脚本を尋ねると、真っ先にこの回を挙げた。当時のTBSプロデューサーから「沖縄の人でなければ書けない」と評価されたという。

 ブラウン管の向こうでウルトラ警備隊が守っていた危うい日常は、放送の翌69年7月、沖縄の現実とつながる。米軍の知花弾薬庫(現沖縄市)で毒ガスが漏れ出し、米軍兵士ら20人以上が治療を受ける事故が発生。ひそかに貯蔵されていた物質にはサリンやVXガスも含まれていた。「沖縄では今も、米軍が生活の場からフェンスひとつ隔てた場所で存在する。その存在が、日常の平和を壊す危険をはらんでいる現実は、復帰前も今も変わらない」と静かに語った。

 37年、那覇市生まれ。5人きょうだいの3番目。沖縄大空襲があった44年10月10日、警察署長だった父を除く一家6人は疎開先の台湾から船で那覇に入港する予定だった。台風の影響で日程が遅れ、一家は被害を免れたが、米軍の攻撃は周辺の海にも及び、船は行き場を失う。「沖縄に帰るも地獄、漂うのも地獄でした」。船上の就寝時、母は家族6人の足をひもで結んだ。死ぬときは一緒、と子供ながらに理解した。鹿児島に上陸するまで2週間も漂流。食料は底をつき、3食、ケチャップをなめてしのいだ。だから今もケチャップが食べられない。

 地上戦を生き抜いた父は再会後、戦時体験を一切口にしなかった。同級生を数多く亡くした兄や姉は「仲間が死んで自分が生き残ったことを、ずいぶん苦しんでいました」。

 沖縄の現実を映画で訴えようと、大学卒業後、沖縄戦をテーマに書いた脚本でコンクールに入賞。同郷の金城哲夫さん(故人)がいた縁で円谷プロに入社し脚本家デビューを果たす。特撮の怪獣ものを書くのは想定外だったが、SFという枠に沖縄戦や差別を織り込めると気付いた。

 「セブン」で最初に放送された上原作品は、第9話の「アンドロイド0指令」。子供たちに武器をばらまく頭脳星人が敵役で、「頭」を意味するウチナーグチ(沖縄言葉)から「チブル星人」と名付けた。

 上原さんが「セブン」に込めた沖縄の姿のひとつが「非武の思想」だ。暴力に暴力で対抗することのむなしさを、戦闘シーンを通じて考えさせる。その思いを込めたシナリオが「300年間の復讐(ふくしゅう)」だ。武器を持たないトーク星人が地球と交流しようと平和郷をつくって住み着いたが、「髪が赤い」というだけの理由で地球人から殺される。一人生き残ったトーク星人が復讐を企て、セブンと戦闘になるが、地球人に殺された妹そっくりのウルトラ警備隊員アンヌの「復讐なんていけないわ」という言葉を聞き、セブンに倒されてしまう。

 話は、1609年の薩摩による琉球侵攻が下敷きになっている。「本土が戦国時代で戦いに明け暮れていたころ、琉球は日本や中国だけでなく、朝鮮半島や東南アジアとの間に位置するという条件を生かし、交易によって平和に栄えていた。平和を守るのは武力じゃないんだ」。予算不足を理由に撮影は見送られたが、シナリオに込めたメッセージが問題にされることは基本的になかった。

 「周囲のスタッフも含めて、みな戦争を経験した世代。自分たちの考えを作品の形にすることを認めてくれる空気があった。自分にとって『セブン』が脚本家としての転換点になった」と振り返り、こう付け加えた。「ああいう企画は、今は通らない。ネットを見れば、ちょっと自分と考えの違う人がいるとよってたかって攻撃している。だからテレビでも過剰忖度(そんたく)と自己規制がはびこっている。表現することについては当時より今の方がひどくなっている」

 「セブン」の後継シリーズ「帰ってきたウルトラマン」の第33話「怪獣使いと少年」では、関東大震災(1923年)直後のデマ情報で多数の在日朝鮮人が虐殺された事件をモチーフに、徒党を組む市民の暴走を描いた。心優しいメイツ星人と暮らしていた少年が、地域住民から「宇宙人」と疑われて襲撃され、少年を守ろうとしたメイツ星人が代わりに殺害されてしまう話だ。震災時、日本語の発音がおかしいからと犠牲になった地方出身者もいるとされる。「私も琉球人だから、そこにいたら殺されていた。今のヘイトスピーチの問題とも重なる」

 上原さんには、長年温めている企画がある。沖縄を舞台にした特撮ヒーローものだ。「ウチナーグチで話し、暴力で向かってくる相手をただやっつけるのではないヒーロー」。沖縄の子供たちが、自分たちの文化であるウチナーグチを学び、同時に「非武の思想」を誇りに育つようなヒーローだ。昨年11月には沖縄のテレビ局や現地の若いクリエーターらと打ち合わせも行い、沖縄でテレビドラマ化される可能性が出てきた。「今はインターネットを含め情報は多様化している。沖縄発でも、いい作品なら世界に広まる。勝算は十分にある」と語る。

 それにしても、敵をやっつけずに、どうやって対抗するのだろう。武器は? 想像できずにいると、上原さんは自信たっぷりの笑みを浮かべて言った。「子供たちが何を喜ぶのか、これまでの経験で自分にはわかってます」

 セブンを思い出させてくれる、そして、どこかでセブンを超えるような沖縄ヒーローの出現を待ち望みたい。
    −−「特集ワイド 『ウルトラセブン』放映開始50年 脚本に沖縄の現実投影」、『毎日新聞』2017年03月15日(水)付夕刊。

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