覚え書:「政治断簡 勅語の縛り、いまも 編集委員・松下秀雄」、『朝日新聞』2017年03月26日(日)付。
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政治断簡 勅語の縛り、いまも 編集委員・松下秀雄
2017年3月26日
昨年、101歳で亡くなった、むのたけじ(本名・武野武治)さん。負け戦を勝ち戦のように報じたけじめをつけると、終戦の日に朝日新聞社を辞した大先輩だ。
6月公開予定の映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」の試写をみにいくと、映画の中のむのさん、こんな体験を紹介していた。
夫の戦死を知らされログイン前の続きた女性が、納戸の奥で、声を殺して泣いていた。彼女を説得する在郷軍人の声が聞こえた。
「奥さん、新聞社の人に会って、夫はお国のために立派に働いた、軍国の妻としてこのあとを守っていきますというような、けなげなことを言わなきゃいかんでしょう」
むのさんの著作をひっくり返す。「日本で100年、生きてきて」にこうあった。
「夫が戦死したと知らせが来ても泣けない。けなげな妻を演じないと、隣近所から『非国民』と言われるから。これが一番怖いんですよ。誰からも相手にされず、社会の敵になっちゃう」
夫の死に接し、声を出して泣くことさえ許されない。そこまで自分を殺さなきゃいけないのだろうか。けなげさの宣伝に手を貸した「新聞社の人」のはしくれとして、その重さにたじろぐ。
特攻や玉砕を含め、「滅私奉公」が際だった日本人。その核心に、「一身を捧げて皇室国家の為(ため)につくせ」(戦前の文部省訳)という教育勅語があった。
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「教育勅語には、良いことが書いてある」という声が、政界にも社会にも根強い。
勅語には、父母に孝行、夫婦はむつみあい、といった徳目も記されている。そうであれば良いなと私も思う。
けれど、自分を虐待した親に孝行できるか。暴力をふるう夫とむつみあえるか。同性カップルの存在を忘れていないか。世の中はいろいろなのに、一つの価値観を押しつけると人を苦しめないか。
道徳の力は案外強く、思わぬところで私たちを縛っているのかも知れない。
たとえば、シングルマザーやその子どもの貧困の背景に何があるのか。「母子家庭というだけで、『こらえ性がない』とみなされる」といった彼女たちの言葉を聞くと、結婚して「添い遂げる」という規範にあわないから冷遇されているように思えてくる。
働き方もそうだ。日本では転職すると収入が減りやすい。非正社員の賃金は低い。一つの会社で「勤め上げる」という価値観にそぐわないからじゃないだろうか。
道徳がすたれたという嘆きをよく聞く。でも私は、この社会にはいまなお、滅私奉公的な価値観が根強いから生きづらい、息をしにくいと感じている。
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再び、むのさんの言葉。
「道徳というのは、先生からこうしなさいと言われてやるようなものじゃない。自分自身で感じ取るものなんだ」
「試行錯誤しながら一緒に考えればいい」
勅語を押し頂いたのとは違う、道徳とのつきあい方。
そのほうがずっといい。
◇
「政治断簡」は4月から月曜日に掲載します。
−−「政治断簡 勅語の縛り、いまも 編集委員・松下秀雄」、『朝日新聞』2017年03月26日(日)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12860766.html