覚え書:「耕論 生活保護の底流に 稲葉剛さん、大竹文雄さん、田川英信さん」、『朝日新聞』2017年03月29日(水)付。

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耕論 生活保護の底流に 稲葉剛さん、大竹文雄さん、田川英信さん
2017年3月29日

 「なめんな」ジャンパーで注目された生活保護制度。不正受給への視線は厳しいが、必要でも受けられない人も多い。職員も貧困世帯も追い詰める、底流にある課題と解決の道は。

 ■権利なのに「恩恵」の意識 稲葉剛さん(つくろい東京ファンド代表理事

 全国の福祉事務所の職員たちは社会保障費抑制の重圧にさらされるなか、福祉の仕事の意義を見失いがちです。

 不正受給をなくすことは大切ですが、生活保護全体の予算からすると約0・5%の問題です。深刻さでいえば、必要な人に届いているかどうかを表す捕捉率が2割程度にとどまることの方が大きな問題だと思います。

 厚労省は各地の福祉事務所に警察官OBを配置することを進めてきました。その結果、困っている人に手を差し伸べるべき窓口で、来訪者に疑いの目を向けがちな人が対応するということも起きています。

 生活保護制度の利用は本来、憲法が保障する生存権にもとづくものです。けれども日本社会では社会保障は権利ではなく、恩恵と捉えられがちです。そうした意識があるところに、働いても生活が苦しい人たちが増えたため、生活保護に対するバッシングが起きやすくなっています。

 そもそも受給者は就労を免除されているわけではありません。働ける人は働き、基準額に満たない分を保護費として受け取っています。資産の保有は制限され、福祉事務所の指導や指示に従う義務があります。

 問題は、貧困対策の一部であるはずの生活保護が、活用できる唯一の施策となっていることです。生活困窮者自立支援法で窓口ができましたが、つなぐ先が生活保護しかないというのが現状です。

 有効な政策として注目しているのが、空き家を活用した住居支援です。折しも「住宅確保要配慮者に対する供給促進法」(住宅セーフティーネット法)の改正案が閣議決定されましたが、家賃を低くおさえる措置が条文に入っていません。年度ごとに予算をつける形では、安全網は十分に機能しません。修正を求めていきたいです。

 豊かな国のはずの日本で、路上で死ぬ人たちがいる。その現実に驚き、1990年代半ばからホームレスの人たちの支援にかかわっています。貧困問題の可視化に取り組みながら、3千件近い生活保護の申請にも付き添いました。

 生活保護の制度は、着実に人の命を支えてきました。米国などと比較すると、どのような貧困にも対応できる公的な扶助制度をもつ社会の強みを実感しています。

 改善点は、生活を立て直すために一時的に利用しやすくすることです。子どものアルバイト代を収入と認定して生活保護費を減らすことを控えたり、地域性や個別の事情に応じて車の所有を認めたりすることも検討すべきです。

 雇用条件が厳しくなり、人権が保障される水準が低くなっている状況を改善しながら、「命の最後の砦(とりで)」をしっかり守っていく必要があります。(聞き手・北郷美由紀)

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 いなばつよし 69年生まれ。立教大特任准教授。生活困窮者への支援を展開。著書に「貧困の現場から社会を変える」など。

 ■貧困の問題、一体で考えて 大竹文雄さん(大阪大学教授)

 生活保護をめぐる一番の問題点は、本当に必要とする人のすべてに、届いていないことです。手続きを面倒にしておけば、困っている人だけが申し込む。そう考えて申請主義がとられていますが、実際には生活に余裕がないため申請事務ができず、保護を受けないでいる人たちがいます。

 これはしくみの問題です。マイナンバーが整備されて収入を捕捉しやすくなったので、もっと簡単に申請できるように変えていくべきです。

 所得が低くても生活保護を受けていない人たちが多い。これは日本の特徴だといえます。働いても手元に残るお金が生活保護の受給額よりも低いワーキングプアの人たちは、資産を持てないなどの制約を嫌って、生活保護を申請していません。

 ですから、ワーキングプア向けの支援と、生活保護が不要となる人を増やすための支援を、貧困対策の枠組みで一体的にとらえて政策を打ち出すことが必要です。

 ワーキングプアの問題では、働いた分に応じて一定割合の給付をする仕組みである、「勤労所得税額控除」の導入が有効だと考えています。税額控除といっても、課税額が少ない人にとっては、差額が補助金となります。収入が増えるようにして、生活水準をあげる手助けをする狙いがあります。

 どういう就労支援をすれば生活保護から脱却する人が増えるか、専門の調査員を雇って調べる必要もあります。貯金の余地も広げていくべきでしょう。

 保護費の総額は約3兆8千億円。多額ではありますが、相対的にはそんなに大きな額ではありません。公的年金の給付額は53兆円を超えましたが、過去に物価が下落したにもかかわらず年金額を据え置いた影響は、累計で約9兆円にも及びました。国際的にみても、日本の保護費は低い方です。

 今後は低年金の人たちが増えて、生活保護の申請が増えることも予想されます。財源には限りがあるので、予算のなかに調査費を組み込み、政策の効果を検証していく必要があります。もとより「魔法の杖」はなく、試して効果を確かめるということを繰り返すしかありません。

 セーフティーネットとしての生活保護の仕組みを強くするとともに、保護から抜け出してもらうための支援策も整えていく。安心感を広げていくことは、社会を豊かにすることにつながっています。

 失敗しても食べていけるとなれば、思い切った挑戦をする人も増えます。今は経済的に余裕がないと、挑戦もできません。イノベーションを生む環境に関係することまで視野に入れ、より多くの人に支持される仕組みに変える時期に来ています。

 (聞き手・北郷美由紀)

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 おおたけふみお 61年生まれ。行動経済学の観点から幅広い提言をしている。Eテレの経済学番組「オイコノミア」に出演。

 ■専門性と経験、職員に必要 田川英信さん(全国公的扶助研究会運営委員)

 生活保護ケースワーカーや担当係長を15年以上、務めてきました。利用者(受給者)の相談に乗り、家庭訪問もしながら、支給手続きをする仕事です。

 小田原市生活保護担当職員が「保護なめんな」とプリントしたジャンパーを着ていた問題を知ったとき、どの自治体で起きてもおかしくないと感じました。見えないジャンパーを着ている職員は、全国にいると思っています。

 問題の根底には、生活保護の窓口となる福祉事務所の脆弱(ぜいじゃく)さがあります。職員の質の担保ができていないのです。

 ケースワーカーの仕事は本来、専門性や経験が必要です。年金や介護保険など他制度にも通じていなければならず、住居確保のため不動産業者との人脈も大切です。しかし、新人や若手が数多く配置され、「素人」ばかりの福祉事務所も少なくありません。

 相手とあつれきが生じることがあり残業も多く、一般的には不人気職場です。希望者が少ないため、「まず現場経験を」と新人が送り込まれる。在任は全国平均で3年程度と言われ、1年で異動という自治体もあります。専門性も経験も蓄積されません。

 研修も不十分です。よくわかっていない先輩が後輩を指導するので、誤った認識や対応が受け継がれます。職員本人もつらいし、なにより受給する人が気の毒です。

 職員数も足りません。社会福祉法に示された標準数は、市部では利用者80世帯に1人。都市部では守っていない自治体も多く、1人で百数十世帯を受け持つことも。私の経験でも、90世帯を超すと事務処理で手いっぱいです。小一時間席を外しただけで伝言メモが机に何枚も置いてあるような状況になります。

 話もじっくり聞けず、相手も心を閉ざす。不正受給は許されませんが、収入申告についての説明不足が原因の場合もある。仕事のトラブルを相談したくても誰もが応対中で、SOSも出せない。孤立して「寄り添う支援なんて無理だ」と悲鳴をあげる職員も少なくありません。

 ケースワーカーは正義を振りかざすのではなく、ともに苦悩し考える存在です。「パチンコで保護費を使い果たした」という人を非難しても問題は解決しません。依存症なら治療につなげ、家計管理の問題なら保護費を週払いに分割する対応もあります。忙しすぎて専門性が乏しければ、そんな支援はできません。

 生活保護の正しい運用のために、社会福祉士など福祉専門職の配置を増やし、研修を充実させ、人材を育てていくべきです。以前、「職員には100人に1人の受給者でも、利用者にはたった1人の担当ワーカー」と言われ、胸に響きました。本来は誇りを持てる仕事なのです。(聞き手・編集委員 清川卓史)

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 たがわひでのぶ 54年生まれ。都内の福祉事務所勤務。ケースワーカーらでつくる全国公的扶助研究会の運営に関わる。
    −−「耕論 生活保護の底流に 稲葉剛さん、大竹文雄さん、田川英信さん」、『朝日新聞』2017年03月29日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12865033.html


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