日記:近代日本の宗教概念 科学と国家が宗教より「上」におかれた至上の価値

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明治一〇年代後半から二〇年代にかけて、宗教は一方で科学と、もう一方で国家との対立軸上に置かれるようになる。そして、国家と科学が結びついた公的領域が合理的なものとして形成され、それを体現する道徳は東京帝国大学などにおいて近代的学問によって闢明されてゆく。かたや宗教はそこからはじき出され、私的で非科学的な領域においやられてゆく。この分割線を前提にして、天皇制にかわるイデオロギーは道徳の領域に属するもとされ、天皇家の祖先をまつる神社神道も道徳へと非宗教化されてゆく。すでに明治一五年には神官が葬儀にかかわることが禁止されている。この辺の動向について、宮地正人は次のようにまとめている。
 政府は神官に個々人の死後の救済問題から手を引かせ、神道祭祀を国民的習俗と理由づけ、それに専念させることによって、一般から神道=宗教批判を回避する口実とした。神社崇敬は宗教にあらずというのが、その後の政府の公式見解となる。
この明治一五年から、帝国憲法が発布された明治二二年にかけて、神社非宗教論のうえにたつ、いわゆる国家神道体制の基本的枠組が準備されたといえよう。それに呼応するかのように、この頃、「神道」や「仏教」「基督教」という今日馴染みのある名称が定着する。従来は神道は「神教」と、仏教は「仏道」「仏法」としばしば言いかえられ、その呼称は流動的であった。それが仏教や基督教のように宗教の範疇に属するものは、その語尾を宗教にならって「教」にそろえ、道徳に属するものは神道のように「道」という言葉に固定されるようになる。そもそも道徳という言葉自体が、西洋的な概念である倫理にたいし、教育勅語に代表されるような天皇制を中心とする日本的特殊性を強調するものであり、そこからも日本の公的領域が国家権力の影に被われていたことがうかがわれる。
    −−磯前順一「近代日本における「宗教」概念の形成過程」、『岩波講座 近代日本の文化史3 近代知の成立』岩波書店、2002年、182−183頁。

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