覚え書:赤報隊とは何だったのか 池上彰さん・姜尚中さんに聞く

Resize6835

        • -

赤報隊とは何だったのか 池上彰さん・姜尚中さんに聞く


池上彰さん
写真・図版
姜尚中さん
 憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局で記者2人が散弾銃で殺傷された事件から間もなく30年。犯行声明で「反日分子の処刑」を訴えた「赤報隊」とは何だったのか。ジャーナリストの池上彰さんと、政治学者の姜尚中さんに聞いた。

特集:阪神支局襲撃から30年
タイムライン:記者襲撃、あの夜から
■ジャーナリスト・池上彰さん「読者の共感が大事」

 事件当時はNHKの社会部記者でした。新聞社の支局が襲撃されるなんて、それは衝撃でした。私は以前、広島県の呉通信部(現・支局)にいました。普通の住宅の1階が仕事場で、警備も何もなかった。亡くなった小尻知博さんは呉市川尻町の出身。何となく知っている人のような感じがして余計に痛ましかった。

 言論へのテロでは、中央公論が1960年に掲載した小説の天皇をめぐる描写で右翼が抗議し、右翼少年が中央公論社(当時)社長宅で家人らを殺傷した「風流夢譚(ふうりゅうむたん)事件」がありました。ここから皇室をめぐる議論をタブーとする風潮がしばらく続きました。

 赤報隊の事件では、「言論への暴力は許せない」という社会の後押しもあり、朝日新聞が報道を曲げず、がんばったと思います。

 最近はバランスをとらなきゃいけないっていう意識がやや強くなったように感じます。新聞が異なる意見を載せ、多角的な情報を提供するのはとても大事。でも、紙面でバランスを取る必要はないですよ。

 ただ、マスコミに対して「特権階級が偉そうに」っていう反感もあるでしょう。私の時代のマスコミはまだ、大学で成績が悪かったり、学生運動をやっていたりした人が流れ着く場という面がありました。それが80年代のバブル景気の頃から、就職先としてマスコミがもてはやされるようになった。読者の気持ちと離れていないでしょうか。

 米国ではトランプ大統領の誕生を主要メディアが予想できず、ニューヨークやワシントンばかり見ていても、米国は分からないと言われました。

 日本でも昨年、「保育園落ちた日本死ね!!!」というネットへの投稿が騒がれましたね。状況は以前からそうだったのに、メディアは、この問題をすくえていなかった。それがあのネットの一撃で社会が動いた。マスコミの負けですよね。

 何か世の中がおかしいと感じながら、問題がどこにあるのか分からないという人はたくさんいる。その思いをすくい、問題を指摘するような報道が求められているのではないですか。

 マスコミ不信は昔もあったけど、いまは不信や反感がネットで「見える化」するようになった。しかも、これだけ格差が広がった社会で、記者が「エリート」の側にいては、だめですよね。言論の自由を守っていくには、やはり読者の共感って大事だと思います。(談)

     ◇

 いけがみ・あきら 1973年、NHK入局。94〜2005年「週刊こどもニュース」で人気に。同年に退局後、フリーで活躍。長野県出身。

政治学者・姜尚中さん「排他主義、あの時代から」

 赤報隊の最大の「遺産」は、「反日」という言葉を人口に膾炙(かいしゃ)させた(知れ渡らせた)ことでしょう。それ以前は東アジアの民族主義を語る際、「反日反帝国主義」のニュアンスで左翼用語として使われていました。例えば企業爆破の「東アジア反日武装戦線」などです。

 それが赤報隊により「反日」が記号化した。次いで「愛国」が出てきて、「おまえたちは反日だ」「日本人じゃないヤツはすべて反日だ」と記号化されたレッテルを貼れば、ダメなヤツと一蹴できるような空気を作り出したと思います。

 事件があった1980年代は、戦後的な価値が揺らぎ、古いモノが廃れ、新しいモノが沸き立つ、混沌(こんとん)と創造が入り交じった過渡期でした。朝日こそが戦後日本の代表だと、標的にされていく奇妙な時代でした。

 政治的には「戦後政治の総決算」を謳(うた)った中曽根康弘首相は85年に靖国神社公式参拝を決行するも中韓の反発で翌年には断念。経済的にはわが世の春を謳歌(おうか)しつつも内実は繁栄はハリボテに過ぎず、民族色は希釈されていく、そんな危機感を抱く人々も少なくなかった。

 赤報隊の声明文を読んでみると、三島由紀夫が言わんとした「戦後日本は腑(ふ)抜けになった」に通じるものを感じます。経済大国化の陰で、米国による精神的な奴隷化が進み、内側から日本が崩壊していく、そういう恐れが伝わってきます。

 そして、反日分子に鉄槌(てっつい)を下すというのです。

 一連の事件の最中、昭和天皇が亡くなられ、そのとき、テレビで落語家が「昭和天皇を悪く言うヤツは、日本を出ろ」ということを叫んだのです。韓国民団系の施設は半旗を掲げ、自分たちの存在を極小化せざるをえなかった。在日2世の私は「自分たちはこういう存在なのか」と気づかされました。

 しばらくして、愛知韓国人会館も赤報隊の標的になるわけです。韓国は87年に民政移管し、民族主義的なものが噴き出しました。非常に強い反発を覚えたのでしょう。反日と韓国がセットにされたのもこの頃です。

 現在、言論への物理的なテロはあまりありませんが、ネトウヨ的な言論によるテロとも言うべき脅しが日常化しています。排他主義歴史修正主義復古主義……。その淵源(えんげん)を探れば、多くがあの時代に始まったと私は思うのです。(談)

     ◇

 カン・サンジュン 東京大名誉教授。専攻は政治学・政治思想史。故郷の熊本で、県立劇場館長を務める。「愛国の作法」「在日」など著書多数。

        • -


http://www.asahi.com/articles/ASK4T66YLK4TPTIL028.html−iref=comtop_8_01



Resize6803

Resize6804

Resize6302