覚え書:「文化の扉 歴史編 異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か」、『朝日新聞』2017年05月07日(日)付。

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文化の扉 歴史編 異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か
2017年5月7日 



グラフィック・竹内修一
 発生から今年で550年の応仁の乱。乱を研究した本が異例のヒットとなり、注目を集める。足利義政の妻が息子を将軍にしようとしたのが元凶とされ、戦国時代の始まりとも言われるが、最近の研究でこれらの通説は見直されつつある。

 応仁の乱は、室町時代後期の応仁元(1467)年に発生し、全国の守護大名らが東軍、西軍に分かれて対決。計約27万人もの兵士たちが、京都の市街地を主戦場に約11年にわたって争いを続けたとされる、日本史上最大級の戦乱だ。

 だが、なぜ起きたのかはっきりしない。有力な守護大名だった細川勝元(かつもと)、山名宗全(そうぜん)による幕府の主導権争い、畠山(はたけやま)、斯波(しば)両氏の後継ぎ争いなど、様々な要因が複雑に絡み合った結果とみられるが、一般的によく言われるのは将軍家の家督争いだ。

 1464年、息子がいなかった8代将軍、足利義政は弟の義視(よしみ)を後継者に指名する。ところが、翌年に正室日野富子男児(のちの9代将軍義尚〈よしひさ〉)を産み、息子を将軍にしようと山名宗全に助けを求めたため、義視を支えていた細川勝元と対立し、乱が勃発する。

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 だが、戦乱の原因は日野富子が息子を溺愛(できあい)したことだった、とする通説に対し、学習院大の家永遵嗣(じゅんじ)教授は「富子が戦乱の原因というのは、『応仁記』がつくったデマだった可能性が高い」と指摘する。

 『応仁記』は作者不詳の軍記で、乱から数十年たった16世紀に作られたとされる。富子が紙が真っ黒に見えるほどの文字で埋め尽くした書状を宗全に送り、息子を助けて欲しいと求めたと記される。ところが、応仁記以外の貴族や僧侶の日記に同様の記述は一切ないという。

 「もし本当に富子が次期将軍を陥れようとしたのなら、大スキャンダル。手紙の中身までわかっていたのなら、世の中に広まらないはずがない」

 家永さんは、中世は自分の子どもが第一ではなく、家の存続が重視された時代だった、と指摘。富子の妹が義視の妻となり、のちの10代将軍義材(よしき)を産んだことからも、「富子はむしろ義視に接近していた」とする。

 では、なぜ応仁記はそのように書いたのか。

 『応仁の乱』(中公新書)を書いた国際日本文化研究センターの呉座(ござ)勇一助教は「大乱が始まった納得できる理由を、みんなが欲した結果だったのでは」。スケールの大きな戦乱にはそれに見合った理由が求められた。

 「最高権力者の後継ぎをめぐる争いならわかりやすいし、面白い。だから現代まで引き継がれてきたのだろう」

 富子はのちに将軍義材の追放に加担し、陰謀家のイメージがあったのも、富子原因説が広まった理由とみる。

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 応仁の乱の結果、室町幕府の権威は失墜し、全国各地で有力者が群雄割拠する戦国時代が始まったとされる。

 しかし、最近の研究で、乱の終結後、しばらくは幕府が権威の回復に努めたことがわかっている。9代将軍義尚は1487年、近江の守護大名、六角氏が寺社などの荘園を勝手に占拠し、返還命令にも従わないとして、将軍自ら守護大名らを動員して近江に進軍。義尚は陣中で病死するが、1491年には10代将軍義材が再び近江攻めを実施する。

 ところが、1493年、義材が河内の畠山氏攻めに向かったところ、細川勝元の息子、政元が日野富子らと示し合わせてクーデターを起こし、将軍の首をすげ替える事件が起きる。この「明応の政変」で幕府の権威は完全に失墜し、統治体制が崩壊したことから、ここを戦国時代の起点とする説が研究者の間では有力になっているという。

 呉座さんは、明応の政変が支配者層の権力闘争だったのに対し、応仁の乱は民衆を巻き込み、下克上が広がるなど、社会構造を変えるきっかけになったとみる。「日本社会全体への影響をみれば、やはり応仁の乱が画期となる戦いだったと言えるのでは」

 (渡義人)

 ■乱の研究書、異例のヒット

 室町時代は不人気とされるが、呉座さんの『応仁の乱』は30万部超の大ヒット。なぜ売れたのか。複雑な社会情勢が現代に似ている、SNSで面白さが広がったなどと言われるが、はっきりしない。担当編集者は「最近、中世研究者に若く、優秀な書き手が増えた」と話す。研究範囲が広がって新見解が生み出され、この時代の魅力が増しているのでは。購入者も通常より若い30〜40代が目立つといい、今後も注目されそうだ。

 <読む> 最近まで、応仁の乱についてわかりやすくまとめた本は少なかったが、呉座さんが書いた『応仁の乱』のヒットで、雑誌などの出版が相次ぐ。『新説 応仁の乱』(別冊宝島)は、家永さんらによる最新の研究成果を多く紹介する。
    −−「文化の扉 歴史編 異説あり 応仁の乱の原因 「陰謀家」富子説、軍記の記述定着か」、『朝日新聞』2017年05月07日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12925967.html





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