覚え書:「耕論 フランスよ、どこへ 野崎歓さん、マルセル・ゴーシェさん」、『朝日新聞』2017年05月10日(水)付。

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耕論 フランスよ、どこへ 野崎歓さん、マルセル・ゴーシェさん
2017年5月10日

写真・図版
 仏大統領選は、親EU(欧州連合)のマクロン前経済相が「自国第一」を訴えた右翼・国民戦線のルペン氏を抑えて当選した。選挙戦で際だったのは、「自由・平等・友愛」の国に横たわる社会の分断だ。押し寄せるグローバル化の波を前に、フランスはどこへ向かうのか。

 
 ■顕在化した闇、克服の過渡期 野崎歓さん(東京大学教授)

 戦後の政治を担ってきた既存の2大政党が決選投票にも残れず、一線を画したマクロン氏が大統領になりました。元閣僚とはいえ、39歳という若さで議員経験もない。フランス史上異例の大統領です。一方「自由・平等・友愛」という共和国精神の普遍性を誇りにしてきたフランスで、「自国第一」を掲げた内向き志向のルペン氏がかなりの支持を集めた。戦後の終わりを実感させられました。

 戦後、大統領は特別なオーラを放つ存在でした。源泉は二つ。共和国精神の体現者で、ナチズムと戦ったレジスタンスの精神の後継者とされたことです。その「重み」ゆえ、ミッテラン元大統領は政治風刺で時に「神」と呼ばれたほどです。

 今回の結果は、低調な経済への不満を募らせたフランスが、「重み」をかなぐり捨ててしまったようにも見えます。ただ、実際はもっと根深い。元々、共和国精神が抱えてきた「闇」が顕在化したと、私は見ています。

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 共和国精神はフランス人の誇りで、今なお揺らぎません。市役所に行けば、「自由・平等・友愛」という言葉が飾られています。歴史的にはカトリックの国ですが、大統領は演説で、米国のように「神の恵みを」とは言わず「共和国万歳」と言います。どのような権威にも「価値があるのか」と問い直す啓蒙(けいもう)思想以来の「自由検討」の精神が息づいています。国境を超えて様々な価値観を受容してきたことで、音楽・絵画・映画などの文化も開花しました。日本人のフランスに対する憧れはこうした歴史に根ざしますし、他国にとってもそれは同様でしょう。

 しかし、フランスの文化が目をそらしてきたことも実は多い。例えば今回の選挙でも争点になった移民の問題です。1950年代からチュニジアアルジェリア系移民の受け入れが始まり、彼らは映画や文芸の担い手としても活躍しています。にもかかわらず、移民をめぐる社会問題は主題としてめったに描かれませんでした。

 移民を正面から取り上げて話題を呼んだ映画は私が知る限りではカソビッツ監督作の「憎しみ」(制作95年)が初めて。これより前は(ジャン・)ルノワール監督がイタリア移民の悲劇を描いた30年代の「トニ」までさかのぼらないといけない。まるで問題自体が「存在しない」かのように扱われていたのです。

 また米国でベトナム戦争は映画の主題になりましたが、フランスでアルジェリア戦争はならなかった。描いたゴダールの「小さな兵隊」(同60年)は一時上映禁止になりました。「共和国精神」の理想は、一部が抜け落ちていたのです。

 ルペン氏の「自国第一主義」は共和国精神の「闇」と表裏一体です。ルペン氏は共和国精神は肯定した上で、フランスが「普遍」とする価値を共有できない移民やイスラム教徒は出て行けという排除の論理を振りかざす。「純フランス人」を優先するのは、市民の平等を尊ぶ共和国精神に本来は反しています。

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 一方ここ十数年で、「闇」を問い直す動きも活発化している。戦中のユダヤ人迫害でのフランスの責任の追及が本格化しています。日本でも人気のある作家ウエルベックは、西欧が誇る個人主義の行き詰まりを描き、知識人らを揺さぶってきた。そのウエルベックの小説「服従」には、次の大統領選でルペン氏とイスラム穏健派の候補が争う未来が描かれています。

 見てこなかった現実が顕在化したとき、向き合う作業には時間がかかります。フランスは今その過渡期のただ中にいる。数年前まで全く無名だったマクロン氏を大統領に選んだのは危機の中でのフランスなりの回答です。楽観的すぎるかもしれませんが、自由検討の精神を発揮して、フランスはこの危機を乗り越えると思っています。

 (聞き手・高久潤)

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 のざきかん 59年生まれ。専門は仏文学。著書に「フランス文学と愛」「夢の共有 文学と翻訳と映画のはざまで」など。映画評論も手がける。

 ■グローバル化、分断埋まらず マルセル・ゴーシェさん(仏哲学者・歴史家)

 この大統領選挙で民主主義はある面では機能しました。なぜなら仏社会の問題を暴いてみせたから。

 しかし、機能しなかったとも言える。新しい政府は問題の解決という約束を果たせないだろうと思うからです。それどころか、問題は深刻化するかもしれない。

 印象深いのは、マクロン氏の支持者も含め大多数の人たちが状況はよくなるまいと確信していることです。新大統領についていこうという熱狂はない。人々はよりひどくない方に投票しただけです。

 この選挙があらわにしたのは仏社会の分断です。そこにはいくつもの次元があります。

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 まず世代。若者は仕事を見つけるのにとても苦労している。他方で社会は高齢化していて年金も医療も重荷となりつつあり、若い人たちにその負担がのしかかっている。若い人はこのシステムで高齢者が受けている恩恵を、自分たちは受けられないと思っています。

 地域的にも分断があります。都市部と違い、小さな地方の町村では、人々はないがしろにされていると感じています。また、大企業社員の生活の方が、中小企業社員より守られています。

 加えて、右翼勢力の伸長を招いた移民の問題があります。そこから生じる重荷を背負うのは、いちばん貧しい人たちです。

 分断の問題をさかのぼれば、グローバル化に行き着きます。以前も、労使紛争など社会的な対立はありました。ただ、それは国という空間の中でのことでした。

 ところが、グローバル化が事情を複雑にした。高学歴だったり資格を持っていたりする一部の人には有利な時代になる一方、労働者をもっと賃金の安い国との競争に放り込み、生活をさらに深刻にしました。彼らがそこに気付いて現状に抵抗しようとするのは避けがたいことです。

 この分断を修復する連帯には二つの考え方があります。たとえば、失業者に手当を支給するというような連帯。

 しかしむしろ、だれもが働く場を持つようにしなければならない。社会の中に居場所があるという感覚。それを人々が持てるようにするのが、国という理念なのです。こちらが本当の連帯です。

 共和主義、民主主義はそうやって人々を統合するためにこそある。ところが、グローバル時代にそれがうまくいかない。

 なぜか。欧州統合でわかったのは、民主主義は国という枠の中だけでしか機能しないということです。けれども、人々が直面しているのはグローバル化が原因となっている問題。だからルペン氏や第1回投票まで候補だったメランション氏への強い支持に表れたように、人々はグローバルからナショナルな枠組みに傾いています。

 そんな中、ルペン氏の国民戦線(FN)はもはや反共和主義的とさえ見られなくなっています。すでに地方自治体に浸透し、多くの人の目には、むしろ共和主義精神の真の守り手とさえ映る。とくに政教分離の原則を掲げイスラムに対抗する勢力だという点で。

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 今日、フランスでは共和国という言葉の意味についてさえ分断があるのです。フランス人の半分にも及ぶ人が、マクロン氏は真に共和国を代表していないとみているのですから。

 マクロン氏が分断を埋めて国民を統合できるか。それこそ彼にとっての最大の課題ですが、私は懐疑的です。

 そうした流れに、米国でもフランスでも既存の政党は揺さぶられるばかり。政党政治も危機に陥っているようです。それでも政党は生き残るでしょう。選挙があるかぎり集票のためのメカニズムは必要だから。とはいえ、今と違う新しい形に、政治的議論を活発にする場へと根本的に生まれ変わる必要があるのではないでしょうか。

 (聞き手 編集委員・大野博人)

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 Marcel Gauchet 46年生まれ。フランス社会科学高等研究院名誉教授。近著に「新世界」「フランスの不幸を理解する」など。邦訳に「代表制の政治哲学」など。
    −−「耕論 フランスよ、どこへ 野崎歓さん、マルセル・ゴーシェさん」、『朝日新聞』2017年05月10日(水)付。

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