覚え書:「特集ワイド 続報真相 首相「20年施行」突然の表明 「改憲」前に進む「壊憲」」、『毎日新聞』2017年05月12日(金)付夕刊。

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特集ワイド

続報真相 首相「20年施行」突然の表明 「改憲」前に進む「壊憲」

毎日新聞2017年5月12日

 安倍晋三首相がダッシュをかけてきた。悲願の憲法改正に向けて、である。憲法記念日の3日には「改正憲法の2020年施行」とのタイムリミットまで示す力の入れようだ。その前に、大切なことを確認したい。すでにこの国は憲法の趣旨を踏みにじる「壊憲」が起きているのだから。【吉井理記】

 驚かれた読者も多いのではないか。安倍首相の発言が飛び出したのは、保守団体「日本会議」が主導する改憲派集会でのことだ。事前録画のビデオメッセージで「私は、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ(憲法学者らの)『自衛隊違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだと考える」と9条改正を明言し、20年を「新憲法が施行される年にしたい」と述べたのだ。

 9条という改憲問題の核心を突く発言である。高支持率を背景に、ついに本音のストレート勝負に出たか、と記者も驚いたが、憲法の専門家には、また違う驚きが走ったらしい。

 「現職首相として、あり得ない発言です。民主国家の根幹である立憲主義(個人の尊重のために、政府の権力行使を憲法で制限し、国民を守る考え)を理解しているのか」と一刀両断するのは、弁護士で法律資格の受験指導校・伊藤塾塾長の伊藤真さんだ。

 伊藤さんが問題視するのは、安倍首相の発言と憲法99条との関係である。天皇や大臣、国会議員、公務員らは憲法を尊重し、擁護(積極的にかばい、守ること)する義務があると明記しているからだ。

 「改憲するか決めるのは、主権者である国民です。国会議員ですら、国民の『改憲を求める声』を代弁する時に限って、例外的に99条の制約が部分的に解除されるだけで、自分の信条で改憲を訴えることを憲法は認めていないんです。まして、その憲法で縛られている政府の長である首相が、具体的に改正項目や時期を明示するのは99条違反としか言えません」

 断っておくと、首相はビデオの中で「自民党総裁安倍晋三です」と述べている。首相としての発言ではないことを示すためのようだが、肩書を使い分けても、首相の発言である事実は変わらない。ビデオは、首相公邸で収録されているのだ。

 伊藤さんが続ける。「憲法の趣旨を簡単に踏み越える首相の言動を見ると、立憲主義を理解しているとは思えない。この疑問は首相だけでなく、私たちにも向けられる。憲法の理念や立憲主義に反するようなことが相次いでも、国民やメディアの多くが、何となく『流している』だけですから」

 記者も反省している。安倍首相の国会答弁を検証した「特集ワイド」(4月11日付)の掲載後、ある政治学者から「だれも指摘しないが、あれは憲法違反ではないか」と教えられた。3月13日の参院予算委で社民党福島瑞穂氏が、安倍首相の友人が経営する学校法人による、大学の新学部開設の経緯をただした時の答弁のことだ。

 この時、首相は福島氏にこう言った。「(学校法人などの)実名を出した。生徒も傷つく。生徒の募集にも影響がある。あなたは責任とれるのか」

 前出の「特集ワイド」で、安倍首相の答弁は「国会軽視ではないか」との見方を紹介しただけだった。しかし憲法を読み返すと、51条に「議員は、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われない」と記されている。国会議員の「免責特権」である。

 一方、九州大の南野森(しげる)教授(憲法学)によると、免責特権は、首相や閣僚にはなく、国会議員だけに認められている。「それだけ重い条文です。内閣は権力行使について国会に責任を負い、国会は内閣を監視する職責を国民に負うのが、議院内閣制です(66条3項など)。その監視の職責を果たすため、議員の発言の自由は保障されなければならない。福島氏のケース以外でも、野党議員の発言に色をなし、きちんと答弁しない場面がありますが、こうした関係を首相は本当に理解しているのか」と南野さん。

 そういえば8日にも、衆院予算委で民進党長妻昭氏が改憲論の真意をただしたところ、安倍首相は「(インタビューが掲載された)読売新聞を読んで」と答弁したばかり。伊藤さんは「憲法63条の趣旨は、議員の質問にはその都度、答弁するのが閣僚の職責、ということです。この点でも憲法の趣旨に反していると言わざるを得ない」と付け加えた。

軽視の空気、役所にも?
 政治家だけならまだしも、そんな「憲法軽視」の空気が、お役所にも広がっているのではないか、と心配になる「事件」もある。「北朝鮮危機」報道に隠れたが、例えば市民団体「石川県憲法を守る会」が憲法記念日に、護憲集会を金沢市役所前広場で開こうとしたが、市が広場使用を認めなかった問題だ。

 会は例年、許可を得て集会を開いてきたが、市は新たに、広場などで「特定の政策、主義、意見に賛成または反対する目的の示威行為」を禁止。会の集会がこれに当たるとして、広場の使用を認めなかったのだ。

 議会答弁や毎日新聞の取材などにも、市は「政治的中立を保つべき立場としての判断」との説明をするが、会のメンバーで、市議の森一敏さんの疑問は深まるばかりだ。

 「なぜ今、規則を改めたのか。ひとつ言えるのは、市の規則によれば、何が『政治的中立』かも含めて、市の判断でほぼすべての集会を不許可にできる、ということ。事実上、市民は政治的批判や意見を明らかにしてはならない、と宣言したのと同じです」と憤るのだ。

 第2次安倍政権発足以降、安全保障関連法に反対する集会の会場の使用が不許可になったり、美術館の展示物が「政治的だ」として撤去されたりといった息苦しいニュースは珍しくなくなった。

 伊藤さんはまとめた。「集会や言論の自由を保障した21条の趣旨に反します。国や自治体こそ、市民が多様な言論に触れる空間を提供する責務がある。ヘイトスピーチは論外ですが、『政治的中立』とは、護憲だろうが改憲だろうが、言論や思想で分け隔てせず、公共の空間を提供することなのですが……」

 目線を変え、歴史研究者の意見を聞いてみたい。

 「安倍首相の憲法論や改憲論の特徴は、現憲法や条文への批判は出てくるが、そもそも憲法の機能とは何か、という重要な話が抜け落ちていることです」と切り出すのは戦史研究家で著述家の山崎雅弘さん。戦前の政治思想史に詳しく、最新刊は戦前日本のターニングポイントを扱った「『天皇機関説』事件」(集英社新書)である。

 天皇機関説事件とは1935年、「天皇であっても、権力は憲法に縛られる」という立憲主義に基づいた憲法観を確立した憲法学者美濃部達吉が、右翼や軍人から「不敬だ」などと学説もろとも排撃され、戦前の立憲主義の崩壊の要因となった事件である。事件後、権力の暴走を食い止める憲法が空文化した日本がその後どうなったか、語るまでもないだろう。

 「当時の日本でたやすく立憲主義が崩壊したのは、国民にも政治家にも『立憲主義とは何か、憲法とは何か』という理解が欠けていたからでした」と山崎さん。この空気、果たして「遠い昔のもの」と言い切れるか。

 話題の北朝鮮憲法にだって「民主主義や言論の自由」などがうたわれているが、その権利が保障されているとは、だれも思わない。

 「同じように、いくら条文は立派でも、憲法は権力を縛る道具であるという認識がないと意味はないんです。安倍首相の憲法の趣旨や理念を軽んじる態度を見ていると、それに近いものを感じる。個別の条文をどういじるか、という議論に乗る前に、憲法の役割は何か、立憲主義をどう考えるか、政治家も国民もメディアも問い直す必要がある」

 改憲で本当に私たちの暮らしや未来が良くなるならいい。だが憲法を軽んじるかのような言動が相次ぐ政治家の唱える改憲論は、やはり眉ツバものではないか。

本文中に登場する憲法の条文
 99条

 天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

 51条

 両議院の議員は、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問われない。

 66条3項

 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。

 63条

 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかわらず、いつでも議案について発言するため議院に出席することができる。また、答弁または説明のため出席を求められた時は、出席しなければならない。

 21条1項

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

    2項

 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
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