日記:スターリンの横顔

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 わたしはそれほど多くはないが、学会の信者と交際した。座談会にも出席し、幹部とも話した。ある座談会で、わたしは一人の美しい女性の信者と知りあった。美しいというのはなにも顔だけのことではない。
 わたしは無神論者で、彼女は仏様を信じている。これほど大きな違いはないはずだ。しかしわたしはそれが人間をほんとうにへだてるものではないということを知った。つまり、彼女は多くのふつうの日本女性よりも鮮やかに生きていたのである、わたしにはそれがなによりも感動的であり美しいことに思えた。わたしは多くの工場、多くの農漁村を歩いている。日本の民衆を誰よりも知っていると自覚している。そういうわたしが、彼女のなかに、本来の人間を感じた。人間の初心を感じた。
 宗教は彼女を盲目にしなかった。宗教はぎゃくに、彼女の人間としての誕生をうながした。それは恐らく、彼女が入信してほどへぬ平会員であるということも影響していよう。たとえ下役でも幹部ともなれば、どこかしら人間的でない、悟ってしまった者の傲慢の影がある。それはどこかスターリンの横顔に似ている。自己の思想であらゆる事物を説明しうるという自負と自信が、その人間を盲目にしないはずがない。
 ところが彼女は、いつもせっせと折伏教典を読み、鉛筆をなめなめ考えているといったふうであった。わたしのひとひねりした難問に、わからなくなると、素直にわからなくなったと笑って告げた。そうして、きっと支部長さんならわかるはずだと、自信をもっていう。そうしてわたしをある日、その信頼している支部長にあわせた。しかし支部長もついに私の意地の悪い難問を答えきれなかった。
 そんなことがあっても、彼女の信仰はすこしもおとろえない。彼女には信仰の正邪が問題ではなかったのだ。信じていることで、いきがいができている、そのいきがいを愛しているといったふうであった。彼女はわたしを折伏しようとはしなかった。話していても、ときおり信者であることをさえ忘れるほど、自由に彼女はあった。わたしはそういう彼女を信じた。わたしはいつも混迷のなかにいるけれども、ひとつそういう信仰によみがえるものがあった。恐らく、彼女はわたしの信仰を見抜いていたのである。彼女以上に、わたしが迷いかつ信仰していたことを。
    −−森秀人「創価学会の機能について」、鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし『折伏 創価学会の思想と行動』産報ノンフィクション、1963年、167−168頁。

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