覚え書:「インタビュー 認知症、家族と社会と 『認知症の人と家族の会』代表理事・高見国生さん」、『朝日新聞』2017年06月08日(木)付。

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インタビュー 認知症、家族と社会と 「認知症の人と家族の会」代表理事・高見国生さん
2017年6月8日 


 
高見国生さん=槌谷綾二撮影
 
 もしこの人がいなかったら、認知症に対する社会の関心はもっと低かったのではないか。公益社団法人認知症の人と家族の会」代表理事・高見国生さん(73)。認知症対策が皆無だった1980年に、会は京都で生まれた。以来務めてきた代表をまもなく退任する。人々をつなぎ、国を動かした37年間を聞いた。

 ――認知症の国際会議(第32回国際アルツハイマー病協会国際会議)が4月末に京都で開かれ、大きな注目を集めました。家族の会と国際組織の共催でした。

 「認知症の本人の話が、思った以上にメディアのスポットライトを浴びましたな。認知症になっても普通に生きられる。そういう明るいトーンの報道が多かった。ただ、認知症になって苦しんでいる人や、介護で苦労している人のことも忘れたらあかん」

 「国際会議は13年前にも京都で開いていて、大きな転換点になりました。オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんという認知症の方が『私たちの能力を信じてください』と発言され、こちらが支えてあげるばっかりではないんやと分かった。平穏に、幸せに生きてもらおうという発想から、本人の人権や人格を尊重するようになりました」

 ――家族の会はこれまで、政府に対してたくさんの政策要望を出してきました。その多くが実現したという印象があります。

 「会を結成したころ私は母を介護していて、介護で苦しんでいる家族で励まし合おうとしたんですが、もっと政治の光が当てられないかと最初から言うてました。2年後に最初の要望書をまとめて厚生省に持っていった時は、担当課も決まってなかった。けども認知症問題が出てきそうやという気配はあった。時代に合(お)うたんですよ。厚生省が大蔵省へ予算要望する時の資料に、その要望書を入れたと言うてましたからね」

 「そのころは役場に相談に行っても、認知症は対象外やと言われた。要望書では患者への定期的な訪問、援助のほか、通所サービスや短期入所をさせてくれと言うたんです。今のホームヘルパー、デイサービス、ショートステイですわ。『在宅福祉の3本柱』として厚生省が政策にしたんは89年のゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10カ年戦略)でしたな」

 「92年8月には、65歳未満の若年期の患者についての要望を出したんです。65歳未満だと、これまたサービスの対象外でした。なので年齢制限を取れと。2000年に介護保険が導入され、40歳以上なら対象になりました。このころ出した要望は、時間がかかってもほとんど実現しました」

 ――要望する時に気を付けていたことはありますか。

 「回答期限を付けなかった。要望書を持ってった時はやりとりするんですよ。でも、言うだけ言うて帰ってくる。我々の思いを受け止めてもらったら、今度はその人が予算要求するんですからね。私は公務員で、京都府庁で要望書を受けることもあったんです。1カ月後に回答くださいと言われたって、権限もないし、中身のないもんしか書けない。厚生労働省の人だってそうやろと思うからね」

 「国には要望するんやけど、政党は一切回らなかった。国政選挙で推薦してくれんかという話があった時も断りました。特定の政党を応援したら会がまとまらない。本当に認知症の人と家族の利益だけを物差しにしようと意識していましたね」

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 ――介護保険で家族の状況は変わりましたか。

 「そりゃ雲泥の差です。会員にアンケートを取ると、デイサービスやショートステイに行ってくれることで『自分の時間ができた』とか『外出できるようになった』という回答が増えた。ただ変わらないのは、気持ちのしんどさ。認知症の人の介護は毎日が新しい出来事の連続で、気が休まらない」

 「それに、介護保険は05年の法改正では認知症に対応したけど、09年に要介護認定の方法がすごく変わって後退が始まった。我々は10年に要介護認定を廃止しろという申し入れをしました。自己負担も増やすなと。しかし、それらの要望は実現してません」

 ――後退はなぜと思いますか。

 「福祉に対する国の位置づけが良くない。国が原点にせないかんと思うのは、1950年に社会保障制度審議会の出した『社会保障制度に関する勧告』です。『生活保障の責任は国家にある』とはっきり言うてはる。それがゆがんできてる。このところ国は、すごく自助を強調するけど、僕はお上が言う話やないと思う。あんたらは公助だけ一生懸命やってくれたらええ。自助は住民が勝手にやるんです。家族の会はほんまに自助ですよ。認知症の介護に苦しんでいる家族が集まって話をしたら、勇気が出たんです」

 ――家族の会の会員は今、1万1千人まで増え、全都道府県に支部ができました。

 「早い段階から、どこの支部でも家族の『つどい』と電話相談と会報発行はやろうと言うてきました。つどいで大事にしているんは、初めて来た人にしゃべってもらうこと。どこの支部の者も言うんは、初めて来はった人は悲愴(ひそう)な顔してね、泣きながら介護の話をするけども、帰る時には笑顔になって帰っていきはる。初めての人の悩みには、同じような経験をした会員が必ずいて、自分はどうしたか話すんです。独りぼっちでないと分かってもらうことで元気になる。つながることが一番の力になると僕は確信してるんです」

 ――そのやりとりはかなり高度な技術ではないでしょうか。

 「カウンセリングの専門家ではないし、そんなん全然違うわけです。でも、自分のこととして分かるから、共感が生まれる。人間てね、親が徘徊(はいかい)して困ってると言う時は泣くけども、人が自分とおんなしことを話すと笑うんですよ。なんかあれ不思議やね。悲しくてつらい話やのに、ああ、あの人も一緒かとなると笑う」

 ――経験を伝える人にとってメリットはあるのでしょうか。

 「与えることが自分の介護に役に立つんです。アドバイスすることによって自分の気持ちが整理できる。10年介護してたって、相手はどんどん年を取り、症状は変わってくる。先月のつどいと今月のつどいの間で、変化してるわけですわ。なんぼベテランやいうたって、人生で初めての道を歩いているわけです。その人も1カ月間のことを話せる。与えるだけになって退屈なんてことはない」

 「ただ、つながっただけでは、家に帰っても現実は変わらへんのですよ。それに、家族だけで介護できなくなる時もやって来る。そのために行政はやらないかんと、政策要望をしてきました」

 「つどいで生の声を聞いてるから、若年期認知症のように問題を発見するのは早かった。厚労省がそれなりに家族の会を尊重してくれたのは、実際に家族を支え続けてきたからやと思うんです」

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 ――政策の実現と、本人や家族の支援のどちらが大事だったのでしょうか。

 「いつも言うのは、もし仮に僕らが出した政策要望が100%実現しても、家族が認知症になって変わっていく姿を見る悲しさやつらさはなくならへんのやと。そういう感情は、制度ではなくて個人のつながりの中で癒やされるんやから、政策より支援のほうが大事やと思っていました」

 ――退任にあたって、やりきった感はありますか。

 「ないですね。早(はよ)うから『認知症になっても安心して暮らせる社会を』と言うてきて、目標にしてきましたけど、本当にできたか言うたらできてないからね」

 「ただね、認知症は老化に伴って増えるんですから、必死に治そうとか、防ごうとか思わなくてもいいように思うんですよ。薄毛だって認知症だって、老化の一つと思えば一緒やないですか。もっとも、薄毛でも生活の支障はない。そやけど認知症は生活に支障が出るから、支えないかんという話が出てくる。この違いだけで、みんな薄毛だからいうて死のうとか思わへんでしょ。そういうふうに考えるべきちゃうかな」

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 たかみくにお 1943年生まれ。認知症の母を長く介護しながら「呆(ぼ)け老人をかかえる家族の会」(旧称)の立ち上げに参加。元京都府庁職員。

 

 ■政策づくり、当事者の声も参考 元厚生労働省老健局長・中村秀一さん

 旧厚生省が本格的に認知症に取り組んだのは、1986年の「痴呆(ちほう)性老人対策推進本部」からです。それまで老人福祉では、寝たきり対策と施設整備が主な課題で、認知症は遅れていました。私は本部の事務局にいましたが、患者さんの数も不明という状況。報告書をまとめるための勉強でお目にかかった医師のお一人が「家族の会」事務局長だった三宅貴夫先生で、会の存在を知りました。

 報告書で家族の会の要望を意識した記憶はないのですが、役人は政策を組み立てる時、何が問題で何が必要かと、いつも考えています。そのための情報収集法は人によって違うでしょうが、各団体からの要望を並べて「これかなあ」と検討することもある。

 概して患者さんの声は予算を獲得するバックアップになります。財務省も当事者の要望は預かる。もっとも、本格的な高齢社会を迎えるにあたり、老人福祉は予算が付きやすかった。89年からゴールドプランの作成にかかわり、90年に老人福祉課長になったのですが、他分野を担当する役人仲間からひがまれたこともあります。

 2000年開始の介護保険では要介護認定をした人の半数に認知症の症状があり、施設入所者の8割が認知症だとわかった。一方で介護保険認知症にうまく対応できていないという批判がありましたから、02年に老健局長になってから検討会をつくり、家族の会の方にも意見をもらいました。

 要介護認定ソフトを改定し、局内に「痴呆対策推進室」を設置しました。「痴呆」という用語に侮蔑的意味があることから、家族の会の声も踏まえて「認知症」に変更したのは04年12月です。その直前に京都であった国際会議には私も出席し、経緯を報告しました。

 介護保険の給付は初年度の3・6兆円から、現在は約10兆円となりました。医療は約40兆円。介護も医療も、限りのある公的財源をどう配分するかというシステムです。人為的に公定価格を付けるからこそ、公開の場で関係者が納得するまで議論する必要がある。

 単なる陳情大会ではなく、当事者を含む関係者がみな材料、データを提供すればいい。家族の会の発言もそこに登録され、配慮されていく。それが理想的な政策決定だろうと思います。

 (聞き手はいずれも編集委員・村山正司)

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 なかむらしゅういち 1948年生まれ。医療介護福祉政策研究フォーラム理事長。国際医療福祉大学大学院教授。
    −−「インタビュー 認知症、家族と社会と 『認知症の人と家族の会』代表理事・高見国生さん」、『朝日新聞』2017年06月08日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12977543.html


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