覚え書:「終わりと始まり サハリン、28年ぶりの再訪 商業主義へ変容する街 池澤夏樹」、『朝日新聞』2017年06月07日(水)付夕刊。

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終わりと始まり サハリン、28年ぶりの再訪 商業主義へ変容する街 池澤夏樹
2017年6月7日

 札幌からサハリンに行った。

 二十八年を隔てた再訪である。

 前回は開始早々の観光ツアー。たしか第一陣で、ぼくは旅行記を書いた。今回は北海道立文学館館長としての公務だが、実際には向こうの代表者のみなさんに会って握手して、あとはにこにこしているだけの気楽な旅。

 サハリンは近い。宗谷海峡の幅は四十四キロしかない。札幌からユジノサハリンスクまでは飛行機で一時間ほど。東京よりも仙台よりも近いのだ。

 二十八年前に行った時は稚内からの船で八時間かかってホルムスク(旧真岡)の港に着いて、車で内陸のユジノサハリンスク(旧豊原)に入った。

 距離や時間よりも、二十八年という歳月に自分で驚く。一九八九年にはサハリン州ソ連の一部だった。そういう名前の国があった。ゴルバチョフペレストロイカ宣言から三年という時期、その二年後にソ連が崩壊することはまだ誰も知らなかった。

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 辺境の町は無彩色が印象的で、そこのところがぼくが生まれ育った昭和二十年代の帯広によく似ていた。

 具体的に言えば、帯広もユジノサハリンスクも道がやたらに広く、家と家の間が空いていて、全体にがらんとしている(これは六歳で上京したぼくが内地の都市と比べて知ったこと)。公共の建物の多くが木造二階建てで、窓が縦長。シラカバの疎林やヤマナラシ、ポプラなど、植生もよく似ていた。

 何よりも北海道と空気感が同じだった。前に行った時も初夏で、その割には寒かった。今回は寒くはないが気持ちよく涼しい。

 昔と比べて市街地の景色はずいぶん変わっていた。色彩が氾濫(はんらん)している。建物がカラフルになったが、それ以上に派手な広告が目に飛び込む。社会主義から資本主義への移行を象徴する色だ。前の時は日本が体験した高度経済成長を知らぬままサハリンは戦後四十年を眠って過ごしたようだったが、今回は商業主義に目覚めたかのよう。

 マーケットの小店に並ぶのは(たぶん中国製の)けばけばしい雑貨だが、高級な店には高級なものもある。道を行く人々は西の方のロシア人に見えるけれど、朝鮮族の人も少なくないし、少数民族かという顔にも出会う。

 裏道に入ると舗装は荒れていて、汚泥やゴミの臭いがかすかに漂う。これを懐かしいと思ったのは、世界中いたるところでこういう道を歩いてきたからだ。日本はすっかり清潔になってしまった。

 出会う相手は無愛想だったり親切だったり。食事のサービスがおそろしく遅い店もあれば迅速な店もある。タクシーではスマホに表示される金額のとおり二百五十ルーブルを渡したら、五十ルーブル返してくれた。正直な男だ。(旅人はこういうところから土地の印象を作るのだから、偶然が偏見を生むのは当然だろう)。

 オーロラ航空の機内サービスや入国審査は気が利かない。旧ソ連と同じと言いかけて、しかし考えてみればたいていの国はこんなものだと思い直す。日本の社会の方が気遣い過剰なのかもしれない。その極致がコンビニの慇懃(いんぎん)で無表情な客あしらいである。

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 公費で行った目的は、我が北海道立文学館が秋に予定しているチェーホフの特別展にサハリン州の研究者を呼ぶ件の打合(うちあ)わせと、文学館と向こうのチェーホフ文学記念館の友好協定の調印。

 この記念館が立派だった。作家は三十歳の時に一念発起してモスクワからはるばるサハリンに旅行した。医師として流刑囚の境遇を調査して報告するのが目的で、その成果は『サハリン島』という著書に結実した。

 モスクワからは今でも飛行機で八時間の僻遠(へきえん)の地である。チェーホフの時は八十日かかった。記念館はほぼこの一作を巡る展示だけなのだが、これが呆(あき)れるほどの充実ぶり。牢獄を再現した実物大のジオラマなど、狭くて寒い拘禁生活の辛(つら)さが見る者の身に迫る。文学を手がかりに歴史が辿(たど)られる。

 二十八年前、サハリンを訪れた後でぼくは「種類が少なくて品質も粗末な消費財、遅い列車や舗装のゆきとどかない道路、杓子(しゃくし)定規で愛想のない窓口(しかしそれと対照的な町の人々の愛想のよさ)、社会主義の非能率、情報の不足、海外旅行の不自由など」をこの社会の特徴として挙げた上で、自国と比較して、「サハリンも三〇年たてば今の日本のようになるだろうとか、なればいいと言っているのではない」と書いた。それぞれの道でいいと思った。

 しかしソ連は消滅した。この隣国は資本主義・商業主義の日本に近づいたと言ってもいい。社会主義はあの国では失敗した。それが終わったのはよい事なのだろうが、資本主義にはまた別の苦労と不幸がある。理想はどこまで行っても遠いのだ。たぶんサハリンの人々もそれを実感しているだろう。
    −−「終わりと始まり サハリン、28年ぶりの再訪 商業主義へ変容する街 池澤夏樹」、『朝日新聞』2017年06月07日(水)付夕刊。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12977278.html


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