覚え書:「耕論 熟議は幻想か 脇雅史さん、大山礼子さん、遥洋子さん」、『朝日新聞』2017年06月16日(金)付。

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耕論 熟議は幻想か 脇雅史さん、大山礼子さん、遥洋子さん
2017年6月16日 

 「共謀罪」法が、採決強行の末、成立した。審議時間は衆院で30時間余、参院で18時間弱にとどまる。議論の中身も堂々巡りのまま、審議が打ち切られた。国会の熟議はもはや幻想か。

 ■「すべて多数決」は禁じ手 脇雅史さん(元自民党参院国対委員長

 与党は、(「共謀罪」法案の参院での審議で)委員会採決をログイン前の続き省略し、本会議で採決する「中間報告」という珍しい制度を使いました。この制度を使うには、審議が尽くされていることが大事な前提ですが、十分ではなかった。政府の答弁は適切ではなく、まわりくどい言い方しかできていなかった。会期を延長し、審議を尽くすべきでした。

 この法案では、委員会採決までの審議時間の目安が、衆院では30時間とされていました。過去の例から「これぐらいの時間の審議をしよう」という合意はあっても良いと思います。ただ、その時間数は与党が申し開きには使うけど「何時間審議すれば採決して良い」とはどこにも書いていない。あくまでもメドです。問題があれば熟議して、必要な時間を取るべきでした。

 限られた時間のなかで、国会運営を進めていくために、各党には「国会対策委員会」があります。国対の役割は、与野党がどこで手を打てるのか探り合うことです。最近は事前調整を悪いことのように言う人が多いのですが、人間同士の関係なんだから、お互いの立場が立つように工夫するのが人間の知恵です。

 「55年体制」では、政権交代は起こり得ず、旧社会党はどうしても譲れないところは強く主張し、他の部分では妥協するということを国対間でやっていました。「国対は人を殺すこと以外は何でもできる」と言われるほど、国対が絶対的な力を持っていた時代もありました。

 そうして積み上げてきた国会のルールは、先人が悩みながら決めてきた「先例」です。なかでも「少数意見を大事にする」のが、国会論争の大原則でした。それを踏まえて、国対は与党と野党が折り合うべきところは折り合う、というルールでやってきた。折り合えないときはガチンコになるけれど、全部多数決で決めます、と与党が言ってしまったら、すべてが終わってしまうんですよ。

 ただ、政権交代が現実的な時代になって以降、ルールも何もなく、相手をやっつけることが目標になり、妥協が成立しにくくなった部分はあります。自民党が野党時代、私は参院国対委員長でしたが、徹底的に追及して政権を奪い返すことが正義だと信じ込んでいました。

 今回の国会審議で気になったやりとりがありました。「資料は出せない」という政府答弁です。政府に真実をきちんと出させることは国会の重要な役割であり、そうした答弁は許されないはずです。支持率の低下には結びついていないかもしれませんが、今の政府・与党の国会運営に怒っている国民はものすごく多いと思います。国民への説明責任を果たさないなら、いつかしっぺ返しが来ます。(聞き手・田嶋慶彦)

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 わきまさし 45年生まれ。旧建設省を経て、98年参院選比例区で初当選。自民党参院幹事長など歴任。2016年7月引退。

 ■儀式やめ法案修正の場に 大山礼子さん(駒沢大学教授)

 議院内閣制における国会とは、立法府として内閣や議員が出す法案を審議し、修正するための場です。実際、フランスやドイツなどでは、政府が出した法案を一条ごとにチェックするなど実質的な審議がされる。与野党の指摘で頻繁に修正が行われています。

 ところが日本では、政治論戦や日程闘争ばかりで、実質的な審議が深まりません。なぜか。最大の原因は、与党が法案を「事前審査」し、そもそも国会で修正するつもりがないところにあります。

 事前審査とは、政府が法案を出す前に与党の部会などに諮り、その場で必要な修正を終えてしまうことです。与党は、いったん了承すれば、法案をそのまま成立させようとします。これではいくら国会で野党が頑張って法案の新たな問題を見つけても、政府・与党は指摘に向き合わずに早く審議を打ち切ろうとするだけで、何時間やっても不毛な儀式にしかなりません。

 国民の目に見える形で、国会で与野党による法案の審議と修正が行われるようにするには、どうしたらよいのか。私は、欧州諸国のように内閣がいったん国会に出した法案を修正しやすくすることが変化の契機になると思います。

 日本の国会法では、内閣が出した法案を修正するには、国会の承諾が必要です。もし内閣が修正を申し出ても、国会が承諾しなければ、内閣は修正案を出せません。そのため、内閣は事前審査と原案通りの成立にこだわり、与党もそれを受け入れる関係が定着してきました。

 諸外国でも、政府と与党が事前相談はします。ただ、国会提出後も内閣が自由に修正できるため、日本ほどガチガチには固めません。与党議員も事前に法案を固めない分、国会で法案修正を求めることが多く、野党の指摘も反映される余地も生じます。

 日本も、国会の承諾がなくても、政府が法案の修正案を出せるようにすべきです。政府が法案を修正しやすくなれば、政府が野党に「対案を」とねじれた要求をすることもなくなるでしょう。その上で、審議時間や日程ありきを排すには、こんな細切れの会期をやめ、諸外国同様の通年国会に移行するべきです。

 そもそも以前は、事前審査でもっと揉(も)まれ、ましな法案が出てきました。ところが最近は官邸の力が強まり、与党がモノを言わないまま、今回の「共謀罪」も含めて不十分な法案が提出されています。まともな事前審査もないのに、国会では従来型の論戦さえ低調で、政府による審議拒否といってもいい状況です。

 国民の代表が、政府の方針をただす唯一の場である国会で、どうすれば熟議ができるのか。まずは法案修正が行える国会にするよう、少しずつでも改善することが大切です。(聞き手・吉川啓一郎)

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 おおやまれいこ 54年生まれ。国立国会図書館勤務などを経て現職。著書に「日本の国会」「国会を考える」(編著)など。

 ■なめた政府、もっと怒って 遥洋子さん(タレント)

 (「共謀罪」審議で)国会での法務大臣の様子をみていると、ぐずぐずで突っ込みどころ満載でした。360度、どこからでも矢が飛んでくるのは想定内のはず。それなのに全然、理論武装していない。矢を放つたびに穴ができる。穴を埋めて、次の穴を埋めて、とやっているうちに、何十時間が過ぎた。なぜ理論武装していないかといえば相手をなめているからですよ。

 さらに確信したのは、徹底して相手に向き合わない、という政府の姿勢です。加計学園獣医学部新設の問題のやりとりを見て感じました。かわす、無視する、すかす、レッテルを貼る、情報の出どころに難癖をつける……。議論をしようとしない人を相手に、いったい、なんの議論があんねん、って。むなしさ、虚無感が残りました。

 議論は本来、矢を撃ち合うものですよ。矢が刺さるか、避けるか、撃ち返されるか。議論が成り立っていれば、短い時間でも手応えがある。

 私は討論が好きです。テレビ朝日の「朝まで生テレビ!」など、出演させてもらうときは、相手が専門家でも大臣でも、挑んでいく。先輩や看板タレントの顔色をうかがうこともなく、対等な立場で挑むことが許されているから、討論番組は楽しい。

 出演前には、「受験勉強か?」というぐらい勉強します。テーマに関する本を読みあさり、疑問と違和感を番組で専門家にぶつける。手応えがあるのは、相手が真剣になった時。ムキになって怒り出した時。そういう瞬間の視聴率は高くなります。

 もし、討論の中で「君みたいな『出どころのわからない』タレントの意見には耳を貸さない」ってシャッターを下ろされたら、討論は成立しませんよね。相手にされなかったり、なめられたりしたら、私は怒ります。

 準備不足の大臣や、相手にしようとしない首相が出てきたら、野党はまず、その姿勢に怒りの声を上げるべきなのに、延々と矢を放っている。野党も記者も怒らなきゃ。きまじめに「国会は審議するものだから」と矢を放っても、勝てるわけないですよ。

 そもそも国会審議には限界があり、法案の良しあしが私たちに分かるのは数年後か、もっと先。でもどうせ通すなら、健全な討論が見たい。得心も反発もできないのが今の国会です。今回の「共謀罪」法案では、政府は最初から数ありきで、同じ土俵に上がろうとしませんでした。最後の強行ぶりは、ようやくその本音が出たな、と。野党の戦い方も既視感がありました。

 小泉純一郎さんの国会は楽しかった。政治家の執念が政治を動かすという感動があった。議論のだいご味は感動や共感。採決を強行した国会のどこにそんな感動がありますか。(聞き手・三輪さち子)

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 はるかようこ 大阪市生まれ。テレビや講演などで活躍。著書に「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」「介護と恋愛」。
    −−「耕論 熟議は幻想か 脇雅史さん、大山礼子さん、遥洋子さん」、『朝日新聞』2017年06月16日(金)付。

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