覚え書:「耕論 危うき統治の時代 ピエール・ロザンヴァロンさん、中北浩爾さん」、『朝日新聞』2017年06月22日(木)付。

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耕論 危うき統治の時代 ピエール・ロザンヴァロンさん、中北浩爾さん
2017年6月22日

イラスト・山本美雪

 これが「国権の最高機関」なのか。委員会採決を省いた「共謀罪」法案の採決強行など、政府方針を追認し、擁護するばかりの国会。「安倍1強」の下、議会制民主主義の機能不全があらわになってきた。危うき「統治」の構造は、なぜ生まれたのか。

連載「1強」
 ■投票日以外も主権者であれ ピエール・ロザンヴァロンさん(コレージュ・ド・フランス教授)

 多くの民主主義国で統治を担う政治指導者に権力が集中する「大統領制化」のような事態が進んでいます。行政権力がどんどん政治の中心を占めつつあるのです。

 歴史的には、行政権力、政府を議会がコントロールしてきたはずでした。議員は政権をチェックし、権力の責任を追及し、独立した判断を下す。しかし、今の議会にあるのは賛否の陣営だけ。もはや熟議の空間ではない。

 それでも議会は機能しているように見えなければならない。だから政府も多少の譲歩はする。でも結局、法案を押しつけるのです。そこにあるのは、強い行政府のために合理化された議会制と呼ぶべきものなのです。

     *

 民主主義には、本来議会が受け持っていた機能の回復が必要です。熟議をし、政治を評価し、公権力を監視する。それを議会の外でもしなければなりません。

 もちろん、それでも選挙は民主主義の祭り、中心をなす瞬間です。投票率が下がっても強い意味を持つ。でも、人々は、選挙に何もかも期待するのは無理だとも気づいています。民主主義とは、政権を選択するという単なる手続きのことではありません。人々が期待している質が常にもたらされるかどうか、が大事です。

 歴史的に民主主義の改革のほとんどは、選挙の質向上の試みでした。しかし、選挙の完成度を高めること以外でも、民主主義の完成度を高める方法を見つけなければいけない。

 統治についてマキャベリはこんなことを言っています。「重要なのは権力を獲得することより、維持できるかどうかだ」

 維持するテクニックとはどんなものか。迎合や腐敗、だまし……。そうやって統治される者たちが囚人となるような空間を作り上げる。

 そんな権威主義的体制の大きな特徴のひとつは、民主的な選挙は受け入れるけれど、社会が常時民主的であることを拒む点にあります。ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領を見ればわかります。彼らは、民主主義を選挙による正当化の手続きに限定する。そのあとは、人民は私とともにある、だからすべての権力、権限がある、というわけです。

 理想的な民主主義では、主権者は投票日1日だけではなく、つねに主権者であるべきです。人民は、たったひとつの方法だけで代表されるわけではないのです。

 ほかの道筋もあります。たとえば、だれも手を着けられないある種の仕組み、公平性の原則も重要です。司法など独立した機関の原則です。また、法が認める権利も、ただ1人に対してであっても尊重しなければなりません。

 これが民主主義とポピュリスト体制の大きな違い。ポピュリスト体制は独立機関などの権威を受け入れません。

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 今、民主主義は半身不随。多数派の制度ではあるけれど、独立機関の権威や憲法裁判所の権限が十分に整っていません。民主主義はもっと多元化しなければならないのです。

 仕組みだけではなく、生き生きとした公共空間も必要です。メディアにもその役割がある。今日、多くの集団がメディアを敵と見なしています。たとえば民間企業だから民主主義に危険だ、などという。でもそれでは、記者たちは選挙で選ばれた政治家が任命するべきで、それこそが民主主義ということになる。新聞は政府広報だけになる。これは問題でしょう。

 必要なのは選挙のときだけでなく、常に作動している民主主義。仏革命のころ、こんな表現があった。「選挙は人民の声。民主主義は人民の目」。人民とはつねに目を開いて監視する者なのです。単に有権者、「代表される」者にとどまらないで、つねに「統治される」者として向きあう必要があります。

 (聞き手 編集委員・大野博人)

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 Pierre Rosanvallon 1948年生まれ。歴史家、社会学者。「カウンター・デモクラシー」などの著作で代表制民主主義の危機を分析。10月の朝日地球会議で講演の予定。

 ■権力への制約、失われた結果 中北浩爾さん(一橋大教授)

 最近、「総理のご意向」による加計学園獣医学部新設問題や、「共謀罪」法の強引な国会通過など、安倍政権が強い批判を浴びています。国民への説明不足、メディアへの高圧的な姿勢を含め、トップダウンの弊害が顕著になっています。

 しかし、「決められる政治」ならぬ「決めすぎる政治」は、この政権固有の問題ではありません。そもそも首相の権力は、1994年の政治改革以降、制度的に強化されてきました。小選挙区制や政党助成制度の導入によって、党執行部が持つ候補者の公認権や政治資金の配分権が重要になり、所属議員が異論を唱えにくくなりました。首相官邸が幹部官僚の人事権を掌握することになった14年の内閣人事局の設立も、その一環でした。「安倍1強」は、一連の政治改革の帰結なのです。

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 問題は、政治改革が前提条件としていた首相の権力への制約が失われてしまったことだと思います。その一つは、二大政党の片翼を担う政権担当可能な野党の存在です。次の総選挙で政権交代が起きるかもしれないという緊張感があれば、官邸や与党も自制せざるを得ません。

 もう一つは、総選挙の際のマニフェスト政権公約)です。数値目標や実施時期を明記したマニフェストに基づいて政治を行うことは現実性を欠いていましたが、そこには政権や与党に民意の縛りをかけるという意味がありました。民主党マニフェストに基づく政権運営に失敗し、有権者の失望を買い、以上の二つの制約条件が失われた結果が、現在の首相の赤裸々な権力行使だといえます。

 かつて同様に強力なリーダーシップを発揮した小泉純一郎元首相は、派閥や族議員といった「古い自民党をぶっ壊す」と叫び、既得権を持つエリートを攻撃し、無党派層にアピールしました。対して安倍首相は、新自由主義的改革一本やりではなく、人事で派閥を尊重するなど党内融和を図っています。だからこそ、これだけ相次いで問題が表面化しても、なかなか党内から批判が出ません。敵は野党第1党の民進党であり、国会の答弁でも繰り返し民主党政権の失敗に言及する。過剰かもしれないけれど、政党政治の観点からみれば、党内対立を煽(あお)った小泉首相よりも安倍首相の方が正道です。

 安倍首相がポピュリストではないことは、小泉首相のような無党派層の熱狂的な支持を欠いていることからも明らかです。この間、自民党民主党民進党との違いを示し、結束を固めるため、憲法改正などで右寄りの姿勢を強めてきましたが、国民の幅広い支持を得られているとはいえません。

 そうしたなか、自民党の絶対得票率、つまり全有権者に対する得票の割合は、低迷を続けています。自民党は安倍総裁の下、国政選挙で4連勝していますが、それは低投票率のなかで達成されているだけ。民進党などの野党が非力であることを背景に、小さくまとまって勝っているというのが、現在の「自民1強」の姿なのです。

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 しかしながら、弱体化しつつあるとはいえ、自民党民進党に比べれば、依然として分厚い支持基盤があります。友好団体は多く、地方議員の数も圧倒的です。その上で、強力な支持母体を持つ公明党と連立を組み、選挙協力をしている。ある自民党関係者が私にこう言いました。「我々は猛烈な逆風が吹かない限り勝てる」と。しかも、自民党は所属議員を厳しく査定し、党員集めや後援会づくりをさせています。他方、民進党はそうした地道な努力をせず、他力本願的に共産党との野党共闘に向かっている。これでは政権交代は遠のくばかりです。

 確かに、安倍政権は暴走気味です。しかし、その背景を冷静に分析し、手を打たない限り、危うい統治を止めることはできません。

 (聞き手・高久潤)

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 なかきたこうじ 1968年生まれ。専門は現代日本政治論・日本政治外交史。著書に「自民党 『一強』の実像」「現代日本の政党デモクラシー」など。
    −−「耕論 危うき統治の時代 ピエール・ロザンヴァロンさん、中北浩爾さん」、『朝日新聞』2017年06月22日(木)付。

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