日記:憲法を踏みにじろうとするのは、いつの時代でも憲法の縛りから少しでも解放されたいと願う権力者である。


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11 「世論」に日を付けた美濃部の発言
 閣内で勅令案が浮上し、これに対して在野から「憲法蹂躙」の声があがりはじめた一九二八年五月二九日、美濃部達吉は、「緊急命令の濫用」と題した一文を『朝日新聞』に寄せ、勅令方式を「正気のさたとも思われず、暗黒政治の感ますます深きを禁じ得ない」として、大要、次のように批判する。
 そもそも「国体の変革」(革命)といったことが問題になるのは、「国民の間に政治上又は社会条の不満がび満して要る」ことに起因する。この原因が「強大であれば、如何なる厳罰をもってこれを抑圧せんとしても、その機運を防ぎとむることは甚だ難い。却ってその刑罰を厳重にすればする程、一層反抗の機運を激成する恐れがある」。それゆえ政府の取るべき途は、一般刑法以外の特別の刑罰法(「悪法」と非難される治維法)によって国民を威嚇するのではなく、「政治を公明正大に、言論出版集会結社を自由にして国民の不平を公に発表することを得せしめ、進んでは社会上の不満を除くの途を講ずるにあらねばならぬ」。
 ところが、政府はこの悪法をさらに改正し、「国体の変革」を企てる者に対して極刑を以て臨もうとする。かかる改正法案が正式に議会に提出されるとしても、容易に賛成し得べきものではない。しかし、正式に議会の同意を得るならばまだしも、「一旦議会に提出してその同意を得ることが出来なかったにも拘わらず、緊急勅令をもってこれを断行せんとするに至っては、まさしく憲法の蹂躙であり、甚だしき権力の濫用である」。
 要するに、緊急勅令は一時の変に応ずる臨機の手段であり、暫定的性質の立法であるが、他方、治維法は、その性質上一時の変に応ずるものではなく、永久的性質の立法である。それゆえ、緊急勅令によって「永久的の立法をなさんとするが如きは、この点からいっても、憲法違反の非難を免れない」というのである(なお、共産党掃滅の徹底を説く上杉慎吉すら、この緊急勅令を「憲法違反」と断定している〔「憂うべき緊急勅令(上)」六月二三日『朝日』ここにも留意〕。
 この美濃部の発言が世論を喚起することになったことは、六月五日付『朝日』に掲載された岡本一平の風刺画からも明らかであろう。一平は「〔憲法〕学者なぞというものは本の中に入って勉強してさえすりゃいいんだ」と、現政権に通底する政府の本質をみごとに描出している。

12 むすび
 憲法を踏みにじろうとするのは、いつの時代でも憲法の縛りから少しでも解放されたいと願う権力者である。これに対して、権力者の行為を監視し、憲法が遵守されているかどうかに猜疑の目を光らせるのは、かかる権力の行使によって憲法で保障された「自由」に対する侵害を常に恐れる国民である。
    −−高見勝利「〔補論〕憲法を踏みにじる権力と憲法を守る力の相剋  一九二八年憲法争議の顛末」、長谷部恭男、杉田敦編『安保法制の何が問題か』岩波書店、2015年、92−94頁。

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