覚え書:「『サラダ記念日』愛されて30年 三十一文字に口語、なお盤石」、『朝日新聞』2017年07月06日(木)付。


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『サラダ記念日』愛されて30年 三十一文字に口語、なお盤石
2017年7月6日

写真・図版
『サラダ記念日』新装版(左)と『文芸別冊 俵万智』=外山俊樹撮影

 《「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日》

 俵万智さんの歌集『サラダ記念日』が1987年5月に刊行されて30年になる。単行本・文庫合わせて280万部という部数で読み継がれている歌集は、短歌に何をもたらしたのか。(岡恵里)

 《「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言っログイン前の続きてしまっていいの》

 商品名が登場、若者の恋愛状況を詠んだ歌集がベストセラーになった。

 昨年、初版とほぼ同じ装丁で新装版が刊行された。「新たな読者に届けたかった」と河出書房新社編集部の高木れい子さん。購買層は約3分の1が初版当時を知らない20代以下だ。

 30年を記念し6月に出た『文芸別冊 俵万智』の表紙で、俵さんは『サラダ記念日』と同じ髪形で同じポーズを取る。俵さんと同世代の歌人でエッセイストの穂村弘さんは、「同じ」であることに注目する。「俵さんの文体は当時すでに完成されていた」という。

 高校教師をしながらインタビューを日に四つもこなしていた当時、俵さんは「何でもないこと、日常のなかの本当に小さな心の揺れに敏感になること」が歌を作る基本と語っている。

 穂村さんは「当時、新しいと思って読まれたかは疑問。読者は古風な女性像を感じていたのでは」という。俵さんが短歌を始めたきっかけであり、カンチューハイの歌に最初に二重丸をつけた師の佐佐木幸綱さんも「内容というより、定型に収めた話し言葉の面白さ、文体表現が個性的で新しかった」と振り返る。

 新しさに敏感だったのは歌人たちで、穂村さんは「萩原朔太郎など詩の口語化から70年遅れで短歌口語化の機が到来した。俵さんの文体には、文語の微妙な骨格もあり、(口語の導入を)可能にした。短歌には先行の文体、古典の素養も含めた『形式』があるから、感覚だけでは理解しにくくても新しい良さを評価できた。文語中心世代の短歌に、以後口語が増えた」と分析する。

 30年前、佐佐木さんは俵さんを「石川啄木を継いでいるところがある」と評した。穂村さんも、多くの読者を持った歌人として、喜怒哀楽の表現がシンプルな啄木と俵さんを比較する。

 単にうたかたの人気だったわけではない。連綿と愛されてきた三十一文字の形式という枠のもと、人と時代を得て可能になった短歌の布石。『サラダ記念日』は30年を経てなお盤石だ。

 ■歌と生きること、ずっと並行している 俵万智さんに聞く

 歌はずっと作り続けています。生きることとずっと並行してありました。

 短歌は日常の小さな感動や心の揺れに対応できる詩形であり、柔軟に対応してくれるのが魅力。年齢を重ね、住む場所が変わっても、歌に対するスタンスは30年前と変わりません。

 付け加えることがあるとすれば、青春や恋愛同様、子育てと短歌はすごく相性がいいということでしょうか。子どもは月単位で変わっていく。その更新の様子を表現するにも短歌は合っている。

 《何度でも呼ばれておりぬ雨の午後「かーかん」「はあい」「かーかん」「はあい」》

 恋愛の歌は見せ方を考えたり、盛りつけやソースに凝ったりしなければアピールできないが、子どもの歌は「刺し身」で出せる。鮮度が味になるんです。

 当時、カタカナ語が多いという表面的な批判もありましたが、大筋認めてもらった安心感はありました。その後の展開を見ても、短歌が口語抜きではもちこたえられない時期に来ていたのでは。

 五七五七七だけが決まりなんだよ、と最初に佐佐木先生に言われた。本当にいいリズムだと思います。はみ出すためにはみ出しても、ずっと続いてきたものに負けてしまう。この定型は自分の言葉に力をくれるもの。はみ出す理由を今も私は見つけられない。

 歌は誰かに頼まれて作るものでもない。歌人に限らず、何かでありつづけるのはたいへんですが、新作を楽しみにされる歌人でありたい。

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 たわら・まち 1962年生まれ。『サラダ記念日』で現代歌人協会賞、『プーさんの鼻』で若山牧水賞。2011年から暮らした沖縄県石垣島を離れ、昨年から宮崎県在住。
    −−「『サラダ記念日』愛されて30年 三十一文字に口語、なお盤石」、『朝日新聞』2017年07月06日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13021023.html





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