覚え書:「掌の教養 岩波文庫90年:上 「古典的価値」岩波のこだわり 先発の新潮、同時代文学を重視」、『朝日新聞』2017年07月10日(月)付。

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掌の教養 岩波文庫90年:上 「古典的価値」岩波のこだわり 先発の新潮、同時代文学を重視
2017年7月10日

岩波文庫豆知識
 「カタカナだらけの題で何の本かよく分からないかもしれません。でも『世界一』の本なんです」

 岩波文庫の入谷芳孝編集長(54)がそう胸を張るのは、今年1月に全4巻が完結した『ティラン・ロ・ブラン』。古典中の古典『ドン・キホーテ』にも「世界一の本」と登場する騎士道小説の傑作だ。

 実売部数は計約1万4千冊にとどまるが、入谷編集長は「重要なのは古典か、将来古典になる本であること。創刊以来、売れるかどうかは二の次」。

 創刊は1927(昭和2)年7月10日。前日の東京朝日新聞1面に広告を載せ、「真に古典的価値ある書」を「極めて簡易なる形式」で刊行すると宣言した。「知識と美とを特権階級の独占より奪い返す」

 最初に刊行されたのはプラトンからチェーホフ夏目漱石まで23点。当時人気の「円本」でも1冊1円という時代に、100ページにつき20銭と安価に抑えた。熱狂的な支持を集め、読者から「わが生涯の教養を岩波文庫に託す」と記したはがきも寄せられた。それから90年。総刊行数は約6千点に及ぶ。創刊時に出た『ソクラテスの弁明・クリトン』は105刷を数え、166万部。今も現役だ。

 さらに長い歴史を持つのが1914(大正3)年創刊の新潮文庫だ。大正期はドストエフスキーら海外の名著を廉価に提供した。

 岩波文庫創刊後の昭和初期から佐藤春夫久米正雄芥川龍之介ら「国内の同時代文学」に方向転換した。これが奏功し、60年代までは文庫本のない他の出版社から単行本で出た作品も吸収。大江健三郎三島由紀夫安部公房現代日本文学の受け皿として圧倒的な優位を築く。総刊行点数は約1万1千点に上る。

 新潮文庫の佐々木勉副部長(51)は「岩波文庫が小さなマーケットで重要なものを売るのに対し、多くの棚で今読むべきものを出してきた。文学の喜びと教養を広く与えたいという思いは同じ」と話す。

 ■新訳や新装丁、工夫凝らす各社

 70年代以降、講談社文庫や中公文庫など出版各社による創刊が相次ぎ、競争は激化した。近年は古典を無料で読めるネット上の「青空文庫」も登場。薄利多売の文庫というビジネスモデルの先行きは不透明だ。

 講談社は88年、講談社文芸文庫を創刊。森山悦子担当部長(50)によると売り上げ至上主義の波が押し寄せるなか、「純文学専門の別レーベル」という聖域をつくる狙いがあった。「書店の棚を確保できる文庫でないと息の長い本は出しにくい。名作文学を世に送り出すための最後の砦(とりで)として頑張りたい」

 2006年創刊の光文社古典新訳文庫は「いま、息をしている言葉で」をキーワードに海外の古典に新しい風を吹き込む。創刊時の編集長、駒井稔さん(61)はかつて岩波・新潮の両文庫の難解さに苦しんだ読書体験があった。「寝転がって読める古典があってもいい」。亀山郁夫訳のドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』が累計100万部を超すなど、新訳ブームに火を付けた。

 集英社文庫は07年から、人気漫画家をカバーイラストに起用して話題に。太宰治人間失格』を小畑健さんが、川端康成伊豆の踊子』を荒木飛呂彦さんが手がけるなど、装いを変えて新しい読者を得ている。

 岩波文庫も古典の枠を広げる挑戦を始めた。同時代の詩にも手を伸ばし、『自選 谷川俊太郎詩集』は売れ行きも好調。編集作業が進むロバート・キャパの作品集は同文庫初の写真集となる。岩波書店の岡本厚社長(63)は言う。「古典という豊かな森を少しずつでも大きくしていきたい」(中村真理子、赤田康和)

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 岩波文庫が10日、創刊から90年を迎えた。国内外の古典を安価に提供し、読者に支持されてきた。長く広く、教養を届けてきた掌(てのひら)サイズのメディア。文庫を巡る歴史をたどり、これからを考える。
    −−「掌の教養 岩波文庫90年:上 「古典的価値」岩波のこだわり 先発の新潮、同時代文学を重視」、『朝日新聞』2017年07月10日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13027924.html





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