日記:上から都合よく人間を操作したいと望むとき、道徳や公共がとなえられる

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教育基本法改正の道徳心

 一九三八年に始まった岩波新書はクリスティーの『奉天三十年』(矢内原忠雄訳)を最初の刊行としているが、そこに満州軍閥張作霖将軍の言葉が載っている。「今日に於ける支那青年の欠陥は「道徳」(宗教、道徳的原理)です。私の兵士を強からしめるために、私の軍隊に欲しいものはそれです」と言っている。権謀術数によって軍閥の首領にまでなった彼は、日本軍によって暗殺された。それにしても支那青年を日本青年に、兵士と軍隊を国民に置き換えれば、教育基本法改正を主張する保守政治家の言葉そのものである。
 「学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。人として完成を図る教育が大切だ。言いかえれば、宗教教育である」と遺言にしたためたのは、戦犯として処刑される直前の東条英機元首相であった。彼は「再建軍隊は精神主義を採らねばならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。この点については、大いに米軍に学ぶべきである」とも書き残している。「戦陣訓」によって死を煽った男がなお、責任観念がないと部下を責めている。
 今また、少年の凶悪犯罪が起こるのは教育基本法に「道徳心」や「公共の精神」が盛り込まれなかったからであるという、政治的扇動が行われている。それでは少年による殺人事件は戦後、確実に急激に減少してきたのをどう説明するのだろう。敗戦後しばらく、まだ教育勅語を叩き込まれた少年が多かったころ、凶悪事件が極めて多かった。愛国心道徳心を教育の基本にせよと主張する人たち、たとえば首相。彼らは教育基本法で戦後教育を受けたために、国会の場で学生時代の売春疑惑や、某新聞社への不正入社が問題にされたり、働いていない会社から給与をもらったりするようになったのだろうか。
 それにしても誤った教育基本法なるもので教育されてきた彼らが、なぜ道徳心が分かるのか不思議である。張作霖東条英機、そして教育基本法の改正を主張する人びと。上から都合よく人間を操作したいと望むとき、道徳や公共がとなえられる。(五月二十六日)
    −−野田正彰『見得切り政治のあとに』みすず書房、2008年、55−56頁。

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