日記:私たちはいまも、「戦争が遺したもの」に束縛されている


        • -

 書名であるが「戦争が遺したもの??鶴見俊輔に戦後世代が聞く」は、上野氏の提案によるものである。当初、筆者は「戦後世代が聞く」という言葉に、違和感があった。文字通り「戦後(敗戦直後)生まれ」である上野氏とは異なり、筆者は敗戦後二〇年近くたって生まれている。一九九〇年代生まれの青少年に向かって、「あなたは戦後世代ですね」と言っても、けげんな顔をされるだけだろう。筆者もまた、「戦後世代」に含められても、リアリティが湧かなかったのである。
 しかし、現代を指す言葉として、「戦後」はいまだに使われている。それはおそらく、現代を言い表すのに適切な言葉がほかにないという理由だけではない。対米関係や対アジア関係をはじめとした国際秩序や、さまざまな国内秩序が、戦争の余波のなかで「戦後」につくられた枠組の範疇にとどまっているからでもあるだろう。
 その意味では、私たちはいまも、「戦争が遺したもの」に束縛されているといえる。そうであればこそ、現代はいまだに「戦後」なのであり、どれほど当人にリアリティがないとしても、現代に生まれている人間はいまだに「戦後世代」でしかないとも言える。
 考えてみれば、かれこそ六〇年も「戦後」が続くというのは、奇妙なことだ。しかし「戦後」を相対化するためには、「戦争が遺したもの」と向きあい、「戦後」を理解するべく努めることしかないであろう。いまだに「戦後世代」でしかありえない私たちは、いまだに「戦後」でしかありえない時代を生きてゆくなかで、そうした努力を迫られざるをえない。そうした意味で、鶴見氏の戦争体験と戦後体験をお聞きすることは意義を持つものであり、「戦争が遺したもの −−鶴見俊輔に戦後世代が聞く」という書名も適切なものであると考えた。
    −−小熊英二「はじめに」、鶴見俊輔上野千鶴子小熊英二『戦争が遺したもの −−鶴見俊輔に戦後世代が聞く』新曜社、2004年、9?10頁。

        • -


Resize7742


戦争が遺したもの
戦争が遺したもの
posted with amazlet at 17.12.07
鶴見 俊輔 上野 千鶴子 小熊 英二
新曜社
売り上げランキング: 116,598