覚え書:「日曜に想う 次の秩序をつくるもの 編集委員・曽我豪」、『朝日新聞』2017年07月23日(日)付。

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日曜に想う 次の秩序をつくるもの 編集委員・曽我豪
2017年7月23日

「ポイント」 絵・皆川明
 ひとつ権力が生まれ、秩序ができる。やがて権力が陰り、無秩序の危機が生じる。混沌(こんとん)の中から、次の権力と秩序が立ち上がる。政治はその繰り返しだ。

 繰り返しだがやはり、無秩序の危機の局面が一番人を不安にさせる。その責任の第一は権力の側にある。

 安倍政権の深刻さは、都議選の惨敗や支持率の急落にだけあるのではない。それより、森友・加計問題から閣僚らの失言・不祥事まで、いつになっても問題をリセット出来ない点が厳しい。安倍晋三首相もよもや、内閣改造ひとつでがらりと局面が好転すると思ってはいまい。

 それでも、民進党は都議選の総括や蓮舫代表の二重国籍問題に足をとられ、極めて内向的な混沌の中にある。都議選で圧勝した都民ファーストの会にせよ、世論はその国政進出に半ば懐疑的だ。数々の新党や各種チルドレンのてんまつを見てきた日本の世論であれば無理もない。

 既存の政権党も野党もそして新党も決め手を欠く三すくみの状況だ。誰が無秩序の危機を救う主体になるのか。

     *

 三谷太一郎東大名誉教授がこの春出した「日本の近代とは何であったか――問題史的考察」(岩波新書)を都議選の後で読み返した。冒頭提起される設問は重く、しかも今日的だ。

 戦前の日本の政党政治は、世界不況と二大政党同士のスキャンダル合戦の中でわずか8年の短命に終わり、軍国主義の台頭を許した。だが秩序の崩壊を追うにはまず、秩序の誕生を見極める必要がある。三谷氏は逆にこう問いかける。

 「なぜ、いかにして東アジアでは例外的な複数政党制が成立したのか」

 福沢諭吉らの言説を引き、丹念に前史が残した政治文化の遺産を掘り起こしてゆく。合議制による権力の抑制均衡のシステムが江戸幕藩体制から既に準備されていたこと、それは明治憲法体制につながり、一見すると集権的で一元的な天皇主権の背後で、分権的で多元的な権力分立制が作動していたことを解き明かす。

 明治政府のリーダーたちは米国の憲法起草者たちと同様、議会多数派の国家支配を防止する意図があった。しかし権力分立だからこそ、現実の政治は体制統合の主体を必要とする。藩閥のあと、その担い手は政党しかなかった。これも米国と同じく、「反政党的な憲法」のもとで逆説的に政党政治が誕生したと論じる。

     *

 ただ、三谷氏の問題意識はそこにとどまらない。戦前に外交官として30年以上の滞日経験を持つ英国人歴史家のジョージ・サンソムが戦後の1950年に東大で行った連続講義を引く形で、ヨーロッパの「議論による統治」にあって日本にはなかった伝統を指摘するのだ。

 「少数者の権利と意見を尊重する一定の伝統」と「各個人が他の個人の意見や行動の自由をある程度尊重する」伝統がそれだ。サンソムが日本人の行政技術や秩序形成能力を卓越したものと評価する一方で欠けたピースだと考えたもの、それは日本の政党政治が依然として抱える今日的課題だと言えるだろう。

 少数意見の尊重は単なるお題目ではない。今回、高い代償を払って安倍政権の人々は本当にわかったのだろうか。小さな反乱だ、抵抗のための抵抗だとたかをくくるばかりだと、昨日までの民意の共感は違和感へ、さらに今日は反感へと変わる。「一強」はただ強圧的な行政権力の維持装置としか思われず、言論の府に根ざす統合能力を失う。少数意見の尊重とは、良い悪い以上に損か得かの極めてリアルな政治技術の問題である。

 もちろんそれは、政権の側だけの問題ではない。民進蓮舫代表の記者会見でフリーライターの質問を議事録から削除しようとし、都民ファーストも都議への自由な取材を規制した。

 それで政党の団結や正しさを守ることが出来ると思うのなら、逆効果だ。自分の至らなさに気付かせてくれる少数意見をありがたいと思い、自己改革の糧として取り込める者だけが、世論を静める統合の力を持つ。それが議会制民主主義への信頼を回復し、次の秩序を生み出す統合主体へと政党が脱皮する道だと思う。
    −−「日曜に想う 次の秩序をつくるもの 編集委員・曽我豪」、『朝日新聞』2017年07月23日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13051009.html





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