覚え書:「論壇時評 人間と機械 AIが絶対できないこと 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2017年07月27日(木)付。

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論壇時評 人間と機械 AIが絶対できないこと 歴史社会学者・小熊英二
2017年7月27日

小熊英二さん=竹花徹朗撮影

 将棋の藤井聡太四段は、AI(人工知能)に勝てるだろうか。そもそもAIは何ができて、何ができないのか。

論壇委員が選ぶ今月の3点(2017年7月・詳報)
 将棋AI「ポナンザ」の開発に携わった井口圭一は、「機械学習と人間の差はまだ大きい」という〈1〉。いま存在しているAIは「特化型」と呼ばれ、用途が限定的だ。将棋AIにベンチャー投資はできないし、新しいゲームを開発することもできない。幅広い分野で自律的に課題を発見・解決できる「汎用(はんよう)型」AIは、実現の見通しが立っていない。

 それでは、現状レベルのAIでも、導入すれば経済が成長するだろうか。東大合格をめざすAI開発で知られる新井紀子は「AIで生産性を上げれば経済が成長する、というのは誤解です」という〈2〉。AIで労働コストを削減し、それで生産性を上げることはできる。だが「それそのものは新しい価値や需要を生み出しません」というのだ。

 それはなぜか。理由の一つは、今のAIが、一定の枠内で収集された過去のデータを学習するだけのものだからだ。

 一例をあげよう。来店客の購買データをAIで解析し、品ぞろえの効率化をしたとする。だが過去の来店客のデータを解析しても、「店に来たことのない客」や「未来の新製品への反応」はわからない。そうである以上、「固定客にもっと買わせる品ぞろえ」はできるだろうが、顧客の新規開拓や、新製品の開発には直結しない。結果的に、需要や価値を新しく生むことにはつながりにくいのだ。

 いわば現行のAIは、保守的な性格を持つともいえる。「イノベーション」を説明する例え話として、「馬車をいくらつないでも鉄道にはならない」というものがある。それと同様に、馬車のビッグデータをAIに学習させても、鉄道の発明には直結しない。むしろそれは、馬車の改良を促してしまうだろう。

 もちろん人間は、歴史を学ぶことで、未来を革新できる。だがそのためには、過去のデータから、統計的に例外でも重要な事例に着目し、価値を与えることが必要だ。そういうことは、AIにはできない。AIにできるのは、過去の延長で未来を予測することだけだ。

 雇用問題専門誌「POSSE」は、AIによる労務管理が普及すれば、かえって古い「日本型雇用」が強化されると指摘する〈3〉。過去のデータから人事評価基準を作れば、従来型の働き方をしている社員の方が、高く評価される人事システムができるだろうからだ。

 AIに変革はできない。AIが得意なのは、従来の構造を維持したまま、コストを削ることだ。最悪の場合、AIで労働コストを削ることによって、古い産業や無能な経営者が延命するだろう。

 今野晴貴は、低賃金で維持されている小売りチェーンなどの低生産性部門が、現状のままAIを導入した姿をこう想定する〈4〉。数人の社員が、多数の無人店舗を管理するべく長時間働き、「労働は減るが、長時間労働は減らない」という状態になるだろうと。これでは、失業とデフレと過労死が併存するだけだ。

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 つまり問題はこうだ。AIそのものは新しい価値や成長を生み出すわけではない。イノベーションを起こすには、新しい価値や、社会制度の変革が必要だ。だがそれは、人間にしかできない。

 「人間はAIに勝てるか」という問いがある。だが実は、人間は昔から機械に負けている。自動車より早く走れる人はいない。しかしそのことで、「人間は自動車に負けた」と嘆く人はいない。それは、自動車を人間の補助として使いこなせるように、社会のあり方を革新(イノベーション)したからだ。人間が機械に勝てるとすれば、機械と競争することによってではなく、機械と共存できるように社会を革新することによってである。

 AIについても共存の方向で社会を変える試みがある。米マサチューセッツ工科大教授のダニエラ・ラスは、自動運転でトラック運転手の仕事をなくすより、運転手が疲労や睡魔に襲われた際の安全装備として自動運転を使う方が現実的だと唱えた〈5〉。ドイツの労組は、政府や経済界と共同して、AI導入に備えた職業訓練制度を提起している〈6〉。

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 この点で日本は対応が遅れぎみだ。前述の新井は、政府の態度をこう評した。「AIですごいイノベーションを起こせば逆転満塁ホームランが打てるという青写真を描こうとしている」〈2〉。新井によれば、事務職の仕事の2割がAIに代替可能と予測され、人々を新しい職に移行させる能力開発と、貧困に起因する教育劣化への対策が急務だ。それなのに政府は、地道な対策に取り組むよりも、「『ここは機械にホームランを打ってもらおう』と考える。これが今のAIブームを支えている」という。

 新技術の導入だけで経済が成長するなどという期待は、高度成長への誤解に基づくノスタルジーにすぎない。古い社会や古い政治を延命するためにAIを使えば、多くの人が犠牲になる。それこそ、「人間がAIに負ける」という事態にほからならない。そうではなく、AIと共存できる社会に変えていくために、人間にしかない英知を使うべきだ。

 なお冒頭の「藤井四段はAIに勝てるか」の答えはこうだ。彼はAIに勝とうとしていない。AIを相手に練習し、AIを自分を磨く道具にした。まるで、自動車と競争するのでなく、自動車を使いこなすべく社会を変えた人々のように。

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 〈1〉記事「期待、失望、そして……AIの未来」(週刊東洋経済7月8日号)

 〈2〉新井紀子 インタビュー「すべてが劣化する日本で『AIで一発逆転』は幻想」(同)

 〈3〉覆面座談会「AIで、日本の労働、社会はどう変わるのか」(POSSE・第33号、2016年12月)

 〈4〉今野晴貴「AIと労働についての検討」(同)

 〈5〉ダニエラ・ラスほか 討議「人工知能と雇用の未来」(フォーリン・アフェアーズ・リポート1月号)

 〈6〉熊谷徹「ドイツ労組 『製造のデジタル化』に積極関与 職業訓練と研修で主導権」(週刊エコノミスト6月27日号)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞など、受賞多数。
    −−「論壇時評 人間と機械 AIが絶対できないこと 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2017年07月27日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13057550.html





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