日記:世間を師としてはいけないということ


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 まず守るべきは、世間を師としてはいけないということだな。われわれの仲間に折原脩三という人物がいた。「老いる」をテーマに一緒に勉強会をしていた。もう死んだのだけれど。その伝記を伊藤益臣が書いたが、とてもいい伝記なんだ。折原は「世間を裁判官としない」。それを貫いた。

 「世間を裁判官としない」。これが折原脩三の座右の銘だった。世間からどう見られるか、世間にどう見せたいか。これほど人間をくすぐるものはない。しかし、「見たい」「見せたい」欲望が精神の衰弱をきたし、「ものが見えない、声が聞こえない」ことになってしまう。
 「世間を裁判官とするほど自分を貶めたことは一度もない」これを折原は二度ならず引用している。この言葉をつねに自分に言い聞かせることによって、折原は、孤独に耐え、その孤独な一途さが、何冊かの贅肉の取れた著作を生んだのである。
 この言葉の主は辻潤である。辻潤は、マックス・スティルネルを日本に初めて紹介した人である。スティルネルといえば、大学生だった折原に衝撃的な影響を与えた、『唯一者とその所有』である。戦場に駆り出される死の影におびえながら、燈火管制の黒い垂幕の下の四尺四方の黄色い電燈の水のような流れの中で、折原が独り静かに泪を流して読んだのが、スティルネルの『唯一者とその所有』だった。(『ひとつの昭和精神史』)

 優等生は世間、つまり先生を師とするようになっていくと、たいへん具合が悪い。仏教の坊さん、本当に行いの正しい坊さんは、その弱みを持っているんじゃないか。だけど、日本の仏教の伝統と言えども、一休のような破戒僧を出し、良寛のような破戒僧を出している。それが望みだな。
 瀬戸内寂聴の『釈迦』というのは、仏陀もまた破戒僧であったという前提をあげて小説としている。仏陀は自分のおばさんと姦淫しているという想定の小説だ。仏陀は女を恐れていた。自分がわなに落ちるんじゃないか、と。それが瀬戸内寂聴の『釈迦』のおもしろさだ。
 私は姉和子が脳出血で倒れる前に出したものを批判しているんだよ。一番病だ。一番病というのは、世間を師としてしまうんだ。いま一番の人はだれだというところから引用してつくりあげてしまう。そうすると、モザイクになっていく。和子はプリンストン大学で博士号を取っているから、USAへ行ったら、いま一番の人はだれだということになってしまう。
 しかし、脳出血で半身不随になったら、もうそんなことはできないでしょう。自分が考えること、感じることから、自分を構成せざるを得ない。だから、和子については脳出血以後の著作を私は評価する。
 つまり、一番というのは世間に対して自分が頭がいいということを証明しようとするわけだ。学問はそういうふうにして前に進むものじゃないんだよ。アインシュタインだって、あまり成績がよくなかったから大学に残れなかったんだ。それで、特許事務所へ行ったんだよ。創造は、一番だから生まれるというものじゃないんだよ。
−−鶴見俊輔『かくれ佛教』ダイヤモンド社、2010年、49−51頁。

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