覚え書:「文化の扉 地獄・極楽へご案内 死後の世界観、罪の自覚・善行促す」、『朝日新聞』2017年07月30日(日)付。

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文化の扉 地獄・極楽へご案内 死後の世界観、罪の自覚・善行促す
2017年7月30日


「往生要集」に説かれた世界<グラフィック・竹内修一
写真・図版
 この世を去ったらどこへ行くのだろう。地獄か極楽か。その世界観は、平安時代の僧・源信(げんしん)(942〜1017)が残した著書「往生要集(おうじょうようしゅう)」によって導かれた。「死後の世界」をのぞいてみよう。

 源信は奈良で生まれ、比叡山で修行した。往生要集は、念仏の修行者らに向け、極楽へ行くための案内書として書かれた。

 当時、極楽への導きを願う浄土信仰が平安貴族の間で広まっていた。極楽浄土は西にある阿弥陀如来の世界で、藤原道長も往生要集を愛読したという。

 鎌倉時代以降は、地獄の様子を絵にして、僧侶らが説明する「絵解き」がはやり、庶民にも地獄のイメージが広がった。江戸時代にも絵入りの往生要集がいくつも出版された。地獄絵や極楽図が描かれるなど美術にも影響を及ぼした。

 ただ往生要集には三途(さんず)の川や閻魔(えんま)による裁判、子どもが河原で石を積む場面は出てこない。

 閻魔の起源はインドの「ヤマ」にある。ヤマは最初に死んだ人間で死後の世界の王と考えられ、日本に渡って閻魔になったとされる。中国では道教や民間宗教と融合し、四十九日や三回忌などの法要で異なる王が裁く「十王信仰」が生まれた。

 こうした様々な信仰が日本に伝わり、中世以降に死後の世界のイメージができあがった。

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 往生要集では、地獄は六つの迷いの世界「六道」の一つ。六道には地獄のほか、天、人間、阿修羅、畜生、餓鬼があり、亡くなると六道の中で生まれ変わる「輪廻(りんね)」を繰り返す。六道から抜け出した悟りの世界が極楽浄土で、抜けるには念仏の修行が必要だ。一方、キリスト教にも天国と地獄があるが、仏教のような輪廻という考えはない。

 地獄には等活(とうかつ)地獄や黒縄(こくじょう)地獄など「八大地獄」がある。それぞれの地獄には広さや寿命があり、その地獄に落ちる原因も示されている。下層へ行くほど苦しみは大きくなる。

 もっとも恐ろしいのが阿鼻(あび)地獄だ。鬼や銅の犬、鉄の大蛇、500億匹の虫に責められ、溶けた銅を口から流し込まれる。ほかの7地獄の1千倍以上の苦しみがあると書かれている。

 こうした地獄を紹介する絵本が近年、子どものしつけに効果があると話題になった。ただ、愛知教育大の鷹巣(たかす)純教授(仏教絵画史)は「親が思っている以上に地獄の恐ろしさが子どもの意識に残り、恐怖心を抱く。安易に地獄をしつけに使えば脅しでしかなく、深刻な影響を与えかねない」と指摘する。

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 極楽は、10の幸福「十楽(じゅうらく)」を得られる。まずは、臨終に際しての来迎(らいごう)だ。阿弥陀如来観音菩薩(ぼさつ)、勢至(せいし)菩薩などが迎えに来て、蓮華(れんげ)の台に乗せて極楽に導いてくれる。

 極楽に着くと、蓮華の花びらが開き、往生したことへの歓喜に包まれる。仏と同じ特徴や能力が備わり、美しい景色や音楽のなか、心は清らかな喜びで満たされる。直接、阿弥陀如来から教えを聞くことができる。

 地獄・極楽を描くことで、源信が伝えたかったことはどんなことなのか。

 大阪大谷大の梯信暁(かけはしのぶあき)教授(仏教史学)は「いまの自分の行いを省みることが大切」と言う。

 人は、動物や植物などあらゆる命を奪って生きている。うそもつくし、人の悪口も言う。どんな善人も罪を犯して生きているのに普段は気づかない。心の奥では何が正しいのかわかっていてもなかなか実践できない。

 「地獄は自分自身が作り出す世界。この世界をイメージすることで、自分の罪を自覚し、心の奥にひそむ善に向かう感性を目覚めさせてほしい」

 (岡田匠)

 ■地獄、一度は見たい 落語家・桂吉弥さん

 落語の「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」は、桂米朝師匠が復活させました。もともとは伊勢参りの途中に、あの世に行ってくるかと地獄へ向かう旅の話です。三途の川や閻魔の庁といった地獄の名所が出てきて、ガイドブックのような感じです。米朝師匠が入れていた遊びは、たとえば横山やすしさんが亡くなったときには「やっさんがボートに乗って三途の川を走ってくる。怖いから目を合わすなよ」と。

 あの世に着くまでの笑いが満載ですが、地獄の恐ろしさはきちんと描く。「悪いことをしたら地獄に落ちる。地獄は恐ろしい。そこはちゃんとやりなはれ」と教わりました。

 江戸時代は死が身近で、地獄は旅だった。でも死後の世界への興味は今も変わりません。いくらインターネットが発達しても地獄を見た人はいない。地獄がどんな世界なのか怖い物見たさがあり、想像力も働く。

 落語に地獄のネタはあっても極楽はあまりない。「やっぱり極楽は、おもろないんじゃないか」と米朝師匠が言っていました。一度でいいから地獄をのぞいてみたいですね。

 <見る> 源信の千年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」(朝日新聞社など主催)が9月3日まで奈良国立博物館奈良市)で開かれている。展示替えをしながら、滋賀・聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)の国宝「六道絵」や奈良博所蔵の国宝「地獄草紙」など約140点を展示している。
    −−「文化の扉 地獄・極楽へご案内 死後の世界観、罪の自覚・善行促す」、『朝日新聞』2017年07月30日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13062965.html






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