日記:すべての子どものウェルビーイング(幸せ)を大切にする「弱さの力」と「つながり」の大切さ


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 OECDが重視する「異質な人びとからなる集団で相互に関わり合う」ことが、日本では学力(テストスコア)と対立するか両立困難なものとみなされ、高度経済成長以降の「強さへの志向」を転換できないことが(松下 2009,pp.44-53)、排除する学校、そして排除する学校で育った大人たちでつくられる排除する社会の基盤にある。
 子どもの貧困対策は、「強さ」にとらわれ、「強さ」に順応できない個人を排除してきた、日本社会や学校文化の変革の取組みでもある。本書の第5章、第10章、第11章、第12章を通じて、静岡市大阪府、東京都における、教育支援とそれを通じた学校や教職員の変革が可能であることを、読者は理解したはずである。前述したような一部の教育行政関係者とは対照的に、学校の中から粘り強くそして柔軟に、さまざまな課題を持つ子どもたちにアプローチしようとしつづけてきた教職員の存在が、「すべての子どもを大切にする」変革の底流にあることも強調しておきたい。
 学校の教職員と学校外の学習支援の実践者とが共に子どもが愛されていることを喜び合ったり、学校内にカフェができてワイワイできたり、ユースソーシャルワーカーのような高校生の目には「遊び人」に見える謎の大人が構内をぶらぶらしながら話しかけてきたり、学校の変革は予想外に面白い方向にも進化を始めている。
 それは、他者とつながりあうこと自体が、人間の幸せの根本にあり、学校の中や外にさまざまな「つながり」を持ちこむことで、子どもだけでなく、子どもに関わる大人のウェルビーイングを大切にすることにもなるからである。OECDが重視する「異質な人びとからなる集団で相互に関わり合う」能力は、人間のウェルビーイング(幸せ)とつながる重要なスキルであり、日本の教育政策からも捨象されるべきではない。
 「すべての子どもを大切にする」子どもの貧困対策、というアイディアは、大人に子どものウェルビーイング(幸せ)を大切にする思考を取り戻していくためにも、重要である。このためには、教育政策の「強さ」志向自体を、相対化していく必要がある。教育政策や教育実践における「弱さのt着から」に光をあてること、子ども同士が「わからない」ことを抱える課題を隠さず表明しあうこと、「弱さ」を共有する価値を見出し、「子どもたちが、幸福な生活と社会につながる弱さをわがものとしていくプロセス」にその可能性が見出されている(松下 2009,pp.53-58)
    −−末冨芳「『すべての子どもを大切にする」子どもの貧困対策」、末冨芳編『子どもの貧困対策と教育支援 より良い政策・連携・協働のために』明石書店、2017年、354−355頁。

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