日記:デモクラシーに対する苛立ち


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デモクラシーに対する苛立ち

 中でも、政治の世界での「ボタンのかけちがい」は極めて深刻です。
 日本が戦後、デモクラシーの国を目指すようになったということは、すでに述べました。実際、日本は不完全ながらもデモクラシーの政治体制を採用し、これまで一応は「民主国家」として国を運営してきました。国や社会のことは「偉い人」が決めるのではなく、一般の民衆みんなで決めようという方法です。
 でも、国が中年期に入ったことを直視せず、変に焦っている状態だと、この「みんなで決める」というやり方がまどろこっしく思えてくるんですね。
 なにしろ、「みんなで決める」には、時間がかかります。何か方針を打ち出しても、必ず反対意見も出るからです。
 デモクラシーの特徴は、反対意見が出た時に、その人の立場や意見も考慮しながら、妥協しながら、粘り強く、より良い結論を出そうとすることです。民衆一人一人のことを大事にするのが、デモクラシーの基本理念だからです。
 でも、焦っていると「そんなこと、やってらんない」となる。
 数年前に、日本のマスコミで「決められない政治」という言葉が流行ったでしょう。あれは実は、「デモクラシーには時間がかかる」という、民主政治の当然の性質に対するいらだちを表す言葉なんですね。
 さて、デモクラシーの時間がかかる決める方を「やってらんない」とするなら、じゃあ、どうするか。「偉い人」や「声の大きい人」や「自信たっぷりに見える人」になんでも決めてもらうのが、一番手通り早い方法でしょう。要は「独裁」です。
 実際、日本人の多くはいま、デモクラシーではなく、独裁を求めているようにみえます。無意識に。
 例えば、安倍さんは首相になってから、NHKの「偉い人」を自分のお友達に交代させて、NHKが自分や日本政府を批判できないように抑えつけてしまいました。だから最近のNHKを見ていても、安倍さんや日本政府にとって都合の悪いことは、ほとんど報道されません。「反対意見」が取り上げられないので、安倍さんはやりたい放題ですね。でも、主権者の多くは黙認。
 安倍さんが秘密保護法やTPP、安保法について決めていく方法も独裁的でした。反対意見が強くても、何万人もが反対デモに参加しても、強引に押し切る。憲法違反だと指摘されても、気にしない。
 だから、安倍さんはスピーディーですよね。首相になってたった3年の間に、危険な法案を大量に成立させてしまった。決まるのが早い。効率がいい。でも、それはデモクラシーとは真逆のやり方なのです。
 ところが、そういう独裁的な決め方をしても、安倍さんの支持率は高いままです。国政選挙をやれば、勝ち続ける。日本の大人たちは、彼の独裁的手法を黙認しているとしか思えないのです。
 このままいくと、日本のデモクラシーは、後戻りできないほど破壊されてしまうのではないでしょうか。したがって、一人一人のことが大切にされなくなってしまうのではないでしょうか。本当にそれでいいんですかね。
 あるいは、日本を再び青年期に戻そうと、筋肉増強剤を注射したり無理な筋トレをするうちに、身体に負担がかかってかえって老化が進み、死期を早めてしまうかもしれません。突然死することだってありえますよ。
    −−想田和弘「『中年の危機』にある国で生き延びるために」、内田樹編『転換期を生きるきみたちへ 中高生に伝えておきたいたいせつなこと』晶文社、2016年、263−265頁。

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