覚え書:「寂聴 残された日々:26 最晩年の虹の輝き 小説家の夢、なしとげた名女優」、『朝日新聞』2017年08月10日(木)付。


        • -

寂聴 残された日々:26 最晩年の虹の輝き 小説家の夢、なしとげた名女優
2017年8月10日

寂聴さんが名誉住職を務める天台寺の参道にまつられた石仏=岩手県二戸市、岡田匠撮影
 ものを書くだけで食べてきて、65年が過ぎている。今、95歳にもなって、まだ書く仕事だけを生き甲斐(がい)にしている。そんな所業を未練がましくみっともないと思われているだろうと、たまには後ろめたい気もしないでもないが、人がどう思おうと勝手に思え、死期の近い私には、もうこれしか愉(たの)しみはないのだからと、開き直っている。

 さすがに筆が遅くなって、はっきり言えば頭の回転が鈍ってきたらしく、3、4枚の原稿に終日費やすばかりか、12、13枚もの原稿となれば、つい、徹夜してしまう。徹夜そのものは辛(つら)くないが、その後の疲労のひどさは、80代には想像もできなかったものだ。90歳になってから病気がちになり、入退院を繰り返して以来、どっと全身が弱ってしまい、まだ土の上を1人では歩けない。

 「ああ、つまらない。しんどい。なぜさっさと死なないんだろう」

 つい、愚痴が出るのを聞くや否や、66歳も若い秘書が言う。

 「死ぬものですか。そんなに食べて、呑(の)んで、よく眠って!」

 「前のように眠れないよ。昨夜だって夜中ずっと目が冴(さ)えて本読んでたもの」

 「週刊誌3冊ですね。ベッドの横に落ちてましたよ」

 「横になってばかりだから週刊誌が軽くて都合がいいのよ。よく食べてなんかいない。私はずっと2食だもの」

 「毎朝、ベッドのサイドテーブルに、お酒の瓶が並んでるのはどうして? おつまみのお皿も空でしたよ」

     *

 また昼寝しようと、ベッドに横になったら、枕の横に、開いたままの週刊誌が1冊残っている。週刊朝日林真理子さんの「ゲストコレクション」の人気連載ページ。ゲストは岸恵子さん。恵子さんの笑顔の華やかな若々しさに、昨夜以上に改めて驚嘆する。

 1932年生まれと紹介されているから、今年85歳、私と10歳しか違わない。信じられない若さだ。50代にしか見えない。私は恵子さんが松竹の撮影所でたくさんの記者たちに囲まれていた女優になりたての時に、初めて会っている。その透明な美しさと愛らしさは、私の生涯にまたとは見なかった。この世にこんな美しい魅力的な人がいるだろうかと、口を開けて茫然(ぼうぜん)と見惚(みと)れていた。

 その後、結婚したフランスの映画監督イブ・シャンピさんと離婚した直後、京都の宿で、ブランデーを1瓶空けて、夜通しパリでの暮らしの辛かったことを聴いた。若いフランス人の左翼の美男弁護士を連れて寂庵(じゃくあん)に見えたこともあった。当時の恋人だったのだろうか。まめまめしく彼に尽くす恵子さんは、高名な女優というより、可憐(かれん)な年上の愛人だった。

     *

 突然、小説『わりなき恋』(2013年)が発表され、たちまちベストセラーになった。私は直木賞をとられるのではないかと思ったが、何の賞も得られなかった。70近い女の恋とセックスが書かれた衝撃的な小説だった。素人の気配は全くなかった。少女の時から小説家になるつもりだった夢を、恵子さんはなしとげたのだった。次作の小説を近く発表するという。

 何度見直しても若く美しくなった恵子さんの写真に、彼女の言う「人生の最晩年の虹の輝き」をしみじみ見ていた。

 ◆作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2木曜日に掲載します。


http://www.asahi.com/articles/DA3S13080259.html


Resize9411_2


Resize8863