覚え書:「文化の扉 ドラキュラの伝説に迫る 冷酷さや高貴さ、映画でイメージ定着」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

        • -

文化の扉 ドラキュラの伝説に迫る 冷酷さや高貴さ、映画でイメージ定着
2017年8月20日

ドラキュラ<グラフィック・岩見梨絵>

 夜ごと出没するあやしい影。首筋に牙を立てすする甘い鮮血。忌まわしいモンスターとして恐れられる一方、高貴なイメージがある吸血鬼ドラキュラ。なにゆえ文学や映画の主人公となり、私たちの想像力を刺激するのか。

 血の醸し出す恐怖とエロチシズム。出版から120年を迎えた今も吸血鬼小説の最高傑作とされるのが、ブラム・ストーカー著『吸血鬼ドラキュラ』である。民間伝承の専門家でもある大学教授から、ルーマニアトランシルバニア地方に伝わる吸血鬼信仰の話を聞き調査した。15世紀のワラキア公国を統治したブラド・ツェペシュをモデルに選んだ。

 ブラドはトルコの脅威から祖国を守った英雄。一方、敵だけでなく意に沿わない者は味方までことごとく串刺しにして処刑するなど過激な君主でもあった。その残酷さが、生き血を求めてさまよう吸血鬼のイメージにつながったのだろう。「ブラムが懸案の吸血鬼小説は、ここで一つの大きな確乎(かっこ)たるヒントを得た」。『吸血鬼ドラキュラ』(創元推理文庫)を翻訳した故平井呈一氏も解説している。

 吸血鬼は日中、棺の中で眠っている死体に過ぎないが、夜になると動き出す。神の教えに背いて破門された者や自殺者は死後、吸血鬼になるという言い伝えが東欧諸国にはあった。

    *

 ドラキュラの大衆化に拍車を掛けたのが映画である。1922年、ベルリンで公開されたのが「ノスフェラトゥ」。ストーカーの遺族に許可を取っていなかったためタイトルや登場人物が変更された。伯爵の名前はオルロック。目と耳が異様に大きく、爪が長く、頭がはげており老人のようにも見える。

 米映画「魔人ドラキュラ」(31年)でイメージを決定づけた。演じたのは舞台出身のベラ・ルゴシ。「優雅な立ち振る舞いは貴族的雰囲気にあふれていた。ハンガリーなまりのせりふ回しも、辺境へのエキゾチシズムを感じさせた」。ルーマニアのブラン城(ドラキュラ城)を訪ねたことがある娯楽映画研究家・佐藤利明さん(54)は語る。

 「吸血鬼ドラキュラ」(58年)は杭でとどめを刺すバイオレントな場面やエロチシズムも加わり、それまでの恐怖映画と一線を画した。伯爵を演じたクリストファー・リーはロンドン生まれ。「英国紳士的な気品とクールな表情が、ドラキュラの冷酷さ、異形の悲しみを増幅させた」と佐藤さん。宿敵ヘルシング博士を名優ピーター・カッシングが演じている。

    *

 2012年、ルーマニアの隣国ブルガリアで教会の跡地を発掘中、胸に鉄杭を打ち込まれた人骨が2体出てきた。13〜14世紀の男女とみられ、「吸血鬼としてよみがえらないよう儀式が施された」と調査団は発表。このような吸血鬼封じは20世紀初めまで続いていたという。

 伝染病や相次ぐ戦乱を背景に死への不安が深く影を落としたのだろう。人々が切実に恐れた現実の反映や「不確実な社会」の象徴としての吸血鬼である。

 違った見方もある。1904年に『怪談』を著したラフカディオ・ハーンのひ孫で島根県立大短期大学部教授(民俗学)の小泉凡さん(56)は「機械文明が台頭する中でハーンは『オープンマインド(開かれた心)』で世界と向き合った。人間の世界だけで完結しない世界もある。『吸血鬼ドラキュラ』には融合や寛容性というテーマも内包されているのではないか」と指摘する。死ぬことも生きることもかなわないドラキュラ。彼が求めているのは永遠の安らぎであり、命の温かさであり、愛なのかもしれない。

 (編集委員・小泉信一)

 ■漂う哀愁も魅力的 活動写真弁士・佐々木亜希子さん

 東京・新宿の映画館で6月、「ノスフェラトゥ」の上映イベントがあり、自作のせりふやナレーションをつけて解説しました。「ノスフェラトゥ」とは「不死者」という意味。罪の告解を終えておらず、死んだとも認められない「おぞましい存在」です。伯爵が女性に迫っていく場面などは影を効果的に使っています。人間の不安や恐怖に迫る「ドイツ表現主義」ならではの独特な映像は「黒死病」(ペスト)のイメージとも重なります。

 一方、ベラ・ルゴシクリストファー・リーが演じた吸血鬼ドラキュラは高貴な香りがします。顔は端正。美しくセクシーです。黒マントの裏地が赤というのも情熱的ですね。ごつくて顔に傷や縫い跡がある「フランケンシュタインの怪物」とは対照的です。

 ドラキュラの眼光で見つめられた女性は逃れようのない恐怖に陶酔してしまうのでは。恋をするドキドキ感と似ているかもしれません。ドラキュラは自分の呪われた運命に苦悩しているようにも見えます。どこか哀愁を帯びている姿がたまらなく魅力的です。

 <読む> 文芸評論家の百目鬼恭三郎氏は「芸術生活」(1976年8月号)の中で、エッセー「日本にも吸血鬼はいた」を書いている。ドラキュラ本来のイメージとは違うが、仏典に出てくる鬼の夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)が日本でいちばん吸血鬼らしいという。

 <見る> F・コッポラ監督の「ドラキュラ」(1992年)は映像や音響など技巧を凝らした大作。超自然的な場面がたっぷり表現され、おびただしい血が流れる。最愛の妻を失い、神をのろって時空をさまようドラキュラ(ゲイリー・オールドマン)が登場する。

 ◆「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「声優」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。
    −−「文化の扉 ドラキュラの伝説に迫る 冷酷さや高貴さ、映画でイメージ定着」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S13094770.html





Resize9117