日記:アメリカの世紀


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 一九四一年二月一七日、すなわち、日本による真珠湾攻撃のほぼ一〇カ月前、雑誌『ライフ』が、ヘンリー・ルースの「アメリカの世紀」と題された長文の評論を掲載した。この論考は、当時のアメリカがヨーロッパでの戦争に対応するにあたって、一方ではイギリスを支援しながら他方ではドイツとも国交を維持しているという、アメリカの「中途半端さ」を批判する形で書かれた。ルースは一八九八年に、長老派教会宣教師の両親に中国で生まれ、一五歳まで中国で育った。そのルースは宗教的な教条主義を、国際主義という名称で装った愛国主義的な使命感に変形させたのであった。
 自国が戦争に加わることに反対したアメリカの国家孤立主義者たちの主張には、多くの正当性があるとルースは認めていた。その主張の中には、参戦により、当時すでにアメリカ合衆国で見られた「集産主義への強い傾向」がさらに加速され、「アメリカの立憲民主主義とは全く似ても似つかない全体国家社会主義に行き着いてしまう」という不安が含まれていた。こうした不安にもかかわらず、孤立主義は倫理的にも政治的にも破綻しており、しかもそれは「民主主義的理想主義」と「法の下での自由」という、世界に向けての指標としてのアメリカの使命をそこなう「害毒」であると彼は考えていた。アメリカ合衆国が全世界の治安を維持することができるとも、全人類に民主主義的制度を採用させることができるとも、ルースは考えてはいなかった。にもかかわらず、「二〇世紀の世界が、健全で活力に満ちた崇高なものとして現れるのであれば、それはかなりの程度でアメリカの世紀でなければならない」と彼は主張した。全てのアメリカ人に、「世界で最も強力で重要な国家の国民としての義務と幸運を心から受け入れ、その当然の帰結として、世界に我々の影響力を十分に及ぼし、そのような目標達成には我々が適任者であり、目標を達成する手段も我々は保持していると認めるよう」にと、ルースはこの論考で迫ったのである。
 日本の真珠湾攻撃アメリカを全面的に国際部隊へとのぼらせたが、ルースはこれを、世界を支配することを運命づけられたアメリカが歩むべき道と捉え、彼が熱心に持論を展開した評論の、印象強いその題名「アメリカの世紀」に、冷戦と冷戦後のアメリ愛国主義を象徴する代表的な表現となった。彼の訴えの中心にあったものは、アメリカ国民には徳の高い使命が神から与えられているということであった。ルースの評論では、第二次大戦中と冷戦期にプロパガンダとして使われるようになった見せかけの理想の言葉のほとんど全てが使われていた。すなわち、「自由」、「民主主義」、「機会均等」、「自主」と「独立」、「協力」、「正義」、「慈愛」などであるが、これらの言葉は全て、「我らのすばらしい工業生産力と技術力」によってもたらされた経済的豊かさという理想像と一緒になっていた。現在の愛国的な決まり文句では、特別な優秀性を意味する「アメリカの例外主義」という言葉で表現できる。
 アメリカの明白な運命の、もう一つ、もっと露骨な側面は言うまでもなく、「男らしさ」である。つまり軍事力がそれである。
    −−ジョン・W・ダワー(田中利幸訳)『アメリカ 暴力の世紀 第ニ次大戦以降の戦争とテロ』岩波書店、2017年、14−16頁。

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