覚え書:「戦争孤児の声、伝えたい 封印した記憶、本に残ってうれしい 歴史、掘り起こさねば」、『朝日新聞』2017年08月28日(月)付。

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戦争孤児の声、伝えたい 封印した記憶、本に残ってうれしい 歴史、掘り起こさねば
2017年8月28日

写真・図版
「戦争孤児の会」の最後の集まりで、星野光世さん(左)が紙芝居を上演した。永田郁子さん(右)の体験をもとにした作品だ=6月、東京都台東区

 戦争で親を奪われた戦争孤児の体験をどう語り継ぐか——。戦後72年の月日が流れて孤児本人の高齢化が進み、生の証言を聞ける時間が限られてきている。東京大空襲などで親を失った人による「戦争孤児の会」は、この夏で活動を終えた。一方、各地に埋もれる史料・証言に光をあてる新たな研究活動も始まった。

 ■体験出版、15人の活動に幕

 72年前、家なき子であふれた東京・上野駅。そのそばの飲食店に6月、7人の男女が集まった。「戦争孤児の会」の会合だ。2008年には体験を語り継ぐ催しを開き、定期的に交流を続けてきた。

 メンバーは15人いるが、この日の参加は半数に。「具合が悪くて出てこられない人がたくさんいる。8月で会を閉じようと思う」。冒頭、代表の金田茉莉さん(82)が活動終了を提案し、了承された。

 この日は、星野光世さん(83)が紙芝居を持参、上演した。昨年に自費出版した絵本をもとにした。当時9歳の女の子が空襲で孤児に。親戚や知人の家を転々とし、一時は人気のない神社で1週間も寝泊まりするまで追い込まれる。ストーリーは会員の永田郁子さん(82)の実体験だ。

 自分を含む戦争孤児11人の記憶を描いた星野さんの絵本はこの夏、「もしも魔法が使えたら〜戦争孤児11人の記憶」(税抜き1600円)として講談社から出版された。孤児の会は会への寄付金などの残りで本を購入、会員や関係者に送り、会の活動を締めくくることにした。

 紙芝居を見つめていた男性(83)も絵本に登場する孤児の一人だ。孤児の会に出会うまで、戦後ずっと記憶を封印してきた。「家も親もなくして、さんざ邪魔者扱いされて生きてきた。思い出したくなかった」。小学校6年生で里子に出されたが奴隷のような労働を強いられ、学校にも行けなかった。逃げ出して一時は浮浪児になり、その後に施設に入った。

 心をさいなむのは、別の家に預けられ、家出して音信不通となった弟と妹のことだ。「馬小屋で泣きながら寝ている。仕事を探して」。弟からの手紙の束は今もとってある。当時はまだ10代で何もできなかった。「どれほどつらい思いをしていたのか……」

 また戦争が起きたら子どもたちがどうなるのか不安で、結婚しても子どもはもうけなかったことも、孤児の仲間には打ち明けた。「こういう場でお互い話ができてよかった。孤児の気持ちが少しでも記録に残ったのがうれしい」

 ■教員らの「戦後史研究会」、各地巡回

 全国の孤児の史料や証言を集めようと動き出した人たちもいる。「戦争孤児たちの戦後史研究会」は昨年11月、各地の研究者や教員、自治体職員ら約30人が参加し、立教大学で発足。現在、各地を巡回して研究会を開いている。

 広島市佐伯区で7月にあった研究会には地域住民を含め30人以上が参加した。会場の集会所「皆賀沖会館」は、かつて原爆で親を失った原爆孤児らを保護した「広島戦災児育成所」の跡地に建つ。育成所の敷地には1947年、童心寺というお寺が建立され、子どもたちの家族の遺品や遺骨が納められていたという。

 この日はまず、地元住民が15年につくった「童心寺を次世代に語りつぐ会」代表の久保田詳三さんが講演。復員した故山下義信さんが私財を投じて育成所を開き、多いときで87人の孤児が生活していたこと、母に会いたい一心で僧侶になった「原爆少年僧」と呼ばれた子どもたちがいたこと、などの歴史を伝えた。

 続いて育成所で暮らした田中正夫さんが証言した。被爆当時から耳が不自由だったといい、「本当の名前も生年月日もわかりません」と手話で打ち明けた。胸に残るのは母と兄妹がいたという記憶のみ。「昭和15年」という生年や名前は育成所が決めたとみられている。施設について「(義信さんは)厳しかったが奥さんは優しかった」「いじめもあったし友達はいなかった」などと振り返った。

 研究会は昨年11月の東京、今年3月の京都に続き3回目。今後も愛媛県沖縄県などで開き、全国の孤児へのインタビュー調査、研究成果の出版などに取り組むという。代表運営委員で立教大名誉教授の浅井春夫さんは「戦争があれば福祉は消え、孤児や寡婦、障害者が生まれる。私たちは歴史の掘り起こしを通して後世に事実を伝えないといけない」と言う。

 (編集委員・清川卓史)

 ◆キーワード

 <戦後の孤児> 厚生省(現厚生労働省)が1948年に実施した調査によると、沖縄県を除く全国の孤児総数は約12万3500人。内訳は空襲などによる戦災孤児が2万8248人、国外からの引き揚げ中などに親を失った引き揚げ孤児が1万1351人、病死などによる一般孤児が8万1266人など。ほかにも駅や公園など路上で暮らした浮浪児、養子になった孤児が数多くいた。
    −−「戦争孤児の声、伝えたい 封印した記憶、本に残ってうれしい 歴史、掘り起こさねば」、『朝日新聞』2017年08月28日(月)付。

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戦争孤児の声、伝えたい 封印した記憶、本に残ってうれしい 歴史、掘り起こさねば:朝日新聞デジタル





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