覚え書:「耕論 「壁」越えつながるには ジェームズ・ホリフィールドさん、並木麻衣さん、東浩紀さん」、『朝日新聞』2017年09月06日(水)付。

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耕論 「壁」越えつながるには ジェームズ・ホリフィールドさん、並木麻衣さん、東浩紀さん
2017年9月6日
 
写真・図版
イラスト・甲斐規裕
 
 世界各地で「壁」が生まれている。グローバル化が進むにつれ、お互いを隔てようとする力が働く矛盾を、どう考えたらいいのか。「つながり」を取り戻すにはどうしたらいいのか。

 ■移民排除では解決できぬ ジェームズ・ホリフィールドさん(米サザンメソジスト大学教授)

 「良き塀は良き隣人をつくる」。米国の詩人ロバート・フロストは、こんな一句を残しました。農家が隣との境界に石の壁を築けば、家畜も逃げず、良好な関係を保つことができる。「壁」は人間社会に不可欠な要素です。

 ただ、トランプ大統領がメキシコ国境に築こうとする壁は、隣国への大いなる侮辱。関係悪化につながります。

 効果も疑問です。米国の不法移民の多くは合法的に入国してオーバーステイした人々で、国境を不法に乗り越えたわけではない。しかも、現在はメキシコに帰る人の数が、来る人の数より多い。「壁はメキシコ人を米国から逃がさないため」とのジョークがあるほどです。この壁は政治的なシンボルに過ぎません。

 一方で、米国民の30%近くが壁建設を強く支持しているのも現実です。トランプ氏はこのシンボルを利用し、米社会の根強い排外意識に訴えることで、票を集めました。

 こうした動きが台頭した背景には、欧米各国の移民政策が抱える「リベラル・パラドックス」と呼ぶべきジレンマがあります。

 リベラルな発想に基づいて市場を重視し、人権を尊重して「開かれた社会」を追求すればするほど、そのような社会を守るために国境を管理し、自国民と他国民を区別し、社会を閉ざさざるを得ない。開くと同時に閉じる必要があるのです。

 つまり、各国の政府は開放性と閉鎖性とのバランスを見極めなければなりません。そのうえで移民や市民権政策を構築し、有権者に納得してもらう。それが民主国家の統治機構の責務です。

 具体的には、政府や国際機関、自治体は「経済」「人権」「治安」「文化」の4要素のせめぎ合いの中で移民に対する方針を決めなければなりません。「壁をつくろう」と呼びかけるだけでは、何ら片付かない。経済面や人権面の課題は、壁をつくっても解決できないのですから。

 この点、うまく立ち回っているのはカナダです。バランスの取れた移民政策は、世論の支持も得ている。カナダでは、米国との間に壁を築こうなんて誰も考えません。

 貿易大国ながら開国をためらってきた日本は、その対極にあります。地理的な環境や、日本が「同質社会」の幻想にとらわれているためですが、東アジアや東南アジア諸国との関係を考えると、もっと国を開くことが日本にとって利益となるはずです。

 長年の研究から私が実感するのは、「移民は社会や国家にとって、長期的には好ましい存在」ということです。国を開くことは、強さ、ダイナミックさに結びつく。そのためにバランスのいい移民政策を進めることが、今後の繁栄の鍵となるでしょう。

 (聞き手・国末憲人)

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 James Hollifield 54年生まれ。専門は国際政治経済学。人の国際移動研究の草分け的な存在。10月の朝日地球会議で講演予定。

 ■協働積み重ね、共存探って 並木麻衣さん(日本国際ボランティアセンター〈JVC〉パレスチナ事業担当)

 昨年11月、パレスチナ自治区ガザへの出張を終え、検問を通ってイスラエル側に出た時のことです。やはりガザから出てきた10歳前後のパレスチナ姉弟と知り合いました。私は持ち合わせの蜂蜜キャンディーをあげたのですが、それが甘すぎたのでしょう。水が欲しいと言いだし、運転手からペットボトルをもらって回し飲みしました。

 ところが、彼らは、口々に「水がまずい」というのです。「イスラエルのものはみんなまずい。水も食べ物も」

 ガザは、イスラエルが築いた壁やフェンスで封鎖された地域です。地下水は汚染され、まずくて危険なはず。なのに彼らは、自分たちの水の方がいいと信じ込んでいる。子どもながらに、すべて「こちら側」と「向こう側」に分ける思考パターンが染みついているのです。

 分断された人々の意識がどうなるか。見せつけられたように思いました。

 イスラエルパレスチナとの間柄は、2002年に始まる双方の間の分離壁建設以前から良好ではありませんでした。ただ、以前は生身の人間同士接する機会があった。友人になったり家族ぐるみでつきあったりもしていました。

 壁が強化されたこの10年ほど、特に若い世代が接点を持たなくなりました。閉鎖された世界で育ち、攻撃にさらされ、壁の反対側に悪いイメージしか持てない。どちらの側にとっても危険な状態です。

 パレスチナ側にとって、壁は百害あって一利無し。産業が崩壊し、雇用が失われたことで、過激な思想が広がるきっかけもつくっています。

 イスラエル側では確かに、数字上は自爆テロが減りました。ただ、壁のどこに隙間があるか、パレスチナではみんな知っていた。越えようと思えば越えられる。壁は、本当の問題解決になっていません。単に、問題を先送りし、見えなくしただけです。

 イスラエルパレスチナは、どこかの時点で共存しなければならない存在です。互いに好きにならなくても、ともに安全で人間らしく暮らせるようにならなければ。壁はその道を妨げています。

 膠着(こうちゃく)したこの状態を現実的に動かすには、両者が困っている問題に取り組むべきでしょう。例えば、ガザの海水汚染対策。こうした協働作業から信頼と実績を積み上げ、そこから現実的な一致点を段階的に探り、イスラエルパレスチナに科した非人道的な制限を少しずつ取り払う。その過程で、壁もいつかやめた方がいい。

 そのためには、市民も巻き込んだ地道な積み重ねが必要です。私たちNGOも、パレスチナ住民の保健サービスや教育の向上を図る運動を通じて、その営みに協力したいと考えています。

 (聞き手・国末憲人)

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 なみきまい 84年生まれ。パレスチナ留学後、IT企業勤務、NGO事務局長、JVCパレスチナ駐在などを経て現職。

 ■偶然の出会い、観光のよさ 東浩紀さん(批評家)

 他者とつながる方法に観光があります。実際につながってもいる。でも、それを目的にすべきではないんです。つながるのは偶然からです。

 「弱いつながり」と「観光客の哲学」という著作で、観光を哲学的に考えました。人間の意識は、厳密に思考すると偶然を排除してしまう。偶然に対して開かれていることが大事だと思います。

 他者や共同体の外、つまり壁を越えた向こう側を尊重する寛容性は、20世紀の戦争で膨大な死者を出した人類社会の基本原理でした。ところが今は、世界中の人々が「他者とつきあうのは疲れた」「仲間だけでいい」と叫び始めている。ナショナリズムの存在感が増しています。

 一方、経済はグローバリズムの時代に入り、ほぼすべての商品が国境を越えて世界中に流通しています。小さな企業でも世界を相手に商売している。

 政治はつながらないのに経済はつながっている。こういう二層構造の世界で、観光が世界的なブームになっています。国連世界観光機関の調査では、国境を越える観光客は1995年から2015年の20年で2倍に増え、およそ12億人に達しました。

 観光客は評判の悪い存在です。余暇の活動なので無責任だし、他者とつながろうと思っているわけではない。難民にも外国人労働者にも興味がない。そんなこと考えるのは疲れるし。つまり観光客であることは、人間というより動物に近い。

 でも、人間に寛容性があるのは動物だからだ、というのが私の考えです。人間が人間である条件は寛容性だ、と言った途端に寛容でない者は人間でなくなり、排除の構造が生まれる。ところが人間は下卑た存在なので、観光に行けば自分の頭で作った壁が好奇心や偶然の出会いから崩れ、寛容になれることもある。それは何かの原理にはならないけれど、どんな原理も持つ排除性を壊していく。

 私は自分の経営する会社で、ウクライナチェルノブイリに案内する観光ツアーを毎年1回実施してきました。計4回で、参加者は約100人になります。事故を起こした原発の周辺だけでなく、発電所内で廃炉に取り組む技術者に話を聞くなど、難しいところにも入ります。

 ツアー後にワークショップを開き、3枚の写真で振り返ってもらうのですが、原発内で撮った写真を出してくる人は少ない。原発の周囲には町があり日常の生活があり、自然もある。それらに接し、複雑な体験をすることで、チェルノブイリ原発事故=大災害という単純な等式がなくなっていく。観光における大きな学びだと思います。それは余暇として自由な気持ちで行ったからこそなんです。

 (聞き手 編集委員・村山正司)

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 あずまひろき 71年生まれ。著書に「存在論的、郵便的」「動物化するポストモダン」「一般意志2.0」など。
    −−「耕論 「壁」越えつながるには ジェームズ・ホリフィールドさん、並木麻衣さん、東浩紀さん」、『朝日新聞』2017年09月06日(水)付。

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