覚え書:「香川 元憲兵が残した379枚の写真を保存、検証」、『朝日新聞』2017年09月09日(土)付。


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香川 元憲兵が残した379枚の写真を保存、検証
矢野裕一2017年9月9日

写真・図版
甘粕事件の記者発表を撮ったとみられる写真

 香川の近代史を研究している元高校教諭の入江紀文さん(68)=多度津町=が、元陸軍憲兵丸亀市の自宅に残した明治から昭和初期の379枚の写真の検証を進めている。入江さんは「分析と検証を進め、歴史を後世につなぐ資料として残したい」と話している。

 写真を残した元憲兵は、1966年に72歳で亡くなった亀井眞清(かめいまきよ)さん。亀井さんは国分寺町(現・高松市)出身で、小学校の代用教員を経て20歳で丸亀の歩兵第12連隊に入隊。その後、善通寺憲兵隊に配属された。戦時中は旧満州中国東北部)の憲兵隊などに所属し、敵の無線傍受やスパイ防止教育に携わったという。戦後は四国公安調査局に勤めた。

 亀井さんが残した写真は7冊のアルバムに収められていた。23年9月1日に発生し、約10万5千人が犠牲になった関東大震災で、燃え上がる横浜駅や倒壊した憲兵司令部倉庫などを写したとみられる写真が十数枚あった。

 裏面に「大杉栄氏惨殺の発表 九月廿四日戒厳司令部」と記された写真には、文書を読み上げる軍人と十数人の記者が囲んでメモをとる様子が写っている。入江さんは「震災直後の9月16日、アナキスト大杉栄が妻、おいとともに、憲兵隊の甘粕正彦大尉らに殺害された『甘粕事件』の報道発表の模様だと思う」と話す。

 アルバムは昨年7月に亡くなった亀井さんの長男の真澄さん(当時85)が保管していた。真澄さんの妻、久美子さん(81)によると、ほかに多くの文書や録音テープなどが残されていたが、真澄さんが「表にでると、迷惑がかかる人がたくさんいる」と焼却処分したという。

 久美子さんによると、真澄さんはカメラが趣味で、自宅には愛用していたライカなど数台が残されている。「寡黙な義父でしたが、晩年『俺は戦争中、一人も殺さなかった。命令されても、みねうちにしてみな逃した」という話が印象的でした」と話す。
 
 久美子さんは、今年1月、旧知の入江さんにアルバムを託した。入江さんは「文書類が残っていないのが残念だが、憲兵じゃないと入れない場所で撮影された貴重な写真も多い」とし、写真の横に書かれた撮影日などをもとに年譜を作成。主な写真について時代背景や写っている人物の特定など進めている。(矢野裕一)
    −−「香川 元憲兵が残した379枚の写真を保存、検証」、『朝日新聞』2017年09月09日(土)付。

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