日記:種の平均像を先入観として持つと、観察眼が曇ってしまいます


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 私は自称「自由研究者」です。自然界のできすぎたからくりや、動植物が秘密にしておきたいであろう戦略を、野外で子どもたちにどうしたらうまく通訳できるか、いつも考えています。言いきれない怪しい憶測を少々交えても、考え方さえ科学的であれば躊躇なく伝えたがり、おはなし的にかみ砕いて伝えるのが大好きです。取材の現場で見たこと、考えたことを、興奮が冷めないうちにリポートするのもスタイルにしています。そして本を書く以上、伝えたいメッセージがあります。
 私たちは、生きものという「進化の産物」を見ているのであり、彼らは今もなお「進化の過程」を見せてくれています。まず、そのことに一緒に感動しませんか、という思いを込めて書きました。
 次に、生き物が皆「個体として生きている」ことを思いながら見てほしいというメッセージです。イヌやネコを飼うと、必ず個性が見えてきて、十把一絡げに思っていたのは誤解だったと気づきます。そして「うちの子はこうなのよ」と誰かに話したくなります。野生の生きものだって、個性がないわけではありません。「スズメって、どうせこういう生きものでしょ?」とはいえないのです。
 種の平均像を先入観として持つと、観察眼が曇ってしまいます。渡しの場合、先入観いっぱいの目で、クロツグミという鳥を七年も見続けてしまいました。八年目、歌で個体識別できることに気づき、その一羽目として「ルビオ」というやんちゃなオスをじっくり観察しました。リビオは平均像からかけ離れた一羽だったのですが、最初にこのオスに密着したことが、のちにとても幸いしました。科学では、平均値を求めることも目的の一つですが、個体差(ばらつき)には意味はあるし、個体差を認めることも大事だったのです。
 鳥を、識別や撮影の対象としてでなけでなく、何をしているのか「解釈」しながら観察するのは実に楽しいものです。そのとき、「鳥はこうだ」と思って見ないと、行動の解説が進まないこともあります。でも「そうでないかもしれない」と疑って見ることも絶対に必要です。その両方の観察眼を持ち合わせてこそ、彼らの面白い私生活や、歌手人生がひもとけます。
    −−石塚徹『歌う鳥のキモチ』山と渓谷社、2017年、4−6頁。

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石塚 徹
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