覚え書:「MONDAY解説 発効へ向け、早々に50カ国署名 核禁止条約、脅威増す今こそ 松尾一郎」、『朝日新聞』2017年09月25日(月)付。

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MONDAY解説 発効へ向け、早々に50カ国署名 核禁止条約、脅威増す今こそ 松尾一郎
2017年9月25日
 
写真・図版
核兵器禁止条約の署名式典で署名するオーストリアのクルツ外相。同国は条約推進の中心国だ=20日、米ニューヨークの国連本部、金成隆一撮影
 
 ■NEWS

 核兵器の使用や保有、開発などを法的に禁じる核兵器禁止条約の署名が20日、国連本部で始まった。広島と長崎の悲劇を原点とする人道重視の条約だが、核保有国は拒絶。米国の「核の傘」の下にいる日本も、核開発を進める北朝鮮を前に反対する。「核なき世界」の理念とは裏腹に、核を巡る情勢は厳しさを増す。脅威が高まる今、条約をどう生かせばいいのか。

 ■非保有国、「ヒバクシャ」に共鳴

 「皆様、私は今、核兵器禁止条約の署名開始を宣言します」。20日にあった核禁条約の署名式典。グテーレス国連事務総長がそう述べると、議場は拍手に包まれた。各国の元首らが次々と署名した。この日だけで50カ国。すべてが批准に移れば条約は発効する。

 核禁条約の「魂」は被爆地にある。広島市原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰返しませぬから」がそれだ。

 カナダ在住の広島被爆者サーロー節子さん(85)は3月、条約の交渉会議でこう証言した。

 「認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた、4歳のおいの姿が脳裏によみがえる」

 サーローさんの体験談は、核被害者の救済義務など人道的見地を盛り込んだ画期的な条約に結実した。前文には「核兵器の使用による犠牲者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験による被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害を心に留める」との一文が盛り込まれた。

 きっかけは、2007年に国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が結成されたことだ。核不拡散条約(NPT)の会合で、軍縮の議論は後回し。ICANは核を禁じる法的枠組みの必要性を訴えた。それが、核軍縮を進めない核保有国に対する、非核保有国の不満のマグマと結びついた。

 7月7日の採択では、国連加盟193カ国のうち122カ国が賛成した。米シンクタンク「軍備管理協会」のダリル・キンボール会長は「非核保有国側はもう、核兵器が安全保障に有益ではないとみている。それどころか『負債』だと。彼らは核抑止の概念を支持しないし、許さない」と述べた。

 ■新たな保有、連鎖懸念

 ただ現実は「核が禁じられる世界」からほど遠い。

 米国とソ連(当時)は東西冷戦を背景に、互いに核兵器の数を増やして脅し合った。それが「恐怖の均衡」を生み、核抑止論が幅を利かせた。1986年には世界で7万発程度にまで核兵器が増えた。

 その前年、ソ連ゴルバチョフ書記長とレーガン米大統領は「核戦争は許されない。核戦争に勝者はない」と一致。核軍縮の一定の進展や冷戦終結ソ連崩壊などを経て数は減ったが、今でも1万5千発ほどあるとされる。

 70年に発効したNPTは、核保有国を米ソ(ロシア)英仏中の5カ国に限定したが、核拡散は進んでしまった。

 インドは74年と98年に核実験を実施。対立するパキスタンも98年に核実験を行い、ともに核保有を宣言した。中東ではアラブ諸国に囲まれたイスラエルが事実上の核保有国になった。

 そして北朝鮮も、金正恩(キムジョンウン)体制の生き残りをかけて核・ミサイル開発を進める。北朝鮮の目標は、米本土を射程に入れた、核を積んだ大陸間弾道ミサイルICBM)を実戦配備することにあるとされる。

 核武装ドミノ現象が起きることを警戒する声も絶えない。韓国では、90年代に撤去された米国の戦術核兵器の再配備を求める世論が強まっている。米オバマ政権当時の昨年6月、バイデン副大統領が中国の習近平(シーチンピン)国家主席と会談した際、「我々が北朝鮮(の核問題)を解決しなければどうなるか。日本が明日にも核武装したらどうなるか」と述べたことも明らかになっている。

 ■核軍縮、学ぶべき先例

 「米国と同盟国を守らなければならない時、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」。トランプ米大統領は19日、国連総会の一般討論演説で北朝鮮を真正面から脅した。

 金正恩朝鮮労働党委員長は21日の声明で「超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」と反発。李容浩(リヨンホ)外相は太平洋上での水爆実験の実施を示唆した。

 一連の応酬は、核保有国も北朝鮮の核開発を止められない現実を突きつける。核禁条約を推進したある国の高官は「北朝鮮の場合は、孤立した最貧国でも核武装できることをはっきりさせた。制裁や圧力があっても核武装は可能だ。核兵器はもう安全保障に寄与しない。核抑止論は試練の時を迎えた」と懸念する。

 このままでは破滅的な危機が迫る。核禁条約に賛成する世界の人々が各国を動かし、核保有国や北朝鮮に「核は使えない」という認識を持たせるしかない。

 国連は核禁条約の賛成派と反対派に対話を促す。中満(なかみつ)泉・国連軍縮担当上級代表は12日、ジュネーブ軍縮会議で「新しい条約が国家間のさらなる分裂ではなく、核軍縮に向けた新たな推進力、動機にしなくてはならない」と訴えた。

 被爆国日本にも役割はある。日本政府は11月、核保有国と非核保有国の識者らを招いて広島で「賢人会議」を開く。対話への第一歩としたい考えだが、将来の道筋はみえていない。

 北朝鮮弾道ミサイルが日本上空を通過した8月29日、核禁条約推進国オーストリアのハイノッチ在ジュネーブ代表部大使は「今は条約作りの時ではないと批判を受けるが、緊張が高まっている時こそ、より重要だ。歴史をみれば、米ソ間の核兵器削減も厳しい状況下だった」と述べた。

 核戦争の危機に直面した62年のキューバ危機などを経験しつつ、軍縮合意を積み重ねた歴史に学び、核禁条約を新たな規範とするべきだ。そんな訴えだった。

 (ジュネーブ支局長)
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