覚え書:「耕論 求められるドイツ ヤン・テッハウさん、仲正昌樹さん、フォルカー・ペルテスさん」、『朝日新聞』2017年09月27日(水)付。


        • -

耕論 求められるドイツ ヤン・テッハウさん、仲正昌樹さん、フォルカー・ペルテスさん
2017年9月27日


 ドイツ総選挙はメルケル首相が4選を確実にしたものの、右翼政党が躍進した。足元は揺らいだが、ドイツは自由主義社会のリーダー的存在だ。どんな戦後を歩み、どこにいくのか。

 ■「一国潔癖主義」の脱却を ヤン・テッハウさん(独シンクタンク所長)

 戦後西ドイツの国家目標は、国際社会への復帰、東西ドイツの統一、経済の再建、そして戦争を二度と起こさないことでした。ドイツは半世紀かけ、これらの目標をすべて達成したのです。

 その要因は、戦後一貫してドイツの国際政治を特徴付ける「戦略性の欠如」です。「国益」を考えないこと、と言い換えてもいい。国際社会の厳しい現実に目を向けずに済んでいたのです。

 戦後の国際社会にとっての「ドイツ戦略」は、隣国を攻撃させないこと、欧州共同体(EC)など西欧の枠組みに組み込むことでした。ドイツの国益を考えない「控えめさ」が、「国際社会復帰」という国益をたまたまもたらしたのです。

 しかしこうした態度の弊害は、今や随所に表れています。ユーロ危機では、ギリシャを怠け者扱いして突き放そうとした。同じ正教文化を持つロシアが手をさしのべ、ギリシャがロシアに接近してしまう地政学的リスクを考えていなかった。難民問題でも、道義的判断から大量に受け入れましたが、そもそもの原因である中東での戦争には関与せず、ほぼ他人任せです。

 では、どうしてドイツはこうした「政治的戦略」に疎かったのか。

 ドイツは、2度の世界大戦での敗北から「歴史的に間違った側に立ちたくない」という意識が強い。加えて、国土が何度も戦場になってきた。三十年戦争(1618〜48年)もその一つ。そして、西ドイツ時代は主権が制限され、安全保障は米国任せ。外交は「欧州を大事にする」と言っていればよかった。だから「一国潔癖主義」に閉じこもっていられたのです。

 そうした時代は終わりを告げようとしています。第一に、ドイツは経済的に指導力を持ち、その発揮を欧州も望んでいる。トランプ政権が生まれ、米国の欧州への関与も関心も減るでしょう。これからは、ドイツ人が避けてきた地政学を学び、「戦略」を見定めなければなりません。

 なにも近視眼的にドイツの国益を追求しろと言っているのではありません。それでは周りの支持を得られない。中長期的にみてヨーロッパの安定と繁栄こそが、資源もなく貿易に依存し、従って海洋の安全が重要なドイツのためになるのです。「ドイツのためにヨーロッパに尽くす」という奉仕的指導性こそが求められています。

 ドイツは今、こうした変革に向けた「陣痛」を感じているところです。今回の選挙で新興右翼政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が、外の世界を悪いものと見なして「ヨーロッパから手を引こう」などと訴えて一定の支持を得たのも、痛みから逃れたい、という気持ちの表れだったと思います。(聞き手・疋田多揚)

     *

 Jan Techau 72年生まれ。専門は政治学。「ホルブルックフォーラム」所長。独語の近著に「指導国家としてのドイツ」。

 ■負の清算、名演説も後押し 仲正昌樹さん(金沢大学教授)

 ドイツは欧州連合(EU)、ユーロ圏にいることで、もっとも利益を得ている国です。ドイツの経済力から見てユーロが相対的に低いおかげで輸出産業が助かる。東欧に工場を置いて安い労働力を求めることもできます。

 この利益は、ナチスを生んだ反省を掲げてこそです。反省をやめたと受け取られれば、経済的利益を失い、集団安全保障にも影が差す恐れがあります。反省を怠ると、現実的な国益も損ないます。

 例えば、ナチスの反省として始まった難民保護政策。原則を変えたと取られないよう、メルケル首相は巧みにバランスを取りました。重大局面で中道的安定感を演出するのはドイツ保守の伝統です。

 戦後のドイツは、ホロコーストユダヤ人虐殺)という負の遺産清算するために、ニュルンベルク裁判で問われた新たな概念「人道に対する罪」を引き受けました。犠牲者への個人補償を行い、フランスやイスラエルらの警戒感を解いた。ナチスと根本的に異なるとアピールして区切りをつけたことが、今日の国際的地位を支えています。

 その点、日本は、天皇制などが存続し、新憲法大日本帝国憲法の改正手続きに従って制定された。戦前の国家との連続性が残り、責任の焦点を当てにくい。「人道に対する罪」が東京裁判の判決文では使われなかった。ドイツとは戦争責任をめぐる取り組み、そして周辺諸国との関係に決定的な違いが生まれました。

 ドイツが反省と区切りをアピールするのに言葉の力も大きく働いています。節目で要人が名演説を残しています。

 戦後40年の1985年、ワイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」は、過去の責任を直視する反省の重さを示したことで有名です。ただし彼は「欧州のキリスト教的精神をドイツも本来共有していて、ナチス時代は逸脱したが、戻ろうとしている」ことも示唆しました。ドイツが欧州の中心に位置することを想起させ、ナチスとの決別と欧州回帰を印象づけました。

 国内向けにもよく練られていた。ドイツ国民もずっと反省すればいいと思っている人ばかりではありません。そういう人も欧州の平和と繁栄に寄与し、尊敬されているドイツの姿を前向きに語られると納得しやすい。内も外も包み込む気配りの演説でした。

 日本のアピールはうまくありません。そもそも、戦争責任の追及のされ方や周辺諸国との関係が根本的に違うからうまい発信をする必要がなかったのかもしれない。それでも日韓基本条約を結んだ佐藤栄作首相や日中国交正常化を実現した田中角栄首相が、気配りの行き届いた名演説をしていたら、過去の清算をめぐる国内外の状況は、その後大きく変わっていたかも、と思います。(聞き手・村上研志)

     *

 なかまさまさき 63年生まれ。専門は政治思想史。著書に「日本とドイツ 二つの戦後思想」「ハイデガー哲学入門」など。

 ■欧州統合の推進が力の源 フォルカー・ペルテスさん(独国際安全保障問題研究所〈SWP〉所長)

 ドイツに求められる指導力とはサッカーチームの主将のようなものです。ボールを持っている時間は長いかもしれないが、得点するために隣の選手にボールを回すこともある。チーム内での共同のリーダーシップなのです。そうでなければ、欧州連合(EU)に加盟する残り27カ国が容認しうる指導者にはなれない。

 ドイツが欧州内で、他国の犠牲のもとに自国の利益を促進しようとしているように映れば、ギリシャ危機の際のように、タブロイド紙に(ヒトラーの)ひげ付きのメルケル首相の顔が載る。欧州を支配しようとした歴史的経緯から、他国から強い指導力を求められると慎重にならざるを得ない面もあります。メルケル首相が世界の道徳的指導者になることをドイツ国民が求めているとは思いません。

 武力行使については、英仏などに比べ依然、抑制的です。一方で、アフリカのマリなどで最悪の事態を避けるために、民主主義国家として介入する必要があるという現実主義に転換しつつある。英仏独の協力関係は、(EUから離脱する)英国の影が薄れ、独仏が主導する形になる。連立与党の相手次第で多少の違いは出てきますが、欧州では独仏が互いによき、信頼できる、効果的なパートナーであることが大事なのです。

 メルケル首相の米トランプ政権に対する方針は、正面からは反対しない、というものです。北大西洋条約機構NATO)での軍事協力など、米国なしには進展しない分野がある以上、実務的にできる限り協力した方がいい。かといって安倍晋三首相のように個人的な信頼関係を築くため「ゴルフ外交」をするようなタイプではありません。

 アジアの安全保障問題で、南シナ海の航行の自由はドイツ、欧州と中国との貿易にとって極めて重要です。ドイツは中国と非常に強い経済関係があるだけに、中国に対して国際法を順守するように促すことができるはずです。

 ドイツにはイランとの核合意など長期間、多国間で隠密に外交を進めた技量と経験がある。ベルリンに南北朝鮮の大使館を持ち、北にとって敵ではない。もし求められれば北朝鮮問題で仲介役を担える立場にある。そんな国はそう多くはありません。

 戦後ドイツは欧州の統合を通じて主権を回復してきた。米国との結びつきによって国際社会に復帰した日本とは異なります。統合の物語と歴史に対する率直な姿勢こそがドイツのソフトパワーなのです。外国人がベルリンに来ればナチスの犯罪について学ぶことができる。かつては悪い人で悪い国だったが、周辺国と友好関係を築き、統合したことで現在はいい国になったという物語が伝わるのです。(聞き手 ヨーロッパ総局長・石合力)

     *

 Volker Perthes 58年生まれ。ベルリンのシンクタンク、SWPの所長。ドイツ、欧州の外交・安全保障問題の権威。
    −−「耕論 求められるドイツ ヤン・テッハウさん、仲正昌樹さん、フォルカー・ペルテスさん」、『朝日新聞』2017年09月27日(水)付。

        • -

(耕論)求められるドイツ ヤン・テッハウさん、仲正昌樹さん、フォルカー・ペルテスさん:朝日新聞デジタル