覚え書:「魂の秘境から:4 原初の渚 夢のあわい、ひとひらの蝶に 石牟礼道子」、『朝日新聞』2017年09月28日(木)付。

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魂の秘境から:4 原初の渚 夢のあわい、ひとひらの蝶に 石牟礼道子
2017年9月28日
 
「明神岬の磯」=熊本県水俣市、芥川仁氏撮影
 パーキンソン病というやっかいな患いに捕まって、十数年になる。療養先の病院では、ベッドから車いすに移るにも遠慮せず看護師さんを呼ぶよう、言っていただいている。それでも起居のたびにお世話になるのは、どこか気兼ねするものである。先月のこと、洗面所ぐらいは自分で、と考えたのが間違いだった。

 気がつくと、離れて暮らす妹や姪(めい)たちが病室のベッドを取り巻いていた。「お姉ちゃん、また心配させてから」。聞くと、一人で立とうとして転倒し、右大腿(だいたい)骨を折って気を失っていたのだという。

 九十を超えて大腿骨を折るのはただ事ではない。血相を変えて駆けつけた妹たちに、わたしは「お菓子を食べてもよかでしょうか」と言ってあきれさせたそうだが、よく覚えていない。手術も無事に終えたが、今も起きながら夢のあわいにいるようである。

 横になってまぶたがだんだん重くなると、まばたきの立てるさざ波が、額にある渚(なぎさ)まで打ち寄せてくる。生え際のあたりで波に砂粒が踊り、さりさりと音をたてる。遠ざかる意識のなかで、わたしはどこか見覚えのある海辺にいるのである。幼いころからビナ(貝)を捕りに通った水俣不知火海のようでもあり、もっと奥深い懐かしさに胸が満たされるようでもある。

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 実は八年前にも転倒して、もう片方の大腿骨の骨折をしでかしている。その入院中に、やはり夢うつつで幻視したのが、この原初の海とも呼ぶべき渚であった。

 わたしはひとひらの蝶(ちょう)になり、水面に幾筋もの気根を垂らすアコウの巨木にとまっていた。生命が海から陸へと上がりかけた姿を、そのままとどめたような樹(き)である。そのアコウの渚から後背の山々へと広がる千古の森に、沖から海風が吹き渡る。風は木々の葉の一つひとつを自在に奏でながら、森全体をふるわせる。それは生命のはじまりを思わせる響き、音による浄福であった。

 沖縄や奄美では、蝶は「はびら」「はびる」と呼ばれ、人の体から抜け出した「生き魂(まぶり)」と考えられている。そう教えてくださったのは、奄美大島に長く住んだ作家の故島尾敏雄さん、ミホさん夫妻であった。忘れがたいお二人の言葉に誘(いざな)われて、わたしの生き魂も蝶となり、病室から迷い出たのかもしれない。

 ことに奄美の離島、加計呂麻島で育ったミホさんとは言葉を交わさずとも通じ合うものがあった。不知火海が生んだ子どもがわたしであれば、奄美の海が生んだ子どもがミホさんであった。

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 二十数年前に対談させていただいた時のこと。有機水銀に汚染された不知火海は見るに忍びないとわたしが漏らすと、ミホさんは我がことのように同情を寄せてくださった。それが形ばかりでないことは、深い色をたたえた眸(ひとみ)を見ればわかるのだった。

 海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還(かえ)りゆくところを失うということである。

 水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが、「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。

 ◆「魂の秘境から」は原則、毎月下旬に掲載します。
    −−「魂の秘境から:4 原初の渚 夢のあわい、ひとひらの蝶に 石牟礼道子」、『朝日新聞』2017年09月28日(木)付。

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(魂の秘境から:4)原初の渚 夢のあわい、ひとひらの蝶に 石牟礼道子:朝日新聞デジタル